相互
アタシは望んではいけない人間だと思っていた。
誰にも望まれずに朽ちていく存在だと思っていた。
だからこそ、こうも簡単に心を許してしまうんだろうか?
彼の言葉に救われた、それ以上の感情を抱いてしまう。
けれど決して軽い人間なんかじゃない。それ程までにアタシは渇望していた。
そんな彼の事を表現する言葉があるのなら、きっと『かけがえの無い人』っていうのが一番しっくりくる。
〇 〇 〇
アタシ達が街で事件を起こしてから、今日で十日が過ぎた。
彼は今でも出会った頃と変わらない飄々とした態度で毎日を過ごしている。
慣れない狩りに戸惑い、河での洗濯に四苦八苦し、薬草取りでは使い物にならない。
そんな馬鹿野郎だから、最近は少し優しく接してやる事にした。
それなのに、あろう事かあの馬鹿は人様の親切心を『気持ち悪ッ』の一言でバラバラにしてくれた。
そんな奴にはキツイお仕置きが必要だと思い、アタシはまだ日の昇る前だというのに彼の寝床としている大木を目指している。
「にゅふふっ、後悔しなさい。このアタシをおちょっくてくれた礼はキッチリ返してやるんだから」
アタシは月明かりだけを頼りに歩みを進める。
そして、彼の眠る大木の方向から聞こえてくる話し声を耳にする。
「すまないな、こんな時間に呼び出してしまって」
「いや、僕は全然構わないよ。それにしても今日は月が綺麗に見える、野郎同士で眺めるには少し勿体ないけどね」
「それならばミーナも誘ったほうが良かったかな?」
「いや、幾らなんでも女の子をこんな夜更けに誘い出すわけにはいかないよ。それにそんな事したら僕の命が幾つあっても足りないしね」
「君は本当によく分からない奴だな。ミーナが君にそんな事する訳ないだろうに、むしろ喜んで誘いに乗ると思うんだけどな」
「そうかな?僕にはとても信じられない話だ」
「はぁぁ、全く、これはミーナも大変だな」
「???」
話し声が聞こえる方に足を向けると、そこには川べりに腰を下ろす彼とアタシの兄がいた。
どうやら二人だけでコソコソと何かを話している様だけど、アタシのいる位置からはイマイチ会話の内容が聞き取れない。アタシは足音を殺しながら、二人の会話の内容が聞こえる位置まで移動する事にした。本当なら、そんな事せずに堂々と歩み寄れば良いと思うのに、どうしてか今はそうしなければいけない気がした。
「まぁその話はここまでにしておこう。それに本当にその気ならジンはきっとミーナを連れてきている筈だからね。何か理由があるんだろ?僕にしか話せないことが」
「ふぅ、その洞察力を別の場所で発揮して欲しいもんだ。否定はしない、今日は君に内密の話があって呼び出させてもらった。いや、正確には君にどうしても聞きたい事があったと言うべきだな」
「だろうね。それで僕に聞きたい事ってのは何なのかな?」
「そうだな、それよりもまずは俺の頼みから聞いて貰うとしようか。俺に剣の使い方を教えてくれる気はは無いだろうか?」
兄の口から飛び出した言葉に心臓が口から飛び出しそうになる。
アタシ達兄妹は今まで何度も窃盗や強奪を繰り返してきたけど、極力、人を傷つける事は避けてきた。
『なぁ、ミーナ。俺達はこれから他人に迷惑を掛けて生きなくてはいけない。それでも出来るだけ人と争うのは避けたいんだ。脅しや威嚇だけで大体の事は済む』
それは兄が決めた事でアタシもその手法を否定せずにここまでやってきた。
その兄が今になってどうして人を傷付ける手段を欲してるんだろうか。
「それは人殺しの方法を学びたいという事かな?」
「違う、守る為の力が欲しいだけだ。俺は今までどこかで甘えていた。自分の手を汚さずとも何とかなるだろうと考えていた。でも、この前ミーナが殺されそうになった時、迷わず敵を切り伏せた君を見て痛感したよ。あの瞬間にすぐに飛び出せずに物陰から眺めていた自分を恥じた。俺の覚悟はこの程度のものだった。俺の妹を守るという覚悟はこの程度のものなんだってね。だから守る為の力が欲しいと思った。それが例え茨の道だとしても」
彼は兄の言葉を聞いて、数秒ほど間も無く返答する。
「それじゃあだめだよ。その覚悟は持ってはいけないものだ。自分を犠牲にしてまで他人を守るだなんて考えは絶対に持ってはいけない。ジンがミーナの事を大切に思う気持ちを否定する訳じゃないけれど、そんな『歪な生き方』に未来なんて存在しない。君達兄弟はもっと自分が幸せになる方法を考えるべきだよ」
そう言った彼の言葉が胸に染みる。アタシ達は望んでも良いのだろうか?
