失墜
「ミーナ、少し相談があるんだ」
突然、アタシは兄さんに呼び出された。
「俺達はこの国では罪人扱いだ。それでもこの国を離れようとしなかったのは、心のどこかで復讐心や未練があったんだと思っている」
そうね、アタシを動かしていたのは、いつだって「こんな奴等のために死んでなんてやるもんか」って気持ちだった。
「でも俺はね、この国の人にどれだけ恨まれて憎まれていても、今の生活が暖かいと感じてしまった」
全部アイツのせいだ。
アイツが来てからアタシ達兄妹は変わった。
アイツが居てくれたおかげで、アタシは今の生活も悪くないなんて思う様な甘ちゃんになってしまった。
「だからミーナ、この国を出て、三人で新しい生活を始めないか?」
「それ、アイツには言ってあるの?」
兄さんは首を横に振り、先にお前に話すべきだと答える。
そうか、新しい場所での新しい生活。
うん。アタシ達がこんなに幸せを感じてしまうのは全部アイツのせいなんだ。
だから、アイツが駄々をこねても、無理やりにでも一緒に来てもらうんだから。
○ ○ ○
「無事か、ミーナ!?」
「うん、兄さんのほうこそ無事でよかった」
この辺り一帯は既に兵士達に取り囲まれている。
迂闊だった、もう少し早く気づく事が出来てたら。
「兄さん、どうする?このまままじゃ見つかるのも時間の問題だよ」
「ちっ、もはや神頼みしかないって事か」
そう言えばアイツは無事だろうか?ひとりで森の奥まで行ったはずだけど。
こんな時にまで世話の焼ける奴だ。
「兄さん、とりあえずアイツを探し出さないと」
アイツはアタシ達の事を守るとか言ってたけど、今となってはアタシ達もアイツの事が大事なんだ。
アタシ達だけで逃げる訳にはいかない。
「待てミーナ、俺が探しに行く。お前はこの辺りで身を隠していろ」
そう言って兄さんが踵を返して森の中に走ろうとしたそのとき、
「ジン、ミーナ、二人とも直ぐにこの場所から離れろ!」
慌てた様子でアイツが駆け込んでくる。
良かった、まだ捕まってなかったみたいだ。
思わず綻んでしまった顔を引き締め直し、アタシはアイツの元に駆け寄ろうとした。
「いえ、それは不可能です。王国の敵を見逃すわけにはいきませんから」
ゾッと背中を悪寒が走り抜ける。
そんな、よりにもよってなんでコイツが此処に。
銀の鎧に身を包み、片手には長剣を携え、救国の英雄、銀の剣姫がそこに立っていた。
絶望、それしか言葉が出てこない。
この世界はここまで私達を拒絶するというの?
頭の中が空っぽになる。
でも、こんな時でもやっぱりアイツは優しく私の頭を撫でてくれるんだ。
「ミーナ、そんな顔しなくてもいい。この世界は、僕がきっと守ってみせる」
そう言い残して、彼は救国の英雄と正面から対峙する。
森に静寂が満ちる。
何故だろうか、銀の剣姫が身にまとう空気が変わったように見える。
それは、とても嬉しそうで、とても誇らしそうで、まるでかつての恋人と再開したような顔。
そういえば街に侵入したとき、彼女の姿を見たアイツの顔が、そんな顔だった様な気がする。
これから先はあの二人の世界。
誰にも侵犯できない、たった二人だけの世界。
なんでだろう、胸が痛い。
なんでだろう、このままアイツを戦わせちゃいけない気がする。
アタシが足を一歩踏み出したとき、二人の世界は弾けた。
語るように促すように二本の剣が舞い踊る。
ひしめき合う想いを絞り出すように、ひたむきな願いを叶えようと吠える。
ああ、駄目だよ。
これ以上は駄目だ。
私の想像が正しいとするなら、アンタはそんな事をする為に強くなったんじゃない。
私の想像が正しいとするなら、アンタはきっとこの戦いに・・・
誰か、あの二人を止めて。
誰かアイツを止めて下さい。
「誰か!!この戦いを止めてーーーーー!!!」
二人に私の声は聞こえていない。
打ち鳴らす剣戟は絶え間なく続く。
幾度の打ち合いの末、アイツの剣戟に彼女は体制を崩し、一瞬の隙ができる。
アイツは何の躊躇もなく、止めを刺そうとする。
でも、アイツの剣は彼女の体を貫くことなく、彼女の横を通り過ぎた。
その時、ふと、アイツが笑った気がした。
ドサッ
アタシの目の前で、アイツの身体が崩れ落ちる。
うつ伏せに倒れた体からは大量の血が流れていく。
剣姫は彼を切り倒した己の剣を見て、茫然自失と佇んでいる。
いやだ、いやだ、
いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ
わかんない、わかんない、わかんない、わかんない、わかんない、わかんない、わかんない
「あ゛ーーーーー!!オマエさえいなければーーーーーーーー!!!」
なり振り構わず剣姫に突進しようとしたアタシの体は兄に羽交い絞めされる。
「ミーナ、引け!!お前じゃ彼女には勝てない!!俺達だけじゃ勝てないんだよ!!」
そんな問題じゃない、そんな事はどうでもいい!!
アタシはアイツを許さない、絶対に許さない!!
ドゴッ
そこで急に意識が遠くなっていく。
どうやらアタシは兄さんに殴られたみたいだ。
どんどん視界が狭まっていくなか、口から血をたれ流す兄さんの姿が最後に見えた。
なんだ、やっぱり兄さんもアタシと同じなのに・・
○ ○ ○
「ミーナ、またここに居たのか」
「ええ、そうじゃないとコイツも寂しいと思うから」
アタシは目の前の石碑を撫でながら、そう口にする。
あれから二年の月がたった。
あの後、アタシを担いだ兄さんはなんとか森を抜け、遠く離れたこの街にたどり着いたらしい。
「あの時は逃げることで精一杯だった。済まない、アイツの亡骸を運び出す余裕は無かった」
私は無言で通す。
「それに、何故かは分からないが、剣姫も茫然自失としたまま動かなかったしな」
兄さん、それは違うよ。
愛する人の命を刈り取っても正気でいられるほど、彼女も英雄では無かったってことだよ。
風があたしの髪を攫っていく。
アイツは約束通り、アタシ達兄妹の事を守ってくれた。
今は細々とだけど、何不自由なく暮らすことが出来ている。
それでも思い出してしまうんだ。
罪を重ねながら、人々に恨まれながら生きていたあの日々を。
酷く甘い、傷の重ね合いだけだった、あの理想郷を。
なあ、アタシはアンタを守ることが出来なかったよ。
ごめん、ごめんなさい。
止めど無く流れる涙は、今日も枯れそうにありません。