つつましき詐欺師
私の名前は喜乃字 縁。江戸時代まで遡れる由緒正しき高利貸し屋である。
初代は付け馬家業であったが、時代の移り変わりと共に今では明朗会計な高利貸しとして細々と営業をしている。けっして、非合法な消費者金融と一緒にしないで頂きたい。頂きたいが、明朗会計な高利貸しという矛盾にも突っ込まないで頂きたい。蛇の道は蛇とも言う。素人相手には質屋という慎ましい看板でお出迎えをしている。トイチでも確実に返済が可能な大口のお客様のみをお相手する信用第一の高利貸し屋だ。世の中には一般人が想像もつかない様々な職業があるものである。我が家の自慢は、先々代当主が当局に身柄を押さえられたとき、情報を一言も漏らさなかったことにより客筋からは一層の信頼を得て今尚商売繁盛であるという事だ。
そんな家に生まれた私は物心つく頃よりそろばんを習わされる。字を覚えるよりも先に数字を、珠の弾き方を覚えさせられる。兄姉弟妹、全て例外はない。
日本でおなじみの九九は勿論、最近では流行のインド式九九も取り入れられている。こと、数字の計算に関してだけはスパルタ教育な喜乃字家だ。他の教科に至っては例え赤点を取ろうと叱られる事はないが、算数、数学に関しては満点を取らないとお小遣いが減額という厳しい処置が与えられる。
基本、子供の小遣いは点数制となっている。一点が十円というレートで一教科満点を取れば千円となる。これは小学生の頃から変わらない。算数と数学のみが減点制なのである。仮に全教科満点を取得した暁にはボーナスとして一点が百円に変更される。残念ながら、我等全兄弟、未だこのボーナスを取得する機会に恵まれてはいない。
兄と姉の知恵を元に私以下弟妹も極力この小遣いを貯めている。必要最低限の文具費や学校の催しなどで必要となる経費は親が出してくれる。だが、携帯の基本料金は親が負担してくれるも、超過したパケ代などは自腹なのだ。放課後に友人とどこかへ立ち寄る、或いは休日にどこかへ遊びに行く場合の費用は、このテストの点数で稼いだ金を使用しなければならない。
可愛いキャラクターのついたボールペンやシャーペン、ノートやパスケース。箸が転がってもおかしい年頃の私としては、興味を惹かれるものはある。しかし、親もさることながら、ネットで格安な文具を通販しているため、私の使用する文具は大変に質素である。時には愛らしい文具を使用してみたい。してみたいが、自腹を切るには抵抗がある。家が金に困っているわけでもないというのに、所持品全てが地味である。年頃の女の子らしく可愛い物に囲まれたいという夢は叶いそうにもない。ちなみに衣服はバーゲンセールでのまとめ買いだ。姉の執念の賜物である。
他、我等兄弟姉妹が収入を得る場合、アルバイトを一番に想定するだろう。しかし、アルバイトに精を出せば学業が疎かになる。そうなると基本の小遣いが下がる。そこで出てくるのが祖父母の存在だ。祖父の将棋や囲碁を相手にし、勝てば小遣いというなの賞金がもらえる。祖母のお茶や生け花などで満足のいく出来栄えであればご褒美を頂ける。
こうして我等兄弟は生き馬の目を抜くがごとく、小遣いを取得するために余念がない。
そして、今――――私は正座で茶を啜ろうと湯呑みに口へつけようとしていた。正にその姿にて、我が家の居間に在らざる場所に居た。
慣れ親しんだ居間にて、淹れ立ばかりの茶の香りを楽しむように瞼を伏せて深く息を吸い込んだ。瞬いて視線を上げた先には、あるべき襖ではなく、西欧人らしき容貌の男たちが私を取り囲んでいた。
人とは、理解の範疇を超えると反応が鈍くなるのだなと、呑気に思いながらまずは正面に立つ男を見た。
魔法使いが着るような長いローブを纏った金色の長髪をした男。優男な風貌だ。その男が私に声を掛けてくる。
「召喚にお応え頂きありがとうございます、勇者様」
応えた覚えは更々無いのだが、男は私を勇者と呼びかけた。勇者、それはドッド絵なキャラクターが活躍し、悪を退治して回る某ゲームの主人公と同じ職業と思って良いのだろうか。残念だが私は一介の女子高生。しかも受験という人生に幾つかある大事の一つを迎える女子高生だ。それ以前に、夏休み前の期末を控えたとっても大事なイベント前、小遣いの有無を決める大事な時期である。私が予想する勇者という職業に間違いがないのであれば、そんな事に拘っている場合ではないのだ。しかし、淹れ立ての湯呑みが聊か熱い。そっと膝の前に置くと、自然に視線は私が座っている床へと向けられる。
なにやら仄かに青く輝いている細い溝が見えた。視界の及ぶ範囲で見ると、見知らぬ記号が散りばめられた円の中に私は座っているようだ。
「突然のお呼び立て、大変申し訳ございません。ですが、我等にはほかに成す術もなく、こうして勇者様を召喚せざるを得ない事情と相成りました。尽きましては、どうか我等の、キョウホ国、いえ世界のために魔王を倒して頂きたいのです。伏して、伏してお願い申し上げます」
真正面にいた優男は真剣な表情で土下座をしてきた。それにあわせて周りの連中も土下座をしてくる。
「…………」
将棋や囲碁、お茶や生け花に心得はあっても武道の類に覚えはない。体を動かすのは体育の授業のみで十分だ。バレーボールのアタックで魔王は倒せるのだろうか。ちなみに私は背も低くジャンプ力もないのでアタックが下手である。コートの後ろで前衛にトスを回す役割なら得意だが、それで魔王は倒せるのだろうか。素人考えながらとても無理に思える。