この生が幸せになる事は許されるのだろうか?
彼の言葉の重みに、『生きたいと願ったアタシ』が戸惑う。
「君ならきっとそう言うだろうと思ったよ。ありがとう、俺達は君と出会えて本当に良かった」
兄が彼の言葉を受け入れた時に、胸が熱く焦がれた。
でも話はそこで終わりじゃなかった。兄は続けて言葉を口にする。
「でも君の言い分は矛盾している。やっぱり君を呼び出して良かった、俺が今日君に聞きたかったのは『それ程までに人の幸せを願う人間がどうして茨の道を歩いているのか』って事なんだよ。まず勘違いしないで欲しいんだけど、君の今までの言葉を疑っている訳じゃない。俺は確かに君に感謝している。だからこそ気付いてしまった。君は自分自身を幸せにする方法を見失ってしまってるんじゃないかってね」
彼は兄の言葉を受け、視線を空に向ける。
その顔がとても儚げでアタシには今にも消えてしまいそうな灯火に見えた。
「僕はね、昔ある人に救われたんだ。その人の生き方が余りにも綺麗で、その生き方を追いかけてるんだ。確かに思っていたよりもその生き方は困難が多かった。色々な人達と出会い、たくさんの挫折を味わう事になった」
≪あんたが居なければこんな事には≫
≪あんたが居てくれて良かった≫
≪お前が殺したんだ≫
≪お前が居なければ死んでいた≫
「それはこの生が続く限り、絶対に朽ちることは無いだろうね。人を助けるために人を殺す方法を学んだ。この道を歩くと決めた以上、最初から覚悟は持っていた。だから今までの僕の行動に後悔する事なんて無いんだ。十に一でも百に一でも『助かった』という言葉が聞けたら、それだけで十分すぎる幸せだ。
僕にとっては、この茨の道を歩くと決めたその日から、それだけが全てなんだよ」
彼の言葉を聞いて、アタシの足は自然と彼の許へと向かっていった。
「なんだよ、なんだよそれ!!!じゃあアンタの幸せって一体なんなんだよ!!自分だけ傷ついて、自分だけが傷付けて、そんな幸せあってたまるかよ!!それじゃあ全く、全くアンタが報われないじゃないか、、」
彼は突然のアタシの登場を意に介さず、いつも通りの微笑みを浮けべながら
「僕はね、報われたいとは思わないんだよ。ただ其処に僕が守ると決めた人達の幸せがあればそれでいい」
そんな馬鹿げた事を言うから、そんな顔で絶対に間違えてる事を口にするからアタシの涙は止まらない。
兄はそんなアタシの肩を抱き、まるで彼の生き方に共感するかのように彼に向かって口を開く。
「俺には君が羨ましくもあるよ。俺には君の言っている事が少しだけわかる気がする。でも、きっとミーナの言葉が全部正しいんだろうな。だからこれは俺達兄弟の我儘なのかもしれない。けれども、もう君は俺達にとって他人じゃないからな、忘れるなよ君が俺達の味方だって言ったんだ。だから俺達も君の味方になるさ。これからも宜しく頼む、だから宜しく頼まれてやるよ」
彼は兄の言葉の何がそんなに可笑しかったのか、俯いた顔を空に向け笑い出した。
「まったく、、、なんて甘い兄弟だ。こんな奴の味方になるだなんて正気じゃない。本当に馬鹿ばっかりだ。『もっと自分の事を考えろ』って言ってるのに何を考えてんだか。本当に甘い兄弟だ」
彼はそこまで言うと、今まで見たこと無い笑顔を向けながら
「そうだね、僕達はお互いに甘すぎる。だからその言葉を信じようと思う。死が僕達を分かつまで、僕はこの世界を守ると誓うよ」
そう言って兄に向けて手を差し伸べる。
兄は彼の手を強く握り返し、『お前はどうする?』っていう目をアタシに向けてきたもんだから、アタシは涙を拭い、二人の手を包み込むようにこの手を重ねた。
とっても甘くとっても歪な関係だけど、私達三人はきっとこれで正しいんだろうと思う。
守られるだけじゃいられない、彼を絶対に幸せにしてみせる。
この日、たった三人だけで作った、とても小さな世界が誕生した。