01.勇者になりそこなった少年(前)
真っ直ぐに掲げた手を下ろす。手にしていた宝珠だったものが、最後の彩りを残すように破片と散った。風に吹かれた欠片は見る間に粒となり、粉となり、地に落ちようという頃には存在丸ごと消えて失せる。魔力を放出し尽くした魔石の終焉はいつ見ても儚く綺麗なものだ。
とはいえ、末路の美しさと威力が比例するかといえばそういうわけでもない。
最後の一滴まで込められた魔力を放出して失せるのが理想の魔石であることは言うまでもないだろう。残量を身に受けたまま砕け散るなど勿体のない所行である。あくまでエレスターナが綺麗だと思うのは、潔く消えゆく有り様についてだ。砕けた際にやたらと光を放つ石は、つまり残った魔力が輝いている証左に相違ない。魔石は終焉が綺麗であれば綺麗であるほどランクが低い。熟練の戦士の間では周知の事実だが、一般的には知られていないのが現状だった。
と、いうことの証明のためにエレスターナはここにいる。錬金術師としての店をもって早5年。独自の商品を仕入れるべく足を運ぶ客が増える中、しかしまだまだ知名度が十分とは言えない我が店である。
主力商品は改良型の魔石。戦争屋である姉の依頼で作り上げた一品は、やたらと作成に時間と手間を掛けるシロモノだけれど、掛けただけあって威力は高いし、使い勝手も流通品とは段違いだと自負している。姉の特許である特殊な使用方法が一般人にはできないことを考慮しても、手を伸ばすだけの価値があると確信を持っている。
ゆえに、エレスターナは疑う客への証を惜しまない。粋がる子供を見るまなこを改善させるべく客を引き連れて訪れた魔物の住まう森の中、小屋が建つほど高額な商品見本を一つ粉砕することになろうとも。
影ひとつ残さずに灰に変じた魔物を見送り、エレスターナは営業用の愛想を張り付けて、背後に控えているであろう客へと振り返る。
「と、咄嗟の一撃ですらこーんなカンジの高火力!いかがですか、凄いでしょう、あたしの魔石の……出来ばえ、は……」
控えているのは、空気とか、木とか、そういう無機物的なものだった。
満面の笑顔が瞬く間に引き攣り、般若へと変貌する。わなわなと震える身体が、スカートを彩る繊細なフリルをさえずらせる。
罵声じみた金切り声が響き渡るまでに、さほど時を必要とはしなかった。
戦果なし。高価な魔石を潰しただけの大敗。ひとしきり憤りを喚き散らした後に残ったのは、言うまでもなく自己嫌悪である。
エレスターナが目指すのは、一流の錬金術師ではなく、誰より上手の商人だった。というのも、親がろくでもない商人であったからだ。
彼らは商売人としては堅実であり実直だった。反面、親としては最悪だった。
商売に生の全てを賭し、子供を産むだけ産んでおいて省みず、食事どころか最低限の世話すらせず、ひたすらに放置しておく親だった。神が恥じるほどに人の良い隣人がいなければ、我ら兄弟は生後1日で死んでいる。否、そもそも生まれてすらいなかっただろう。
5つ年上の姉の尽力により、エレスターナと、双子の弟であるエレクターは人並みの生活を送ることができた。彼女はある日村を出ることになり、遅れてエレスターナたちも村を飛び出した。「親切」の体言であるかのような隣人も上京に同行してくれたのは、本当に運が良いことだった。
姉は、望んで村を出たわけではなかった。追い出されたのだ、間接的に、両親のせいで。
子供を放置して仕事に励む人間が個人的な人望を得られるわけがなく、一部の住人からは家族まるごと疎まれていた。事件があって、姉は体よく追い出された。
両親を見返したかった。見返すのならば、舞台は同じでなければいけない。目指すは商人である。商品は何でも構わないが、天性の才能である錬金術をメインにするのが最も効率が良いだろう。同じ土台で圧倒的地位を確立させて、子供をないものとして扱っても中規模な店しか構えられなかった己らの羞恥に塗れるが良い!
