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02.勇者になりそこなった少年(後)

 大通り沿いのカフェで薫り高い紅茶を啜りながら、購入したての本を開く。錬金術の指南書。基本を羅列した初心者用のそれは、ふつうに読むには全く物足りないが、弟との待ち合わせ時間までの潰しに読むには丁度良いボリュームだった。

 たまには基本の復習をしておく必要がある。エレスターナの性格上、段々と調合や魔力の込め方が駄々草になっていくから。

 国が違えば調合の配分も違う。知っている基本との差異をすり合わせ、より効率を高める方法を模索する。

 文化の差は大きい。宗教上の理由でナンタラとかいう植物の使用を禁ずるだとか、使いやすい最良の道具は異国製のものだから国産を推しとこうとか。明記してあれば良いのだが、大抵の場合、忌避の理由はスルーされているものだ。そのため、他国へ赴く知人には、錬金術の指南書を見付けたら出来れば入手してきて欲しいと通達し、積極的に見比べている。

 ──ふと、エレスターナは先日の奇異な体験をぼんやりと思い出した。異文化。まさしくその通りの出来事だ。眉唾かと思いきや、他でもない王族によって肯定された不道徳。

 『カジャ』は今頃、相変わらずとち狂っているのだろうか。





 「俺、カズヤっての。いや、カジャじゃなくて、カズヤ。……カズヤ…………カ、ズ、ヤ………………カズ……あ、うん、わかった、カジャでいいです。俺、カジャね」


 名乗った青年ことカジャは、続いて破竹の勢いで口から弾丸を吐き続けた。


 「俺が暮らしてた場所は、ビル……じゃない、天を突くような高い建物がたっくさん並んでて、子供は全員学校ってとこで勉強すんのを義務付けられてて、野生の怖い獣とかあんまいなくて、すっげえ平和で、電気って動力で明かり付けたりものを動かしたりできたり、魔法とかはなくて……魔法ってあんの?魔術?あ、あんの。よかった。あとえーっと、何が鉄板だっけ……あ、矢の勢いで走る鉄の箱に乗って移動できたりとかする場所で、俺はその鉄の箱にぶち当たって死んだと思うんだよ」


 何を言い出すのか、多少の知的好奇心から聞く気を生み出したエレスターナの親切心は、足蹴にする勢いで生まれる言語の数々の前に儚く散った。

 俺が暮らしていた場所、とカジャは言う。しかし、博識とは言い難いし世間知らずな自覚はあるものの、エレスターナの知る限り、夢物語ですら語られないほど非現実的なものである。

 全力で立ち去ろうとした自分を引き留める手はこちらも全力で、語る目は相変わらず必死だった。バカにしてんのか、という思いは、反面、その必死さに打ち消される。彼はどこまでも本気だった。

 だとすればどこかで頭でも打って狂ったのだろうか。哀れみを露わに見返すエレスターナに、カジャは気付かない。


 「あ、死んだな、と思った瞬間、突然目の前が真っ白になってさ。そしたら変な、なんか聞き取れない言葉が聞こえてきたんだよ。……こんな感じの?」


 辿々しく紡がれる言葉は、魔術言語のようではあった。魔術の才能はないが、魔術を使っているところは見たことがあるし、魔石の製造過程でいくらかの単語は扱ったことがあるので、ほんの僅かなら理解できないこともない。

 とはいえカジャの漏らす羅列に聞き覚えのある単語はなかった。大概の言語は専門外なのでやーい知識不足と罵られるいわれはない──いや待て。


 「今のところもう一回」

 「へ?え、ああ」


 再度、覚束ない様子で繰り返されたフレーズに聴力を集中させる。

 黙り込んだエレスターナに、カジャは物凄く不安そうな顔をした。そわそわと無駄な動きを繰り返し、やかましく呻り声を上げ、おろおろと思考の海を泳ぐように視線をさまよわせる。


