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05.留守番が怖い

 流れる汗が止まらない。カウンターの中でだらけていたつい先程までが涙溢れるほど恋しい。面接かってくらい背筋をぴんと伸ばして、どうにかこうにか視線を逸らさないよう努力に努力を重ねる。でももう駄目。止めて、俺の気力はもうないの。

 だからそれ以上見つめないで、目つきの悪いあねさん。


 「誰だおまえ」

 「いいい居候です!カズヤって言います!」

 「カズヤ?聞き慣れない響きの名前だな」


 大きなストロークで足を運び、カウンター越し、座るカズヤの前に立つ。

 女性にしては随分背が高かった。発達した全身の筋肉はアスリートより実用的そうで、男たる自分ですら縋り付きたいほど逞しい。短く切られた髪はエレスターナより日に焼けた明るい色をしていたが、鋭すぎる目の有り様はともかく、アイカラーは血の繋がりを物語る。

 リンデンだ、と名乗った彼女は、家主の最愛の姉だった。


 「あ、あれ、俺の名前呼べるんですか。みんな、カジャってしか聞こえないみたいなんスけど」

 「地方の知り合いが多いもんでな。舌噛みそうな名前よりよっぽど聞き取りやすい」


 ただでさえ悪いのであろう目つきを不審げに眇めると、眼光で死人が出そうな有様である……と言ったら言い過ぎだろうけど、泣く子が気絶する程度の凶悪さではあると思う。

 結局押し負けて、よよっと視線を泳がせた。気弱に床から天井へとクロールするこちらに、害を及ぼせる敵ではなく、ただの雑魚であると確信を得たらしい。プレッシャーが失せて気を抜いた──ところで再度重たい気配を浴びせられて、むせる。

 殺気とかいうやつだろうか。数秒の後、また消える。恐る恐る視線を戻すと、別に腰に下げた剣に手をやる様子はない。仁王の目つきも顔を引っ込めて、単純にからかってみただけのような顔をしていた。


 「イジメカッコワルイ」

 「いじめとは失礼な奴だな。ただの嫌がらせだ」

 「それって何が違うんでしょうかねえ!?」


 腕を組んでカウンターに腰をもたせ掛けたリンデンは、少し天井を見上げるような素振りを見せた。エレスターナが空を見上げる癖と似ている。

 やがて戻ってきた目は、真摯に告げた。


 「世間への心証かな」

 「ちくしょう、些細なところで守りに入りやがる」


 評判って大事ですよね、と机にうつ伏せて言うと、満足そうな肯定が返ってきた。なるほど、あのマイペース姉弟の姉である。弱者を弄くるのに迷いがない。しかし双子より見た目が強そうな分緊張感が半端ないので、あいつら早く帰ってこないかな。

 姉弟は外出中である。エレスターナは納品に、エレクターは冒険者であるらしく、冒険者ギルドに。冒険者ギルドとかカッコいいとテンションを上げたカズヤに、そういうときだけ面倒くさそうな表情を正直に貼り付けて、ステイを言い付けて出て行った。

 当然、オタクの必須スキルたるファンタジー用語適応能力をもってしても太刀打ちできないほどに種類の豊富な魔術的商品を、数日間滞在しているだけのカズヤが管理できるはずもない。店は臨時休業だ。

 誰も入ってこないし、と油断していたところにこの来襲である。そりゃ心が鰹節も真っ青に削れるよ。人一倍図太いと評判な自分じゃなかったら、踏んだ千歳飴みたいにポッキポキになっているところだ。

 それで、とリンデンがトーンを変えるのに顔を上げた。いささか真剣味を帯びた目に射抜かれて、またも背筋を伸ばす羽目になる。


 「おまえは、何だって?」






 カズヤは頑張った。頑張って、エレスターナに告げた事実をもうちょっと纏めて分かり易くして起伏をはっきりとさせ聞いてる人を飽きさせないように抑揚を付けて丁寧に伝えた。

 ふんふんと相槌を打っていたリンデンは、いつの間にか手にした茶を啜る。ことりと音を立てて着地した湯飲みと、真面目な顔のリンデン。カズヤは生唾を飲み込んで次の言葉を待った。