と、真っ黒々な炎を宿した据わった目で訴えるエレスターナに、じゃあ俺はサポートするよ、とエレクターはあっさり頷いた。説得を試みる周囲とは違い、弟はエレスターナと全く同じ辛酸を舐めてきた存在だ。飄々とした、姉から見ても何を考えているのかわからない彼の中にも、当然怒りはあったのだろう。彼は冒険者ギルドに登録を行い、依頼の傍ら錬金術に必要となる素材を集め、生来の手先の器用さを発揮して商品の加工を受け持った。
冒険者を相手にするなら、開店は日が昇る少し前から。昼中に休憩時間を設けて、夜は酒場より少々早く終わるのが良い。そんなアドバイスをくれたのは、一足先にクソッタレな親元を離れて旅立った後、戦争屋として着実に名声を上げている、ハイパー頼りになる姉だった。
店の場所についての助言も、やはり姉からだった。できれば冒険者ギルドの近く、かつ、冒険者が使用する宿の近くが好ましい。ただどちらも地価がやたらと高いので、妥協して武器屋の近くでも良い。戦争大好き国家であるアキルスでは、何より武器がバカ売れする。この店で武器を扱う気がないのなら、提携するのが無難だろう、と。
弟がメモを取る素振りも見せず、頭を使うことについてはこちらに一任していたのに腹が立ったので、頭取との話し合いの場、矢面に立たせてやった。さすがのぼんやり顔が涙目になるほどの迫力だったが、逃げ出さなかったのは褒めてあげようと思う。
そんなこんなでアイテムショップ「ファイカス」は開店を果たしたのだった。
だったが──この有様。意気込んで隣国まで訪れて、上客となれば素晴らしい将来が待ち受けるだろう金持ち貴族に対面して、魔石の披露をしたと思えば、威力が強すぎたのか威圧しすぎたのか、問答無用で逃げられた。弟相手の愚痴が捗るだろう。
足取り荒く森を進む。怒りの溢れる背中に恐れ戦いたらしく、獣たちは近付いて来ようとはしなかった。
そもそも獣やら魔物やらで溢れ返る魔の森に、可憐な美少女一人を置き去りにする鬼畜生が、両手に余る金貨を抱える貴族であることが間違っている。貴族とは、民を庇護するのが仕事ではないのか。理想と現実を感じる。姉にはエレスターナが思うところである「理想の貴族」のような知己がいるらしいが、同時に、そういうのは絶滅危惧種だから、と無慈悲な言葉も付属した。現実は非情である。
「あの貴族ども、今度見付けたらギッタンギッタンのメッタメタにしてやるんだから……!」
噛みしめた奥歯が凶悪な音を奏でて、襲撃しようかどうしようか悩んでいたらしいゴブリンたちが飛び跳ねた。眼光をくれてやると、諸手を上げて脱兎の勢いで駆けていく。
小さな背中を見送る内、再燃した憤慨は空しさへと変わった。
まあ、言ってしまえば、やり方を間違えた自分が悪かったのだろう。客の選び方も財力に目を向けるばかりで、周囲に気を配る余裕を忘れていた。逆に考えるんだ、今後の取引に支障があったかもしれないから、そもそも取引が始まる前に排除できて良かったと。
深く吐いた溜息で、思考をばっさり切り替える。
そうだ、確かこの辺りには泉があるとか弟に聞いていた。魔力をうっすらと湛えた澄みきった水の住まい。小瓶に一杯でも汲んでいけば、新しい調合の足掛かりになるかもしれない。必要ならまたエレクターに取りに来させれば良いよね。
道筋を決めれば迷わないのがエレスターナである。一転、意気揚々と──とまではいかないながらも軽くなった足取りで、獣道を逸れて歩き出した。
当然ながら人として、後悔という行為は好きじゃない。嫌いだ。後悔後に立つ。つまり、反省に生かすならともかく、二度とないであろう体験において、後悔など全く役に立たないものであるからだ。
かといって悔やまないほど猪突猛進な性格はしていないので、誠に遺憾ながら、後悔は結構、する。
「ひ、人!?人だ、良かったアア、ひ、ひとだアアアァァァァァァッ!ついに俺は第一村人を発見したぞ!俺の冒険はここから始まる!良かった俺の冒険始まる前に終わらなくて本当に良かったッ!」