 「あと、勇者がどうの、魔王がどうのって声がしたような……」

 「ゆうしゃ」


 こめかみを揉むと、頭痛が少し紛れる気がする。大丈夫か?ととんちんかんな心配を寄越すカジャに、エレスターナは頭痛に響く己の高い声を限界まで低くして、神妙に言った。


 「行くわよ」

 「お、マジで!信じてくれたん?やったー!どこに?」

 「……お城」


 多少。多少、後ろめたい気はした。したが、エレスターナは事なかれ主義なのだ。厄介事には関わるなという姉の大切な教えを軽々しく破る気はない。

 例え、色濃く姉との血縁関係を証明する、お人好しの血がうずこうとも。いくら教えを授けた姉自らが、率先して、仕方なくとはいえ、厄介事に身を投じる人物だったとしても。

 城まで送ってあげるだけの親切で、できることなら勘弁して欲しい。






 エレスターナが理解したのは、つまりこういうことだ。

 そういえばこの国、セレンティアは、魔物の類をやたらめったら憎む国だった。あちらに小粒の魔物が出たと言えば聖なる力で固めた騎士団が出陣し、こちらで闇を操る下法師が出たと言えば、無実であっても刃を構えて即刻退去を命じる。

 宗教信仰の類は世にままあれど、この国ほど一点に信仰心の突出した国はないだろう。少なくとも、王城に勤める全ての人間は、ただひたすらに一つの御身を讃え続けている。

 いわく、勇者。

 神話に等しい遠い昔、この国は異世界の勇者の手により侵攻する魔物を駆逐したらしい。噂に寄れば、危機の都度、幾度となく異世界からの勇者の召喚を試みたという。竜人族の血を継ぐと自負しているだけあって、セレンティア生まれの子は魔術使いの因子が非常に強い。しかしその事実をもってしても、初代の勇者以降、召喚に成功したという話を聞いていない。

 が、例えばどうだろう。召喚とは、召喚のための陣に対象物を喚び込む魔術である。「異世界」とかいうアンノウンな場所からの無茶をした結果、召喚自体が上手く機能していなかったのではなく、座標指定が狂ったのだとしたら──つまり、召喚陣への喚び込みのみが機能していなかったのだとしたら。

 召喚自体は成功してしまっていたのだとしたら。

 ……まあ、杞憂である。異世界なんぞというシロモノの存在を信じる気は毛頭ない。カジャの話はトンデモ過ぎて、どう足掻いても一考に値しない。

 話を戻そう。この国の事情だ。

 生憎エレスターナの耳には魔王がどうこうという話が届いたことはないが、憎悪が高じて「魔王的なもの」を指定した可能性はなくはない。であれば、いつものように召喚を行った可能性はあるだろう。

 カジャが「そうである」かどうかは問題じゃない。異世界から来たって言ってるよ!と城に連れれば、未来はどうあれひとまずは丸く収まる。少なくともエレスターナ側は。

 仮にセレンティアが求める勇者の資質を備えていなかったとて、王族一同の性質が非道であるとは聞かない。手違いであれ喚んでしまったかもしれない人間を放り出すような行いはしないだろう。無辜の人を異世界に喚び寄せる術は非道じゃないのかと言われると目を逸らす他ないが。

 そういうわけで、大雑把に、角が立たない程度の事情説明をした後、城に引き渡した。

 捨てられる子犬のような目にはふつふつと湧く罪悪感を自覚したが、面倒を見切れる自信もないのに小動物を拾うのはいけない行為だ。非難より、王城まで付き添って、胡乱な眼差しを送る見張りの兵士に事情を訴えて、友好的なお偉いさんが足を運ぶまで粘った頑張りを褒めて頂きたい。

 さて、何らかの事情で「真実だと思い込んでしまっている嘘」だと、エレスターナは思っているが──。


 「……ナイナイ。異世界だなんて、ありえなーい」


 そろそろ待ち合わせの時間である。重い荷物を持ち上げて、店員に長居の礼を告げる。やっと帰るのかという心の声がありありと分かる表情は実に良くない。反面教師として自分は愛嬌を振りまくぞう。

