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俺の琵琶湖と少女と猫屋敷が暴走しすぎて困る

 新春バーゲンセールが行われたのは今から何カ月まえだっただろうか。少なくとも、今は秋と呼べる季節、青々としていた木々の色は変わり、老人達が紅葉を見るべく旅をする季節へと移り変わっていた。

 僕は老人ではない。けれども、こんな時期に旅をするという事だけでいえばそう大差ないのかもしれない。

 かくして、僕が旅行することになったのは千葉県。こんな前振りで語りだしておいてなんなのだが、目的は紅葉見物ではない。

千葉最大であり、世界最高の湖との呼び声高い名所、《リ・ヴィエール湖》。この場所に訪れる事を、僕は小学五年生の頃から夢見ていた。

揺れる馬車の中、牧場独特の臭いを持つ干し草を寝どころ代わりにしていた僕は、目を擦りながら眠気と戦っていた。

いくら移動手段がない千葉とはいえ、このような馬車、それも荷物運搬などに使われるような物を乗り物に選択しなければならない、ということは予想外でしかなかった。

少なからず不満を抱いていた僕なのだが、それでも今はましな方だった。

今から約三時間前には僕についてきた幼馴染が「草が臭い!」とハイセンスなギャグ風に喚き散らしていたのだ。

そんな、僕を余計に苛立たせていた幼馴染も眠ってしまえば可愛いものだ。

しかし、いくら幼馴染だとはいえ、こうした男女だけの密閉空間で無防備にも眠りに就くというのはどういった料簡なのだろうか。

行くか、退くか、迷っていながら悶々としていた僕を完全に覚醒させたのは、馬の鳴き声だった。それまで、かなりの長距離を走っているだろうに文句も言わずに静かに走っていた馬が何故……。

警戒の色を表しつつ、僕は幼馴染の肩を複数回叩いた。女性の体を扱うという以上、強く叩いたりはしなかったが、起すには十分な強さだったらしく、完全に睡眠状態だった幼馴染は大あくびをわざとらしくし、目を覚ました。

「何かが起きたかもしれない」

「何かって?」

「千葉にのみ存在するという──」

「ナシッフね!」

 僕が小声で話していたというのに、この女は何の気兼ねもなく大きな声で、僕が言おうとしていた生物の名前を言った。

「はい、正解……だが、もしそうだと分かってるなら声は小さくしてくれ」

「はーい」

 ふざけているようにしか思えない態度に、僕は拳を強く握りしめる。別に起こっているわけではない、本当だ。

 車輪の音は聞こえない、震動も、おそらく馬車は停止していると考えて間違いないだろう。大穴で震動がなく、慣性の法則すら存在しない夢のルートに到達した、という可能性も否めない。もしもそうならじっくりと眠らせてもらおう。

 幼馴染を馬車の中に残したまま、僕はゆっくりと扉を開け、外の様子を確認し始めた。

 馬車の後方には人の姿はない。そもそも人の気配が周囲に存在していない以上、何かがいるはずないのだ。もしもいるとすれば、人ではない何か……。

「ナッシー!」

 けたたましい雄叫びのような何かを発しながら、それは現れた。

「お、お前が……ナシッフか?」

 敵の姿はまだ見えない、だが言語による意思の疎通ができるのであれば相手の位置が探れるかもしれないと、無意味にも見える返答(?)のような事をした。

 案の定、僕の言葉に反応する音はなく、腰の背側に手を沿わせる。

僕は緊急用の大型包丁を容易に取り出せる体勢のまま、その声の主の傍へと寄っていった。

 球体の梨……に目がついた謎の生命体。僕の住むネオ東京でもまことしやかに囁かれて事から、一応対抗策などは調べていた。

怖くはない、ちゃんと成功すれば勝てる。

 そのコミカルな外見からは一切敵意などは感じ取れなかった。だが、それこそがナッシフの恐ろしさ、いつ攻撃するかが分からない。そんな行動予測が不可能な怪物を相手にした武道の達人達は、次々と虐殺されていったというのだから本当に恐ろしい。無論、これも噂なのだが。

 一歩、また一歩と、摺り足で進んでいく。間合いを急に詰められたらその時点で決着がついてしまう。

 僕は見てしまった。鮮血の赤を、そして……無残に飛び散る、黄色い物体を。

「(人間の……脂肪?)」

 恐れは焦りを誘発し、間合いを外れた一歩を踏み出してしまった。

僕が考えなしに、うっかりその一歩を進んだ瞬間、ナッシフは生命体とは思えない異常な動作で僕へと迫ってきた。その速度は外見からは予測もできない、おそらく普通車の法定速度限界程度は出ていたのだろうか。

 思考が加速する、だがそれに体は付いてこない。コミカルな生命体が迫る光景だけがスローモーションとなり、頭の中を巡っていく。

 死、それを感じた時、僕は目を閉じた。

******

 ナッシフとの激闘の末、僕は生き残った。

あの時、幼馴染が渡してくれた《対ナッシフ用のアレ》がなければ、きっと僕は今こうして立っていなかっただろう。

そうして無事に生き残った僕と幼馴染は、徒歩で目的地の湖まで向かう事になった。

なんだかんだ愚痴をこぼしながらも、幼馴染はついてきてくれた。彼女と一緒に居る間は、どんな不安も、心配も、吹き飛んで行ってしまうような気分だった。

目的地、《リ・ヴィエール湖》に到着した僕達は、その壮大なスケールに驚き、そして感動していた。

かつて存在していたという《ニシニフォン》と呼ばれていた大陸が沈み、自然発生した巨大な湖。多くの災禍の末に生まれたとはいえ、この美しさには目を見張るものがあった。

でも、僕がこの地に訪れる事を夢見ていたのはなにも、この湖を見る為だけではなかった。

《リ・ヴィエール湖》に伝わる伝説。この湖を見た男女は結ばれるという。まるで学校にでもありそうな伝説は、いわゆる都市伝説のようなものでしかないという。

科学的な根拠などを持たない、ファンタジックな話に誘われる人も多く、それによる被害がある水準を越えた辺りでメディアは科学的根拠を武器に、ある種の《禁止事項(タブー)》として扱っていた。

だが、多くの告白成功者達のクチコミが影響し、メディアの意見など関係なく本物の物だと思われているのが現状である。

「あの……さ、僕は……」

 僕は幼馴染に向き合い、告白しようと第一声を発した。だが、拒否されてしまうこそを恐れ、それ以上は喉が通行を許してはくれなかった。

『お前が告白なんてぇ……そりゃ世間はゆるしちゃくれりゃんせんよ』

 謎の語尾を付けている僕の喉(擬人化)は断固として通行止めの意思を変えようとはしなかった。

「ねぇ、私……実はあんたの事が前から好きだったの!」

 唐突な幼馴染の告白に、僕は沈黙した。

 だが、不安な気持ちはおそらく同じ、ここで答えなければ無要な心配を与えてしまうかもしれない。

 勇気のなかった僕でも、彼女の面目を立てる為とあれば進むしかない。

『通ってよかですよ』

 喉(擬人化)は許してくれた、という事にして僕は必死に声をひり出した。

「僕も好きだ!」

 こうして、僕と幼馴染は結ばれた。それが《リ・ヴィエール湖》の効果だったのかは、いまも分からない。




                     完


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