今がそうだ。本日何度目の後悔であるかは数えたくもない。厄日だ。
天に拳を突き上げて快哉を叫ぶイケメン。最後の単語だけなら眼福と視線を向けたであろう、エレスターナと同じ年頃の、女らしくないほどには線の細い、上の中といった程度のイケメンは、だがしかし、天に拳を突き上げて快哉を叫んでいる時点でエレスターナの好みからは天地を突き抜けて外れた。
「ほんとに、ほんとに良かった!俺生涯でここまで人恋しくなったことねーわ!もう何か目が合った瞬間女神でも降臨したかと思った!多分酒樽みたいなオバチャンが包丁持って颯爽と登場してても天使かと思うレベルで寂しかったの俺!ありがとう、本当にありがとうッ!」
まさしく、目と目が合った瞬間のことだった。
泉のほとりに佇んでいた人の姿に、エレスターナは顔を歪めた。クソ先客か、と思わず踏み折った小枝の悲鳴に、弾かれたように男が振り向き、驚愕に目を見開いたかと思えば、滂沱の涙を流して破顔した。五体投地で伏せた様にドン引きした途端、清流がこぼれるような嗚咽を野太い雄叫びに変えて周囲の小鳥を飛び立たせた。公害である。
折角の整った顔立ちをありとあらゆる要素で台無しにしながら、よくわからん言葉の弾丸を撃ち放ち続けるよくわからん男の前に佇むイマココ。全く理解できないししたくもないので、さっさと泣き止んではくれないかと息を吐いて。
そうじゃん、別に構ってやる必要ないじゃん。
「おーおー、素晴らしき俺の女神──ってオォイ、どうしてそそくさときびすを返す!?」
「うちには変な人とは通りすがることすらするなって姉の教えがあんのよ」
「変な人とか失礼じゃね?教えがあまりにもハードル高くね?せめて変な人とは知り合いになるなじゃね!?」
「うっさいわね、知らない人と知り合うなって教えもあんのよ」
「コミュニケーションの輪を広げる努力を完全放棄するのとか、俺どうかと思うなー!頼む、頼むから見捨てないでッ!」
ついには魔王でも召喚するのかというほど高らかに歌い出した男を見なかったことにしようとしたエレスターナは、しかし俊敏に手を拘束されて舌を打った。
ひざまずいて両手を渾身の力で掴まれては、魔石を使うことができない。エレスターナは親愛の姉と同じく、魔石を使用せずには魔術を発動できないのだ。ていうかうちの家系は魔術回路がどこかで切れている家系らしく、誰一人として使えない。余談だが、回路切断が優性遺伝すぎて魔術師の血を混ぜても一切使える子は産まれなかったらしい。
せめて拘束が片手であれば、爆発魔術を封じた魔石で腕を爆散させて逃げ出せたものを!
「……なんとなくだけど、俺、今すげえ幸運を発動した気がする」
「は?あたしが運悪いって言いたいの?」
「いえそのようなことは決して」
近くで見ても崩れない美貌にもう一度舌打ちをして、仕方なく抵抗を諦める。
諦念が事態を進行することもある、という運の悪めな姉からの教えがあるのだ。ちなみに、絶対に諦めてはいけない事態も存在するから見極めが肝心であるとも苦々しい面もちで言われた。そんなんわかんない。姉が結構見極められていないのを見るに、経験がものを言う問題でもなさそうだし。
ローブの裾を払ってしゃがみ込む。話を聞く体勢を整えたエレスターナに、男は喜色満面の体でいそいそと尻を下ろした。
実は俺、と、一転深刻そうに真面目な顔をして話し出す。なんだ、やればちゃんとできるじゃない。
「気が付いたらここにいて、状況全くわかんねんだ」
「じゃ、あたしこれで」
早々に立ち上がったエレスターナの腰に、逃がすかと骨張った手が絡みつく。
「離脱が早い!んな露骨に面倒くさそうな顔しないで、もう少しくらい聞いて!親身になって俺の相談に乗ってッ!」
「だって、出だしから面倒くさそうじゃない」
「俺ほんとに困ってんのオオオォォォォォォォッ!」
