08.だって男の子だし
店の奥には居住スペースがあって、その脇には庭がある。存外大きなその空間には、エレスターナが育てている、錬金術の材料となる薬草が大半を埋めていて、片隅にひっそりと似つかわしくない物体が生えている。
巻き藁、のようなものだ。カズヤの知ってる巻き藁とちょっと違うので、巻き藁っぽいものと呼称しよう。巻き藁っぽいものは随分と使い込んだ痕が刻まれている。満遍なく切り傷に溢れていて、満身創痍といった有様だ。
エレクターが剣やら棍やらを手に打ち込みをしている光景を何度か見た。ランサーだとばっかり思っていたのだけれど、結構何でも使えるらしい。いわく、冒険者たるもの手元にある武器を有効活用できてこそだとか。まあ、結局は一番得意なのが槍だという話だったが。
そんな見慣れてきた光景の中に、今日は異物が落ちていた。巻き藁の下に無造作に、古びた一振りの剣が、無骨なお洋服に包まれて転がっている。
誰かが帯刀しているのは見たことがあるし、振っているのも前述の通り目撃している。しかし、単品慎ましく鎮座しているのは初めて目にしたと思う。平坦化してきた日常の中に突如降り注いだ飾り気のない武器の姿に、カズヤはしばし瞬きを繰り返した。
朝起きて顔を洗って、エレスターナが朝食の準備をしてくれるからアヒルの子供じみたささやかな手伝いをして、店の中で比較的危険の少ない床掃除をして、ついでに表をちゃっちゃと掃いて、少しずつ近所のおっさんおばさんたちと交流を深めて、そこまでが日課。その後の予定は大抵エレスターナの予定で決まる。買い物に同行したり、常識を学んだり、勉強に費やしたり。
必然的に運動不足である。高校を卒業する間近だったカズヤは、中学から剣道を嗜んでいる。勉強は嫌いで運動が好き。典型的な体育大好きアホの子だったので、大学受験の傍ら道場に忍んで母親にドヤされる日々を過ごしていた。
というわけで、剣に興味を示したのは当たり前のことだっただろう。鞘に覆われた刃は、恐怖心よりも厨二心をくすぐるものだった。ほら、ちゃきっと構えて斜め45度のドヤ顔でキメポーズ取りたいのは男の夢じゃない。カズヤには夢という尊い志を無碍にするなんて不徳はとてもとても。
小走りに屋外に出て、無造作に放置された剣を拾い上──げられない。重い、なんだこれ重い。持ち上がらない。よろめきながら、無精をしていた左手を添えて再度のトライ。
腰を入れて力を入れると、今度は素直に離陸した。正眼に構えて悦に浸ろうとしたが、いや待て、やはり構えるならば抜き身の剣であろうと思い直し──あれ、これどうやって鞘から抜いたら良いの。片手で持つと切っ先が落ちるから抜けないんだけど。
「……何してんの、アンタ」
「しまったよりによって今このシーン。時よ戻れー!」
地面に再着陸させた剣から四苦八苦して靴下を脱がせようとしていたところで、エレスターナの半眼ビームを食らった。
どうせ物凄い格好悪いところばっかり見せているとはいえ、現代高校生平均程度は存在する羞恥心がカズヤから死滅しているというわけではないのである。ノリに乗ってるときには羞恥心が仕事しなくなる傾向はあるけど。
しかしこの世には仏がいる。アメリカのお菓子に勝る赤色着色料を添加した顔色を、エレスターナの良心は見なかったことにしてあげようと働いたらしい。震える口元を隠すように顔を背け、数度咳払いをこぼした。あれっ、これ逆に恥ずかしいんじゃなかろうか。
「どっから持ち出したのよその剣。エレクのでしょ?」
「や、片づけ忘れてたらしくて、落ちてたんだよ。実剣ってすげぇ重いのな」
「そーねぇ、持ち方にコツがあるみたいだけど、あたしには振り回すのは無理ね。よくそんなの持って機敏に動けるもんだわ」
だよなあ、と同意して、再び刃に向き直る。
格好を付けたいというのが前提である。振ってみたいという野望も勿論あった。手を伸ばしたときのワクワク感は、しかし刃の愚直さを見ていると鰹節よろしくごっそりと削り取られていく。
ぎらりと鈍く太陽光を反射する金属は思っていたより生々しい。近くで映り込む己の顔に、少しだけ距離を取る。出刃包丁の鈍重さに慄くのと似ているが、確実に違う一点に冷や汗を覚えた。
肉を切るという目的は同様であるものの、作成における対象の想定があからさまに異なるのだ。用途の余所見を許さない無骨なラインが、妙な迫力をもってカズヤの視線を奪った。
「……そんなの凝視してて、楽しいの」
「いやあ、かっこいい俺が映り込んでるなあと」
「もっと近付いて見れば?」
「キイアアアアアアアア止めて、切れるこの鬼!殺人鬼!貧乳ッ!」
「小綺麗なお顔にふかーぁめに一本傷付ければ迫力出るんじゃないかしら」
「お巡りさん悪役が、悪役がここに、イズヒア!い、いやぁ……!傷物になったら責任取ってくれるんでしょうね!」
「刀傷は男の勲章よね」