 数度スリが荷物に手を伸ばしてくるハプニングはあったものの、待ち合わせ場所にはすんなり到着した。

 当然引ったくり対策をしていないはずがないエレスターナの大荷物。数多のポケットの一つに指を差し入れたお馬鹿さんは、「私は泥棒です!」と声高に宣言を残しながら気絶した。精神系魔術を込めた魔石の効力だ。エグみの強い魔術使いに魔術仕込みを頼んだ甲斐があろうというものである。

 弟の姿はまだない。時計を確認すると、少し気が早い時間だった。日陰に移動して待つことにする。

 街を囲う石積みの分厚い壁は、他の国に比べて随分と古ぼけている。崩れがないのは、表面に張り巡らされた緻密な結界のおかげだろう。背中を預けると、少しだけ弾かれたようなピリリとした感覚があったが、すぐに沈静化した。

 なるほど、この見事な結界を見ていると、御伽話を現実視する気持ちがほんの僅か察せられんでもない。魔術に長けた龍人の血。現在の高名な魔術師の中で、この規模の結界を維持することは可能であれ、イチから構築できる強者が果たして存在するだろうか。

 色々あったが、まあ、この結界に触れただけでも来た価値はあったか、と心を落ち着けた。独特の魔力の編み方であるからこそ、アプローチを変えた防御系魔石の参考になる。

 例えば、一時凌ぎではない、常時発動型の結界を込めた魔石とかどうだろう。いついかなるときでも防御力を高めておける魔術は、腕のある魔術師でも使い手が限られる。何せ寝てるときでも維持しなきゃいけないわけだ。そんな気の張った睡眠はもう特技のレベルである。その点魔石なら、発動から何日間有効、とか消費期限を設けておけばOK。発動時以外は魔力を必要とせず、込めた魔力を微量に放出し続ける構造で、うん、いける。要人警護とかに間違いなく売れる。


 「み、見つけたあああああ!」


 その雄叫びが響き渡ったのは、エレスターナが次なる商品展開に固く拳を握りしめたときのことだった。飽きるほど耳にしたせいか、精々数刻の時を過ごしただけの存在だというのに、雄叫びの間してのみ竹馬の友のごとく慣れ親しんでしまった感がある。屈辱すら覚える。

 でかい声に集まった視線に振り向かないという選択肢すら奪われた。高まった志気がみるみる内に萎んでいくのを自覚しながら、魂を首関節の潤滑剤に変えて振り返る。

 目に入ったのは、言うまでもなく残念なイケメンだった。必死の形相と相まって、およそイケメン、と評価を下げることも可能である。転げるように駆け寄る中肉中背の、青年になりきらない年齢の男は、身を引く間も与えずにエレスターナの両手を捕らえてむせぶ。

 息を整えようとひたすら呼吸に励む少年の旋毛を溜息で揺らし、嘆息混じりの声を出す。


 「こんなとこで何してんのアンタ」

 「ターナを探してたんだよ!」

 「ふうん」

 「リアクションが薄い!?」


 あんたのショックはどうでも良いから、藁に縋る人間のような力の込め具合を緩めてはくれんものか。耳に響く大声への不快感と共に顔を顰めると、はたと気付いたような顔をして、少し、ほんの気持ちだけ拘束に向ける握力が抜けた。まあ、骨折を危ぶむ事態は免れたようなので、その程度でも不問に抑えておいてやろう。

 ついでに、その馴れ馴れしい呼び名を許した覚えもないので、できればエレスターナとフルで呼んで欲しいものである。苦言を労したが、長い、と一蹴された。人の名前にケチ付けるとかどんだけ。

