04.文字は読めない
アキルス国、というらしい。
筋骨隆々としたいかにもな戦士から、ずるずるとしたローブを纏ったいかにもな魔術師っぽい者まで、とにかく荒事に従属していそうな存在が闊歩する、エレスターナたちのホーム。中肉中背のカズヤなんかはそこかしこから漂ってくる闘争の気配にビクビクとするわけだが、慣れた二人はむしろ浮き足だっているようだった。
というのも、二人の最愛の姉が帰ってきているとのことで。
「おねーちゃん、ただいまー!……って、あれ」
「出かけてるのかな」
こぢんまりとした店に突撃した二人が押し開いた扉。クローズの札が踊って騒音を奏でた。
やっとのこと追い付いたカズヤの目の前で、漲っていたテンションがだだ下がりしていくのがわかる。よっぽど姉が好きなんだろうけど。
「ねーちゃんが行きそうなとこっていうと……武器屋とか?」
「定食屋とか、もしかしたらギルドとかかしら」
「冒険者ギルドに登録してる同業者って多いし、そうかも。すぐ帰ってくるかなー……」
「同業者ってーと」
「戦争屋!」
というのを聞いて、カズヤとしてはちょっとばかり姉とやらにお会いするのが怖いところである。
戦争屋ってのはつまり傭兵の一種らしい。魔物退治なんかも兼用する傭兵とは違い、全く人間だけを相手にするのが戦争屋。口頭説明だと人殺し専門的な印象しか持てないんだけど、現実は異なってくれると非常に嬉しい。
青い顔でぶるりと震えたカズヤに目をくれることなく、二人は大量の荷物を店の中に積み上げた。習って適当に手にした荷物を床に置く。
肩を回すこちらを置いて、姉弟はちゃきちゃきと荷解きを始めた。
「ううー、いないもんは仕方ないわね……一刻も早い戻りを期待しておく」
「装備補充するまでは休むって言ってたっけ。まさかもう次の依頼受けちゃったとかは考えたくないけど、もしかしたらってこともあるかな……。俺たちが戻る予定日って伝えてってたっけ?」
「日にちは言ったわよ。番犬するし、気が向いたら定番商品くらいは売っとくって言ってたし、万が一受けたってんなら出たのは断れないレベルの依頼ってことね」
「マジかー。それって帰るの遠い……」
「まだ日跨ぎって決まったわけじゃないわ。凹まないでよ、結論に思えてくるから!」
あちらこちらへと忙しなく動きながらも、未練がましい会話の嵐は止むことがない。
カズヤは店端に置かれた小さな椅子に座り込んで店内を眺めつつ、飛んでいく言葉の尻尾を撫でていた。端々意味がわからん部分もあるが、とりあえず姉に対する愛情が半端ないことは理解できる。
ちなみに手伝いは最初からお断りされていたから一人楽してるんであって、手伝う気がなかったわけじゃあないぜ!
「……ほんと、おねーちゃんのこと好きな、おまえら」
「あったりまえじゃない」
家族事情のさわりは聞いた。カズヤを気まずくさせない程度に随分と簡略化されただろう彼女たちの歩みは、少し深く考えればやたらと重たいものだ。カズヤの世界で言うネグレクトというやつだろうか。自分にはまるで縁のない険悪さに言葉を失った。
だからこそ、この、普通ならちょっと引くくらいのに重度な姉を慕う様子は微笑ましいもんだと思う。
ない胸を張って愛を豪語するエレスターナと、荷物を運びながら何度も頷くエレクター。どれだけ反らしても隆起の生まれない少女が悲しくて、カズヤは僅かに焦点をぼやけさせる。
ふいに、エレスターナが小首を傾げて微笑んだ。棚に置かれた瓶をそっと持ち上げて差し出す。
「カジャ、ちょっとこれ中身持ってみなさいよ」
「なにこれ。キノコ?」
棚を見るが、ラベルの内容は理解できない。そうか、言葉は通じるけど文字は駄目なのか。勉強の必要性を考えるとうんざりするので、できるだけしなくても良い方向で生きて行こうと思う。
何気なくフタに手を掛けたところで、通りざまエレクターが囁きを残した。
「付着すると皮膚がずる剥ける猛毒をお持ちの稀少植物です」
「何普通に解説してんのエレク!?止めろよ!おまえの姉怖いぞ!」
外国人がするように肩を竦めて、変わらぬ眠たげな顔で言う。
「おねーさまの機嫌損ねるとめんどくさいんだよね」
「めんどくささと俺の手の寿命どっちが大切だと」
「命を切らさないようにまずカジャはターナに謝るべきかな?」
「なんもしてないよね俺なんも」
「なんっか腹立ったのよね何でかしら」
「思うことすら許されない閉鎖社会の中で俺の心の声が素直すぎてごめんなさい」
命を守るためなら土下座もやむを得ない。
べったりと床に貼り付いたカズヤにしばしの沈黙と哀れみが降りる。哀れむなら助けろこの薄情者。
数秒後、弛んだ空気に恐る恐る額と床の接触を解く。上目でちらりと般若を見上げると、いつの間にか菩薩にジョブチェンジしていた。
これはいける。確信して身を起こし、謝罪を畳み掛けるべく細腰に縋ろうとして──あ、駄目だ。目が笑ってないわ。
「あんたが飲み干したいのは」
「飲みたくない」
コンマ1秒の即答すら彼女の死の微笑みに影響を与えられない。
棚から下ろした二つの小瓶。空洞を満たすのは、毒々しい濁った紫と、光を通さないほど濃厚な赤色である。ラベルが貼られている。細やかな説明書は、だがしかし、カズヤへの光明には成り得ない。
「赤い薬と紫の薬、どっちかしら?」
ぎぎぎと動かした顔の先、エレクターは片付けを放り投げて菓子を頬張っていた。適当な咀嚼で飲み下し、こっくりと頷く。
持つべきは残酷ではない知り合いである。青い顔に血色を取り戻したカズヤは、涙すら浮かべてエレクターに溢れんばかりの感謝を、送るつもりだった。
「文字が読めれば確実に生き残れたのに、かわいそうになぁ」
「どうしてそこで親切に教えてやろうという気概が生まれんのだこの血も涙もない姉弟の弟の方ッ!」
「めんどうだし、俺、血も涙もないみたいだし」
「はぁい、血も涙もない姉弟の姉の方よ。ほら選べ。早急に緊急に拙速に」
文字を勉強しよう。どれだけめんどくさかろうと、今すぐに。心に刻んだその決意は、翻ることなくカズヤの中で成長するだろう。堅固な思いは成長を早める最高の養分となるはずだ。勉強しよう。そうしよう。
ただし、全てはこの緊急事態を乗り切れたらの話だけれど。




