信念
「そろそろ二人が来る時間だな」
木立の合間に朝焼けを眺めながら、僕は寝床代わりの大木から降りる。
朝の森っていうのは空気が冴えわたっていて、気持ちまで新たにしてくれる様な気がする。
もちろんそれは気分の問題であって、ボコボコに腫れた顔が痛まない訳も無く、しかめっつらが治らない。
「なんだオマエ、もう起きてたのか?」
朝一番から威勢よく声を掛けてきたのは、3日前に知り合ったばかりの人物であり、兄妹の妹のほうだ。
名前はミーナ。小柄な成りをして威勢は一人前、残念ながら嗜虐趣味の可能性がある人物だ。
思った事はすぐに顔に出るし、悲しい事に手足が出る事も多々ある。
「朝っぱらからブッサイクな顔しやがって、そこいらの動物のほうがまだマシなレベルな」
こんな事を平然とした顔で言えるあたり僕の観察眼も捨てたものじゃないだろう。
僕の気持ちささやかな朝は見事なまでに粉砕された。
「オイッ、ブサイクな面がさらにブサイクになってるぞ?コッチ見んなよ、アタシの気分まで悪くなる」
さて、そろそろ僕の心も音を立てて折れてしまいそうなんだけど、、、
たったの三日間でどうしてここまで嫌われるんだろうか、と昔日を思い返すも心当たりは、、、あるな、うん。
〇 〇 〇
これはこの場所で暮らし始めると決めた初日の出来事。
「ここで暮らすなら狩リくらいは出来ないと話にならない。オマエ、狩りの経験はあるか?というか何をニヤニヤしてやがる、気持ち悪い」
「いや、ごめんね。恥ずかしながら狩りの経験は無いんだ。木の実や果実の採取なら出来るけどね。それにしてもやっぱり君は思ったよりも優しい子なんだね。うん、自分勝手に居座った僕の面倒まで見てく、ウグッ!!」
彼女は無言で僕に肘打ちを見舞って歩いて行ってしまう。
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「次に巫山戯た事を口にしたら肘打ちだけじゃ済まさないからな」
「了解。口には気をつけますシスター」
「よし、分かればよろしい。気を取り直して狩りの実践、といきたいところだが、オマエのせいで随分狩場から離れてしっまったからな、ちょうど場所的にも良い場所だし別の事にしようと思う。そこに川が見えるだろう?ここでは肉や魚は貴重だからな、まずは確保する事が大事だ。オマエも一端の旅人なら魚ぐらいは捕る事が出来るだろう?」
「こう見えても放浪の生活は長いからね。それ位は慣れたものさ。それじゃあ手始めに何匹か確保してくるよ」
「オイッ!!待て馬鹿!!」
「うがっっ!!」
この辺りの川には目に見えない岩石が山程存在するらしく、本来なら岩石に岩石をぶつける事で魚を失神させて捕獲するのが正しいやり方らしい。そんな事も知らずに良い所を見せようと川に飛び込んだ僕がどうなったかというと、、、
「どんだけ迷惑かけてくれんだ!?頭から川に突っ込む馬鹿が何処にいやがる!!その上見事に失神しやがって、オマエを引き上げるのにどんだけ苦労したと思ってんだ??」
「返す言葉も御座いません。御前には感謝の言葉も見つかりません」
彼女は川で気を失ってしまった僕を引き摺り上げたせいでびしょ濡れになっていた。
僕はただひたすら土下座する以外に選択を持ち得なかった。
その日はそれ以上、口を聞いて貰う事も無かった。
〇 〇 〇
とまあこういった感じの出来事が他にも数回あったのは事実な訳で、元より非好意的だった彼女の好感度が下がりきってしまったのは自業自得と言うべきだろう。
しかし僕の対人スキルは何時までたっても成長しないな、なんて後ろ向きな事を考えていた時
「おはよう、今日も随分と早いじゃないか。こんな時間から賑やかな事だ。でも残念ながら顔の腫れはまだまだ引いてないようだな。随分酷い顔になっているぞ」
そう言ってニヤけ顔でさわやか兄さん風に声を掛けてきたのは、僕が出会った兄妹の兄の方にあたる人物、名前はジン。背丈が高く、こんな森には不釣合な程の気品を持ち合わせた稀有な人間だ。
しかし、彼は好青年らしく僕の顔が腫れている事を気にかけてくれるが、顔がニヤけそうになるのを我慢しなければいけない程、僕の顔が可笑しいと言うのだろうか?まずは自分の左頬もこぶとり爺さん並みに腫れ上がっている事を理解して欲しい。
「あぁ、うん。確かにまだ顔が膨らんでるのは自分でも分かるし、痛いっちゃ痛いけどね。それでもこぶとり爺さんみたいに鬼に取って貰わないといけない程、酷くも無いと思うだ」
僕はついつい自分の考えを口に出してしまう。
好青年顔したジンの顔にハッキリと分かるほど青筋が入る。
「どこぞの酔狂な奴が一端の口を聞くもんだからね、俺としては余りにもソイツが不憫だったんで酔い醒まし程度に気合を入れてやったんだよ。そしたらまさか反撃してくるなんて思いもしなくてさ、君はどう思う?人の善意を何だと思ってるんだろうね?」