 そこでようやく、はて、と首を傾げる。そもそも、王宮に丁寧に保護されたはずのカジャが、たかだか数刻道連れになっただけのエレスターナを捜索する理由とはなんぞや。

 案内の人間に引き渡した時点での彼は、未来への僅かな不安を孕んだ笑顔を浮かべながら、元気に手を振っていたのだ。まさか早々に虐げられたわけじゃないと信じたいが。


 「俺と一緒に旅に出てくれ!もうお前しか頼れねーの!」

 「面倒ごとの気配しかしないからやだ」

 「軽い!」

 「……あたしの信仰するメポポソキンゲンゲンタン神より面倒に巻き込まれるから遠慮しておけとの信託が降りた気がするようなしないような気がしたっぽいので謹んでご遠慮させて頂きますと一月ほど深く考えた結果の判断」

 「いや、重くすりゃいーって話じゃなく──待て、重いかそれ?その神様マジでいる?あとターナと会ったのつい最近だし」

 「あ、今、会って早々人の愛称を口にする頭の軽いカジャとかいう男とは目を合わせるな口を聞くなという信託が」

 「上手く呼べないんだから見逃してくれって!俺カジャじゃねーし!カズヤだしッ!」

 「ちょっと、人の視線集めるの趣味じゃないから、半径1キロメラトル以内でネコの足音以上の騒音立てないでくれる?」

 「ぬあああああああああああああ」


 うずくまって頭を抱えるのは自由だが、人の手を握ったまま実行しないで頂こう。

 隙を見逃さず手を抜き取って、一歩だけ後退した。あんまり離れるとむしろ距離を詰められそうな気がするので。

 ひとしきり人間らしからぬうなり声で黒々とした悪しき何かを発散したカジャは、しゃがんだまま壁に寄りかかって、萎んだ声で懇願する。


 「そこを何とか」

 「あたしじゃないといけない理由を30字以内で述べよ」

 「お前以外頼れねーの!」

 「理由になってないから、ダメぇ」


 うう、とくぐもった声が更に萎びた。

 こうも凹まれると、多少の哀れを覚えないでもない。渋々と壁に背を預け──ようとして、付着した砂埃の多さに、結局壊れ物の少ない荷物の上に腰を下ろす。話だけは聞いてあげようというスタイルである。さすが自分、女神のように心優しい。


 「で、何があったのよ?」


 人間とはかように現金なものか。光り輝かんばかりに相好を崩し、涙目でエレスターナを仰ぐカジャに、フサフサとした耳と尻尾の幻影を見る。

 なるほど、必死さの通り、随分と参っているらしかった。あんまり哀れだったので、下がった眉尻を指で擦るように撫でてやる。近所の犬はこうしてやると喜ぶ。

 驚きに目を見開いて少し頬を染めたのは、同年代の異性に慰められたことへの恥じらいだろう。それでも振られる尻尾の幻想に、嫌がっているわけではないことを理解する。


 「通じないんだよ、話が」

 「は?」

 「だからさ、話が通じねーの。俺が何言っても何か変っつーか」


 眉根を寄せる。

 言語は共通している。恐らく──あくまで自分の想像の域から何一つ足を伸ばさないが──召還陣か何かに、翻訳機能でも付与してあったのだろう。

 エレスターナとカジャの間に通じないことがあるとしたら、世界観とか、固有名詞とか、それに準ずるものたちだ。ある程度の単語までなら意味が通るように自動で翻訳されているらしく、少しばかり語幹に違和を感じることはあるものの。


 「ちょっと何言ってるかわかんない」

 「曲解されんだよ!ものすごい!俺の現状を説明すると──」

 