「ひげ剃りで顔削ったって間抜けなだけだと思わんか!?」
「どうして怪我したかなんて言わなきゃわかんないわよ。安心しなさい、ひげ剃りミスったって大々的に宣伝しといてあげるから」
「溢れ出る圧倒的悪意に驚きを隠せない!」
押され寄る刃から必死に顔を背ける様に溜飲を下げたのか、はたまた飽きただけなのか──多分飽きたんだろうな──あっさりとカズヤを解放して、エレスターナは細い腰を折った。下ろしたままの髪が肩を伝って流れる光景が、浮かんだ涙でぼける。九死に一生を得た思いで一杯だ。酷い女である。
差し出された鞘に目を瞬いた。流れるほど涙が溜まってなくて安心。また馬鹿にされるか可哀想なものを見る目を向けられるところだった。
「危ないから、とりあえずしまっときなさい。どうせあんたには扱えないでしょ」
投げ捨てるような言い様に、多少なりと気分を概して口を尖らせる。
大分アレなところばっかり見せているとはいえ、カズヤとて男である。男って無闇にかっこつけたい馬鹿な生き物なのよね。
「やってみなきゃわかんないだろ」
「何いっちょまえに拗ねてんのよ、カジャのくせに」
動こうとしないこちらに焦れたのか、少女は切っ先に鞘を当てて押し込んだ。腹立ちのまま反射的に退こうと動き掛けたが、万が一刃がエレスターナに触れたら取り返しが付かない。主にカズヤの心情的に。
「触るなら誰かに習って、訓練してからにしときなさい。一足飛びに意気込んでもろくなことにならないんだから。腕や足の一本なくなっても知らないわよ」
「そこまで考えなしに動かねーよ」
せめてもの反抗に、憮然としたまま収容されるに任せてそっぽを向いた。どう考えても幼児の所業であることは認める。
「そもそもあんた、勝手も分かんないうちに動きすぎなのよ。包丁握ったこともないくせに料理番買って出ようとしたり、掃除だって教えてからやればいいところを先回りしようとして空ぶって。落ち込んでるのほっとくのも、以外と労力使うし面倒なのよね」
内容に反して、声は意外と柔らかい。
あれ、と思って視線だけ戻す。留め金を装着するエレスターナの顔に侮りの色は乗っていなかった。この顔は見たことがある。小学生の時分、集団登校で後輩を見守る高学年の方々の視線である。
顔ごと向き直ってまじまじと少女の顔を見つめる。大きな瞳を縁取る鳶色に隠れて、伏せた目の表情は見えない。
緩やかな弧を描く細い眉、通った鼻梁から続く慎ましやかな鼻を辿り、薄い唇の動きを待った。観察めいた視線に不快感を覚えたのか、眉間に僅かな皺が寄った。自衛のためにさりげなく目を逸らす。
ずっしりと手に重量を伝える鋼を見下ろしながら、エレスターナの真意について考えた。物凄く滑らかな勢いで貶されただけというには、彼女の空気はやけに優しい。
いや、元々エレスターナが優しいのは知ってるけど。なんせ、途轍もない不審者であるカズヤを匿ってくれてここまで連れてきてくれて、あまつさえ穀潰しという称号が誰よりも相応しいカズヤを養ってくれているわけで。養ってあげてんだから働きなさいとは言うものの、単なる雑用というか小間使いというか。極端に言えば、子供に対して風呂掃除しろという程度のささやかな命令である。何これ心広い。
そうか、そういえば、エレスターナはどこに出しても恥ずかしくないツンデレだった!
「ター──あの、何この喉元に突き付けられた物騒な刃物」
「不思議なことに、妙に不愉快なこと考えられた気がするのよね」
このツンデレ、更に侮れないことに読心術の使い手である。
しかし魅惑のツンデレ認定を不愉快とは何事だ。世の中のぐふふと笑う大きいお友達に謝れ──と考えるといやこれ普通に不愉快かもね。そんなのに好かれたくないよね、人間だもの。
つまるところ、エレスターナはこう伝えたいのだろう。「あんまり焦らずに現状にゆっくり適応しろ」と。
やたら湾曲だしツンツンツンツンと棘が生えてはいるけれども、優しさであることは間違いない。
「どうしても剣が使いたいならエレクが帰ってきたときにでも頼むのが早いんじゃない?誰に聞いてもエレクにだけは教わらない方が良いって言うだろうほど壊滅的に指導下手だけど──ちょっと、なによその目」
「いやあ、ターナはバストサイズからは想像も付かないほど広い心を持った善人だなあとェぶッ!」
「浅かった沼の底が突然抜けてるような局地的広さじゃないと良いわよね」
「あ、残念ながらそういう深みだったみたいです。すいませんほんと。調子乗りました」
いつの間にか奪い取られた剣を手に収納庫へと向かう細い背中を、辛うじて部位破壊を免れた双眼で追う。
細い背、小さい背、カズヤよりずっと。
「……そりゃ、少しは役に立ちたいというか、なあ……?」
ところで、自分は剣を習いたい場合、結局誰に教われば良いんだろう。さすがにエレクターに突撃するってのはないと、思いたいんだけど。