 「王道とは、基本を押さえた魅力的な展開や表現力や伴ってこそ活きるものです。また、主人公であるキャラクターに魅力がなく、話の展開がいかにもやっつけなのは致命的。腕を磨いて出直しましょう。4点」

 「俺が全否定される激辛評価コメントに、心が折れる他、リアクションの選択肢がないんですけど」

 

 想像以上に酷い返答だった。世の中の作家ってのはこういう経験を重ねているから、締め切りをぶっちぎり続けてネットゲームを楽しめるような猛者が生まれたりするんだろうなあ。

 カウンターと同化するようにひしゃげるカズヤの頭に、硬い手のひらが置かれた。撫でる代わりに、頭が振れる程度の力で叩かれる。

 軽い調子の唸る声。


 「とはいえ、エレクはともかく、人を見る目は高いターナが納得するに値する何かはあったわけだからな……よし」

 「おねーさま、納得してくれたんですね!」


 瞳を輝かせて上げた顔の先、優しさすら感じられる真摯な眼差しに射抜かれた。あれ、何かデジャヴ。


 「今から頭の先まで毒の沼に沈める。日が落ちたらゆっくり引き上げる。万が一生きてたら多分魔の眷属とかそういう感じの何かアレだから、改めて直々に首をはねよう。死んでたら人間だ。おまえは悪くなかったんだろう。惜しい奴を亡くしたな」

 「ひぎぃ、魔女裁判に勝る残忍さからは俺を生かしておこうという気が毛頭感じられない!俺を早速過去形にしないでッ!」

 「あと」


 リンデンが初めて見せた笑みは、暖かなはずの木肌色の目が樹氷の冷たさを湛えていたせいで、すこぶる印象が悪かった。

 腰に提げた刃物が笑った。勿論幻聴であるが、とりあえずそんな印象の輝きを見せた。つまり鞘から刀身を見せたってことだ、言わせんな恐ろしい!


 「誰がおねーさまだ。私の弟妹は一人ずつだけだ。どうしても加入したきゃ私の屍を越えていけ」

 「くくく武器がないと俺を殺せないとでも思っているのか……残念だったな、その逞しい拳で殴られるだけで昏倒する」

 「マジか。想像以上にひ弱だぞおまえ」

 「普通に心配されると無性に傷付く!」


 さすがエレスターナの姉だけあって攻撃性のレベルが高い。あらゆる方向から繰り出される殺傷能力の高い連続攻撃に、カズヤのそれなりに図太かった精神力がもう負けた。


 「そんな涙目になるなって。冗談だよ。シロウト相手に刃物持ち出すわけないだろう」


 今更そんな優しい笑みでポンポン背中を叩かれても、疑心を覚え暗鬼を住まわせた自分の心には響かないのである。

 とはいえ、メチャメチャ厳しい人たちがふいに見せた優しさに絆されそうになるのが平和に漬かりきった現代日本人だ。ちらりと向けた疑いの眼差しに、むずがる子供を見る視線を返されて気が緩む。

 仕方がない奴だなというような顔は、父親がよく見せた。蛇足だが、母親はあらゆる面で断固妥協しなかったのでそういう顔を見たことはない。

 リンデンはエレスターナたちとは結構年が離れている。親というには近すぎるが、間違いなく保護者ではあったのだろう。覆うような暖かさにカズヤは強ばった顔を綻ばせた。

 リンデンは微笑みつつ、やはり裏切った。


 「しかし事と次第によっては包丁くらいは仕方がないよな」

 「妹さんに手は出しませんので!」

 「あ?うちの妹に魅力が足りないって?」

 「これがいじめじゃなくてなんだと」

 「おいおい、いじめじゃなくて嫌がらせだっちっとろーが」 


 どっちにしても優しさ成分が見あたらない!と叫ぶカズヤに、リンデンは快活に笑った。


 「たっだいまー!おねーちゃん、会いたかったーッ!」

 「ねーちゃんただいま。おかえりー」

 「おうお帰り。こいつ面白いな」

 「アッ、気に入られてたとは気付きませんで!」

連載「大樹の下で」主人公。やっぱり動かしやすいので、次の話まで出張ります。


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