 受け入れられたらしい。途轍もない大歓迎っぷりで、旗でも振り回し始めないのが不思議なほどの超歓待を受けたらしい。

 王や王妃は満面の笑みを浮かべ、家臣は脳がとろけるような賛美を送り、ありとあらゆる財を尽くしての目が潰れるような晩餐に招待された。

 ここまでは全身が痒くなる思いをしつつも、「勇者様万歳」の合唱に浮かれていられたようである。


 「すっごいモテた。今が俺の運気の最高潮だと確信するくらいのモテっぷりだった。右からは儚げ清楚でありながらけしからん巨乳の巫女さんがしなだれかかり、左からは元気妹属性身長プチサイズのくせにやはり乳がビッグサイズの魔女っ子が腕にぶら下がり、後ろからはヤンデレ系色気溢るるボンキュボンなお姉さまが絡まる天国だった。俺は思った。ここが堕落の園かと。ここが堕落の園ならどんな聖人だろうと堕ちるのは致し方ない事実だ。四方八方から文句を挟む余地のない乳が迫ってきて跳ね退けられる男が三千世界のどこに存在しようか。いや、いまい。もしいたらホモか性別を間違ったに相違ないと俺は断言する」

 「へーそう。とりあえずあたしから30歩以上距離をあけてくれる?何をとは言わないけど塵も残らないくらいに爆破したいから」

 「待って、まだ本題じゃないの!」


 問題は、対個人で言葉を交わしてしばらくしてから気付いたのだという。

 いわく。


 「奴ら、勇者に夢見すぎなんだよッ!」


 ──何を言っても、発言と佇まいに無限のフィルターがかかるらしい。


 「そりゃ勇者とかハーレム系主人公に憧れたことあるよ、俺だって男の子だもん。でもあそこまで話が通じないとは思わんかった。もーだめ、ほんとだめ。なんなのあれ。一方的に夢見る乙女に腕寄っかかられても、おっぱいの感触にムラッとするより、意思の疎通が不具合すぎて耐えられない!胸を張っておっぱい星人を名乗れる俺だけど、あれならちっぱいでも良いから建設的な会話ができる人が良い──あれ、何してんの」

 「爆破の準備」


 構えた魔石を握り込まれる。そんなに至近距離にいたら、こっちまで巻き込まれるから爆破できない。

 舌打ちをこぼして距離を取ろうと隙を窺うが、脂汗を流しながらこちらを諫める男からは1メラトルさえ離れられなかった。ちょっと、汗ばんだ手が不快だから放してくれる。


 「誤解だ!俺は貧乳に人権はない派とかじゃないんだッ!」

 「いいわ、そんなに言うならこの身の犠牲くらい涙を呑んで堪えてみせる。大人しく爆発しなさい。今すぐによ──誰が貧乳ですってぇええええええええぇぇえぇぇぇぇ!?」

 「あ、あれ、そこ?そこは認めようぜ。希代のペテン師ですら詭弁を躊躇うレベルのまな板」

 「おねーちゃん、先立つ不幸をお許し下さい……」

 「き、キィアアアアアアアアアアア!何か手のひらパチパチする!不幸の前兆を全身で感じるッ!大丈夫、大丈夫だ、そうだ、服を脱いでみよう。うつ伏せになってみたら精密機械で計測すればもしかしたらほんのわずかな隆起が観測できるかもしんないし──アアアアアアアアアアアアア」


 渾身の目潰しがメガヒットしてちょっと気が晴れた。

 目が、目があああああと血の涙を流しつつ、地面の砂をゴロゴロと巻き取る運動に励む男にザマアと唱え、魔石をしまい直す。半分くらい解放してしまったが、封印布にくるんでおけば暴発するようなことはないだろう。魔術印を閉じ直せば商品価値は粗方戻る、はず。

 空を仰いで、なるほど、と納得した。そういう狂信的な輩は見たことがある。

 知らんところで評判を聞いて、偶像を抱き想像を逞しく膨らませて、いざ実物に会ったら焦点が合っていないのだ。その幻想を打ち砕こうにも、居たたまれないし、自分は何一つ悪くないのに悪いことしてるような気分になるし、いざ勇気を出して真実を披露すれば、またまたぁ!と流される。まあ安定の姉の話ですけどね。