「勇者様、お願い致します」
真正面にいる優男の右手にいた若い美丈夫も伏せた顔を上げて訴えてきた。
「質問なんですが……」
「何なりと。しかし、ここでは冷えましょう。部屋を移動してから話の続きをいたすということで……」
顔を上げた優男が移動を促してきたがそれには頭を振って答える。
「いえ、このままで結構です。あなた方の仰る勇者とはどのような者の事をいうのですか?」
「は?」
優男がちょっと間の抜けた表情になった。
「つまり、その魔王を退治するために、剣やら何かを使って絶命させる者を勇者と呼ぶのですか?」
「え、えぇ……そうです。魔王の城へ赴いて頂く必要があります。勿論、道中は先鋭の者もつけます。魔王を屠るには至りませんが、魔族を相手にとってもけっして引けを取らない者たちばかりですのでご安心ください」
ご安心できません。
「生憎ですが、私はただの子供であり女です。その先鋭な皆様のように剣を振るうなどとてもではありませんができません。今まで一度もそんな重い物を持った事はありませんし、動物や人を殺した事もありません。そんな人間が魔王という生き物をいきなり殺せると思いますか? 私には無理です」
私の言葉に戸惑いながら連中は眉を寄せてひそひそと話し込む。
「剣の扱いでしたら訓練をしていただければ……」
「殺人の忌諱もですか? 殺人は道徳から外れた行いではないのですか? 子供も皆殺人は良しとされているのでしょうか」
「何を仰る! そんな事はありませんっ!」
「では、殺人を犯した事のない私がするのは構わないと?」
若い美丈夫さんは愚弄されたのかと思って憤ったように言い返してきたが、私が更に問い掛けると押し黙ってしまった。
「しかし……しかし、それでもなのです。それでも、我等にはもうアナタ様へすがるしか術が残されていないのです。どうか、世界を救って下さい」
小娘相手にとか、自分達の力及ばずとか、そういう諸々の悔恨を押し殺したような声で優男を始めとした皆が頭を下げてお願いをしてくる。
「……事情は分かりました。私に何ができるかわかりませんが、善処いたしましょう」
仕方ない。こうしてこの場に居る以上、私の帰宅権は彼らにあるのだ。情報を得るにしても帰宅させてもらうにしても、相手の言い分を些少なりとも飲まなければ動きようがない。
しかし、それはそれ。これはこれである。
私の返答に肩の力を抜いて安堵している連中へ引き続き問い掛けた。
「その前に幾つか取り決めたい事があります。まずですが、このお茶一杯は大体こちらで幾らくらいに相当しますか? 高級品でなくて一般的なお茶の値段で結構です」
「え。お茶ですか?」
私の膝の前においた湯呑みを指して問うと、優男は意図を測りかねて眉を寄せて考え込む。優男の左手にいた渋い中年がそっと進言をしてきた。
「おそらく五〇〇ルーガほどかと」
「では、アナタの月給はお幾らですか? アナタでも構いません。一ヶ月に支払われる給料を教えてください」
連中の中ではかなりの発言権を持っていると見做したので、優男と美丈夫に問い掛けた。
「無礼者! この方を誰と思っておるのだ!」
美丈夫の背後に控えていた老人が声を荒げてきたが、なぜ怒られるのか分からない。確かにいきなり給料を聞くのは無礼だったとは思うけど、物の価値が分からないのだからしょうがないじゃないか。
「知りませんし、今は関係ないじゃないですか。その五〇〇ルーガが安いのか高いかの判断で聞いているんですけど? 何か問題あるんですか?」
「……爺、少し黙っておれ」
美丈夫が老人を静かに諭し、私の方へと向き直る。
「特に給料というのは貰っていない。そうだな……一般的な男性がもらえる給料は十五万から二十万ルーガに対して、俺の場合だと五百万ルーガ辺りになるか?」
「予算枠では二千万ルーガを組まれてるかと。実際にご自由に使われているのは一千万ルーガ辺りではないでしょうか。我々には給料という制度がありません。ですが、私の場合は百万ルーガほどが自由に使えるお金を与えられております」
「分かりました。では、一日の給金として訓練を含めた肉体労働には百万ルーガ、衣食住及び諸々の経費はそちらでご用意下さい。また、危険報酬手当てとして一日五十万ルーガ。これでも一応は花も恥らう乙女ですので、傷一ヶ所につき十万ルーガの特別手当。また、魔王を無事討伐できた暁には成功報酬として二億四千万ルーガを。そして、法律及び宗教上でも罪とされる殺人を強いる精神的苦痛、更に生涯起こりうる心的外傷後の障害及び心身共に成長過程である健全な少女へ不健全な行為を強制させたという損害賠償に……」
労働条件の契約を述べていた私に堪えられなくなったのか、優男は眉間に渓谷を三本も作り上げて何かを叫んだ。
何を言ったのかと顔を上げると、普段見慣れている襖が目の前にあった。
どうやら無事に我が家へ帰還できたようだ。
ふと手元を見ると湯呑みがなくなっている。気に入っていたのだが、仕方がない。再びあの連中と会う機会はもうないだろう。
付け馬:借金取立て屋
トイチ:十日で一割の金利で当然違法