「あら奇遇、あたしも変な人間にしがみ付かれて困ってんのよねー」
とはいえ、見る限りでは本気で困っているらしい。余裕ありげな調子の良い言葉選びに隠れて分かりづらいものの、中腰のエレスターナを見上げる眼差しは不安に揺れていた。
まるで、姉がいなくなってすぐの弟のようだと思う。
飄々と日々を旅する彼は、感情を表に出すのが下手くそで、気付けば追い詰められていたりする。姉や自分に気付かれると、ばつの悪そうな顔で悩みを白状するが、放っておけば自滅する。胃に穴を開けたおまえを看病するのは、弟の悩みに気付けなかった自分に、嫌いで仕方ない後悔をするのは、一体誰だと思っているのか。
そうして考えを巡らせてしまったら駄目だった。途方にくれた彼がどうするのか、幾通りの末路を想像すると、このまま放置するのは夢見が悪すぎる。
この類の人間は、腹の立つことに、譲歩の気配に敏感である。頭を痛めたエレスターナを気遣うフリで再度座らせ、逃がさないようまたも手を取って、勝手に話を再開した。
「俺、この森で起きる前、死んだはずなんだよ」
唐突に重い一撃がのし掛かってきて頭を抱える。
「……生きてるじゃない」
「いや、今は生きてんだけど、なんつうかトラックに轢かれてすっげえ痛くて、気ィうしなって、気が付いたら森にいて、凶悪な顔した動物に襲われて必死こいて逃げて、休憩してたらおまえ来て、現在に至ります」
「とら……?ちょっと、専門用語?を軽く解説するくらいの配慮見せなさいよ、聞いて欲しければ」
「あ、うん。……うん。専門用語……そ、え、やっぱそうなん……?そりゃマンガ脳だし、見たことない動物とか二足歩行の小汚いちっちゃいオッサン見てゴブリンじゃねえのとか何となく予想してなくはなかったけど……」
「説明する気がないんなら帰るわよあたし」
「俺だって混乱してんだよォ!」
何が何やらわからない。わっとうずくまった男の背を、子をあやすように叩く。不思議な手触りの服だった。
黒い、首の詰まった堅い服。目の粗いような細かいような、とにかくやったらしっかりとした素材である。立った襟には緻密な細工の施された金属が刺してある。縫製を指先で辿ると、引っ掛かりもなくするりと流れた。どれだけの金を積めば、ここまでの腕利きの裁縫師の服が手に入るのだろう。
視点を引いて見て、エレスターナは眉を顰めた。
あちこち跳ねた真っ黒い髪はあまり日に焼けた様子がない。肌は十分な栄養を得て艶やか。袖からのぞく無骨な手には剣を握る者特有のタコが存在を主張しているが、剣士と言い切るには、新米大人な年齢に見えるくせに、どこか抜け切らない子供特有の甘さを漂わせている。
自慢の魔石に手を届かせようかという容貌と、美しく仕立てられた上等極まりない服を総合して。
「……あんた、ひょっとして貴族?」
「貴族ってのが金持ちのことなら、胸張って自己紹介に組み込めるくらい一般市民!」
落ち込んでいてもレスポンスは早いようで何より。
良かった、さっきの今である。うっかりこの妙な男が貴族だった日には、失敗作の癒しの魔石の猛威によって、男が人間だった何かに進化だか退化だかを果たすところだった。人を傷付けるのを好むほど悪趣味ではないので、心底ほっとする。
僅かに唇を綻ばせたこちらとは対照的に、男は顔を青褪めさせた。おっと、口から独り言が漏れていたようである。独り言は痛い子の所行なので、自重せねばならない。
ひとしきり悶えに悶えて、気が済んだらしい男は意を決したように真っ直ぐにエレスターナに視線を向けた。それは思わず胸が高鳴りかける程度に凛々しい眼差しで。
「信じて貰えないと思うけど」
「なによ」
ごくりと鳴ったのどの動きを、待ちすぎて伸びきった気分でぼんやりと眺める。
──清々しい気分で立ち上がったのは、数秒後のことだった。
「俺、多分、異世界から来たんだ──待ってッ、そそくさと退散しようとしないでェッ!!」