 「……んーで?」


 促す声に、外壁に寄り添う躯が震えた。寝転げたまま一瞬だけ視線を合わせたかと思えば、ふいと逸らされる。

 しおれたように思える後頭部の力なさに、腰掛けた荷物から尻を上げた。


 「……俺さ、事故にあった直後に召喚されて、死ぬの免れたわけだし、こうなったのに不満はないし、続けて人生謳歌できんのに感謝、しなくもねーけど」


 地べたに座るのをしばし躊躇ったが、仕方なしに腰を下ろす。丸まったカジャを覆い尽くすように外套を被せて、震える身体に背を預ける。中々心地の良いクッションになった。


 「実感湧かないし、何か、まだ、わっかんねーんだけどさぁ──」

 「うん」

 「お、俺、もう帰れないんだろ。俺一人っ子で、結構家族仲良くてさ、かーさんとかオヤジとか、どう、してんだろっておも、思って、友達とかさあ、もう会えない、ん、だろぉ」

 「……どうかな」

 「だいじょうぶ、て、言うんだよ、あいつら、私がいるから、て、だから、なん、だよって、かわりになんかなんねぇし、俺、帰りたいって、い、ったら、そん、冗談、て、わら、わらって……!」

 「そりゃ、ちょっと無神経ね」

 「そん、で、魔王たお、せって、俺、ただの高校生で、剣道部だったけど、そんなんスポーツで、いきなり実戦しろとか殺せった、って、そ、んなの考えたことねーのに、誰にいっても、だいじょうぶって、城から好、きな奴連れてけって」

 「戦ったことないの?」

 「あるわけねー……」


 すん、と鼻を啜る音がして声がついえた。横目で背後の塊を確認すると、顔面の辺りでモゴモゴと腕が動いている。これまでのバカみたいな明るさを見るに、涙は見せない主義なのだろう。気概を尊重して前に向き直る。

 余分なものを背負ってしまった、というのが感想だった。額に手を当てて大きく溜息を吐き出す。寄っているであろう皺を解すべく、額をやわやわともみ込んで。


 「ちょっと、そこの薄っぺらいあなた!」

 「……は?」


 聞き捨てならない一声に顔を上げた。まさか私のことではないだろうなと思ったのに、発言者であろう人間の視線は、間違いなくエレスターナを指している。

 誰が薄っぺらいだオイ。その胸元にこさえた2つのスイカ、奇跡の16連打でぶち割ってやろうか。

 という怒りを肥え太ったネコで覆い隠して、愛想を纏い首を傾げた。


 「何か」

 「少年と青年の狭間ほどの年齢の、あなたが目にするには勿体ないほど神々しく勇ましく爽やかで美しい、奇跡のような男性を見かけなかったかしら」


 上級防御魔術をくまなく仕込まれた華やかなローブと、ジャラジャラ下げたアクセサリーは、互いを損なうギリギリの境界で込められた魔力を主張し合い、手にしたロッドもまた膨大な魔術を揺らめかせている。やたら顔面偏差値の高い女の身分は即座に知れた。宮廷魔術師である。

 びくりと背後の屍だったものが身を竦ませるのを、置いた肘を捻ることで沈静化させた。


 「そんなご大層なもの見たら目が潰れてるはずなんで、見てないんじゃないですかねー」

 「そう、役に立たないこと。では目が潰れたら王宮にすぐに連絡しなさい」

 「何かあったんですか?」

 「余所者に──いえ、あなたその荷物、商人ね。広めなさい。光臨なされた勇者様が、世界を救う旅に、私たちを巻き込むまいとおひとりで発ってしまわれたのよ。他国にもすぐに布令が出るでしょうけれど、一刻も早く合流しないといけないわ。私たちのために戦って下さる勇者様をお手伝いしないだなんて、できるはずがないもの」