その言葉には流石の僕もカチンとくる。
3歩ほど前に進み、ジンを正面から睨み付ける。
爽やかな朝を台無しにする程、険悪な空気が辺りを包む。
ジンを睨み上げる僕。
僕を睨み下ろすジン。
僕目掛けて木の枝をフルスイングするミーナ。
「アガっっ!??」
頭を打ち抜かれ悶絶する僕を尻目にミーナは涼しい顔で口を開く。
「オマエ朝から鬱陶しいな。いい加減、顔でも洗って来い。兄さんもこんな奴相手にしてないでとっとと顔洗って来て」
「「ハイ↓わかりました↓」」
どうして僕だけが殴られたんだろうか。
理不尽に感じつつも、二人の顔を見る。
怒ったような呆れたような顔のミーナ。
妹に怒られて悄気てしまったジン。
そんな顔を見る事で改めてあの日の出来事を思い返す。
〇 〇 〇
「僕が君達の力になるよ。大した事は出来ないけどね。だから教えてくれないか?君達が救われない理由を」
僕は恐れる事も恥じる事も無く、彼らに向かってこう言った。
普通の人間なら正気を疑われても仕方が無い言葉に2人は中々リアクションも起こせない。
ジンは随分とマヌケな顔を晒していたが、ミーナの方は立ち直りが早く、いきなり僕の胸倉を掴んで激高した。
「オマエ、一体何様のつもりか知れないけど、他人の事情にどうこう首を突っ込むなよ。何も知らない奴が唯の自己満足で安易に口に出して良いもんじゃない。何も知らないくせに!何も分からないくせに!お前みたいなヘラヘラ笑って過ごしてるような奴に、、、、」
途中から嗚咽が混じりだした言葉をジンが遮る。
「すまない、さっきも言ったけどこれ以上俺達兄妹に関わらないで欲しい。君が一体どんな人物なのかは知らないけど、妹の言った事は正しい。何も知らない人間に安易に踏み込んで欲しくないんだ」
そう言ったジンの瞳は獣の様に研ぎ澄まされ、生きる事を諦めずにもがき足掻く意思があり、その全てを自分ひとりで背負い込む気概が見えた。
これは僕が今まで見てきた人達とよく似ている瞳だ。
これははじまりの一歩。
僕が僕である為に逃げ出す訳にはいかない。
僕は己の意思を強く持ち、一歩前に歩み出て口を開く。
「その理由っていうのが『忌まわしき血』や『恒久的な平和』ってやつなのかな?」
そう言った瞬間、僕の左頬にジンの拳がめり込む。
ほら、やっぱり我慢してたんじゃないか。
今のジンの顔に先程までの理性は見て取れない。
ジンは追撃の手を緩めずに何度も何度も拳を振るってくる。
それでも僕は両の足を踏ん張り、決して倒れない。
これは必要な痛みだ。
彼は飢えている。飢えすぎて麻痺してしまった。
だからこんな風に思ってしまう。
・・・世界から否定された存在
・・・幸福を許されない存在
・・・誰にも助けの声なんて聞いてもらえない存在
何十発殴られただろうか?
正直痛すぎて意識が吹っ飛んでしまいそうなんだけど、、、ここから先は譲れない。
僕は正面に立つジンの顔に右の拳を叩きつける。
殴り疲れた事もあってか、僕より頭二つは大きいジンが地面に倒れる。
それでもその瞳は未だに何も変わってはいなかった。
うん、お前達の声は僕に聴こえている。
助けてって言葉を我慢している声が僕の頭から離れない。
だから今この場で問おう。
「そんなに強く生きようとするな。これ以上はお前達も耐えられないだろう?」
どんなに生きたいと願っても、苦しみや憎しみを持ち続ければ、心は摩耗する。
僕から見ればこの二人はもう限界だ。今までこんな目をした人達は腐る程見てきたのだから間違いない。
「どこぞの知らない奴が勝手に首を突っ込んできただけだ。この結果にお前達が気に病む事なんて無い。お前達がどんな業を背負っているのかは知らないけど、うん。まぁ、助けになるよ。僕が必ずお前達を守ってみせる」
だから、遠い昔、自分に向けて語られた言葉を口にする。
「お前達が世界から見放されても、僕だけは必ず味方になる」
〇 〇 〇
冷たい水で顔を洗いながら、隣で同じように顔を洗っているジンを見る。
3日程度の付き合いとはいえ、二人がどんな人間なのかは大体分かってきた。
盗みはするが、人殺しはしない。
ただ、今を生き抜くことだけは諦めない。
その程度の認識で十分だろう。
僕は未だにこの兄弟がどうして世界から否定されているのかを知らない。
あれ以来、聞いてもいないし、話しても来ない。
でもそんな事は瑣末な事だ。
僕はあの日にこの兄弟の味方になると決めた。
これ以上明確な指針は無い。
この誓いだけを胸に僕は歩む。
例え彼等の道が間違っていようとも、人道から外れているとしても。
こんな事を考えていると知ったら、君はまた怒り狂うんだろうな
それでもこの道を征くと決めた。
ただ、それだけの事だよ。