 「そぉれは素晴らしい勇者様ですねー。かしこまりましたぁ、善処しまーす」


 高いヒールを限界まで酷使する勢いで去っていく背を見送ると、背後の肘置き兼荷物もどきがまたガタガタしだした。


 「……ってことらしいけど」

 「嘘に決まってんだろ……!」

 「そーよねぇ」

 「うう、かばってくれてありがとう、ターナ」

 「どういたしまして。そいで?」

 「?」


 ちらりと布の隙間から片目を出したカジャに問う。


 「どーしたいの、あんた」


 厚めの唇が開いて、沈黙を生み出したかと思えばはくりと閉じた。

 きょろきょろと視線を巡らせ、自分に向かう注意がないかどうかを確認する。おずおずと頼りない動作で身を起こしたカジャは、けれどやはり周囲が怖いのか、布にくるまったままエレスターナの背にもたれ直した。重い。


 「逃げたい、ん、だけど」

 「でしょうね」

 「……俺、一人じゃ無理だし」

 「違いないわ」


 淡々と現実を返したエレスターナに、またカジャの言葉が切れる。まごつく次節を待つのは、単純に弟がまだ合流しそうにないからだ。暇つぶしと言えば誤解がない。別に彼を尊重しているわけでないのだ。ないったら。

 こつんと後頭部が軽く衝突する。


 「…………でも、俺が魔王ってのどうにかしないと、みんな困るんだよ、な」


 高い壁を見上げているような角度に、それこそが彼の心理情景なのだろうなと同情しつつ。


 「それはどーかしら」

 「へ?」


 振り向こうとしたバカを、壁に押し付けるように体重を掛ける。見回りの衛兵が胡散臭そうにこちらを見ていた。まだ国内にも布令は出ていないようだが、目に留まらないとは限らない。

 愛想笑いで茶を濁し、さっさと見回りに戻れと心から念じる。カジャはエレスターナの日頃の行いが良いことに、今すぐに感謝の雨を降らせるのが正しい。


 「で、魔王は倒さないといけないような気がするけど、ああいう連中とご一緒すんのはイヤだから、あたしを巻き込もうって?とんだユウシャサマだわー」

 「そ──……それは……ゴメン」


 思い当たっていなかったらしい。

 途端に真球にでもなりたそうに丸まったクッションが不快で、更に身体を押し付ける。背筋は真っ直ぐめに伸びていた方が楽だから、あんまり丸くなるんじゃない。


 「……わかってるだろうけど、あたし、あんたが異世界から来たって信じてないのよ。でもまあ、家族に会いたいだとか、魔物怖いのに魔王倒さないといけないって悩むとか、そういうのが狂言じゃないのは認めるわ。記憶喪失とか混濁とかしてるんだと思って、とりあえず納得したげる」

 「え、ああ、うん、ありが、と?」

 「そんで」


 圧迫が強すぎたのか、硬い身体が辛くなったのか、あるいはそのどちらもか。カジャが唐突に圧力を跳ね退けようという生意気な行動に出た。当然食らってやる義理はないので、上半身を横に傾ける。ついでに尻の位置をずらすと、結構な勢いで男は地面に転がった。

 強く打ち付けたらしい頭を押さえるバカ男の涙目に気が晴れて、エレスターナはニヤリと笑う。


 「とりあえずあたしの家が目的地ね」


 その後。

 出会いの快哉もかくやというほどの雄叫びを上げた男に、魔石の一撃を食らわせて沈没させたことは言うまでもない。やっと合流した弟から不審者を見る目を食らったことを、エレスターナは絶対に忘れない。

あとの話はカズヤ視点の日常小話です。全6話か7話くらいの予定。

よろしければ、同世界観設定の「大樹の下で」も読んで頂ければ幸いです。

http://ncode.syosetu.com/n5219bm/

筋肉成分が多いです。


大樹の下でのスピンオフみたいなの書いてるって呟いたらワッフルして貰えたけど、残念だったな!侍女は不在なんだ!

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