大英雄
若い身空で俺は死んだ。
実にバカな死に方だ。酔ってホームから転落、運悪くやってきた電車に轢かれたというわけだ。
まぁ、いい。済んだことだ。いや、よくはないがいいと思ってないとやり切れないからな。
それはさておき、今俺は雲の上にでもいるのかといったところだ。
上を見れば突き抜けるようなすがすがしい青空が広がり、下をみればドライアイスでも激しく焚いてるのかというくらい脛から先が見えないほど真っ白だ。
電車のけたたましい警笛から気づけば、煙というか靄っぽいものがふよふよと漂う場所に立っていたりする。
三六〇度見渡しても何も見あたらないこの場所で、ぼんやりとしてどれくらいの時間が過ぎただろうか。
何の変化も、訪れもなく無為に時間を過ごすのも飽きてきたし、そろそろどこかへ移動してみようかと歩き出したとたん、数歩先に突然女が現れた。
美人だ。俺好みドストライク。多分、万人が万人、美人と思うのではなかろうか。
慈愛に満ちたような柔和な笑み、程好いふくよかさは太ってるのではなく官能的だし、形の良い胸、くびれた腰に張りのある尻とボディラインも実に素晴らしい。
透けそうで透けない柔らかな白い布を纏った女は、ローマ神話やギリシャ神話に出てくる女神のような井出達だ。
「ありがとう」
何も言葉を発していないのに、美女は俺に素敵な笑顔を向けてきた。
何がありがとうなのだ。
「私はわかりやすく言えば女神と呼ばれる存在。あなたの思考が伝わるの」
ならば、あんなことやこんなことを……と思ったら背中にゾクッと寒気が走った。
「あら。結構、聡いのね。あまり変な事は考えないようにね?」
ふふ、と女神が悪戯めいた笑みを浮かべる。
邪なことはなるべく考えないようにしよう。
「さて。あなたは一つの人生を終えて新たな人生を迎えるわけなのだけど、今度生まれる場所は異なる世界。あなたはその世界で勇者となり救世主となる運命。只人が持ち得ない力を駆使し平和をもたらす人。その強大な力を授けるために、あなたにはここへ来てもらいました」
へぇ。とんでもない『力』を貰って生まれ変わるなんて、今度の人生は案外ラッキーなのか?
勇者な俺モテモテ、救世主だからお金もウハウハってか?
そんな俺の思いは筒抜けだろうに、女神はとくに突っ込まず、これから生まれる世界の話をしてくれた。
剣と魔法とモンスターが跋扈する世界とはなんてファンタジー。
地方の小さな村に生まれ、やがて使命に気づき神器を探す旅に出て、モンスターを根絶やしにし平和をもたらす……らしい。
面倒臭ぇと思ったとたんに女神が笑顔で睨んできたが、そのくらいは許してほしいものだ。
これからその神器を授けるために、女神様の宝物庫へ行って武器を選ぶんだと。
三つまで選んでいいんだってさ。
三種の神器みたいだな。
で、やってきたのがパンテオン神殿っていうの? 何本もある柱の上に屋根が乗ってるアレだ。
大の男が五~六人手を繋げたくらい馬鹿でかくてバカ高い柱がいっぱい並んでて、右を見ても左を見ても端が見えない。
間口の真ん中に廊下があって奥まで突き抜けているんだが、突き当たりは見えないほど奥行きもある。
人っ子一人、つか神っこ一人見あたらない静かな廊下を女神と二人で歩く。
左右にはぽつぽつと扉があって何かの部屋が並んでるわけだ。
そろそろ怠いんだけどなぁと思い始めたころ、ようやく一つの扉の前で女神様が立ち止まった。
「中には神器が数多とありますので、その中から三つ選らんできてください。私はここでお待ちしております。中には神器を管理する者がおりますので、神器の効果についてはその者へお訊ねください」
そう言って女神が突き出した片腕を下から上へと払うように振ると、俺の力じゃとうてい開けれそうにもない馬鹿でかい扉が音もなく開く。
微笑んだままの女神を伺いながら、俺がそろそろと室内に入ると扉は静かに閉まってしまった。
焦った俺はとっさに扉へ駆け寄るが、女神は待ってると言っていたし、さっさと神器を選んでお暇をしようと気を取り直す。
閉まった扉から改めて室内に目を向けると、そこは金銀財宝の山だった。
とりあえず、手近な場所に近寄り山と積まれた中から金色の物体を一つ手に取ってみる。
バットを寸胴にしたような金色の棍棒だった。
「それは荒ぶる神の武器。手に持てば万人を伏せさせる力を持ちますが、対峙する相手を撲殺せずにはいられない呪いが掛かっております」
俺の周りには誰もいなかったはずなのに、とつじょ背後から掛けられた声に思わず飛び上がって振り返った。
五センチくらいは確実に飛び上がっていたと思う。
振り返った先には赤毛の女が一人立っていた。
女神が言ってたこの財宝の山を管理している者だろうか。
赤毛――といっても、西洋人に見るような明るい茶色とかオレンジっぽい色合いではなく、絵の具の赤を塗りたくったような真っ赤な髪の色で床まで届きそうな長さだからインパクトが半端ない。
自分の常識から外れた見慣れない物を見ると、人というのは妙に不安な気持ちにさせられるのだとこのとき始めて思ったりしたのだが、目の前に立つ赤毛の女は格好も妙だった。
白人と思えるような白い肌、首を隠すように高いカラーのついたきっちりとした白い服。
きっちりというのは、さぞかし糊が効いてるのだろうと思わせる硬い布地だからなのかもしれないが。
型崩れしてない様子からきっちりとした服に思える。
肝心の顔は、分からない。
アラブというかベドウィンとかあの辺の踊り子といわれたら、最初に想像するのは透けた布で口を隠してブラとパンツという衣装を思い浮かべるわけだが、その口を隠すような布が額にあるんで目が隠されていてどんな顔をしているのか分からない。
透けていない光沢のある柔らかそうな布だ。
「え……えっと? アンタがここの管理してるって人?」
心臓に悪い登場をしてくれたもんだから、思わず声が裏返ってしまった。
「さようでございます。神器の特徴、由来、名、全てを把握しております」
大きくもなく小さくもなく、柔らかな口調で答えてくれる。
「へぇ……で、これは荒ぶる神の武器だったと?」
「はい。その神器を持てば全ての者が平伏します。しかし、彼の神以外が手にすればこうして目の前に立つ者を憎み、排除しようとする呪いが掛けられております」
「…………」
管理人の言葉に、俺は手にした棍棒と管理人を見比べ困惑する。
「ワタクシのこの姿は本来の物とは異なりますゆえ、排除しようという衝動は湧き起こりません」
「ちなみに、さっきの女神様に会ったら?」
「堪えがたい欲求が湧き起こることでしょう」
かすかに笑い含んだ言葉に、俺はそっと棍棒を元の場所へと戻した。
ついで手に取ったのは棍棒の少し先にあった、宝石のついた短剣である。
なにせ庶民なもので、あからさまに豪華そうな代物とは縁がないんでついついそういう派手な物に目が奪われてしまうのだ。
「そちらの短剣は例え不利な状況に陥ろうとも必ず勝機を手にする神器でございます。しかし、一度鞘から抜けば刃を血で濡らしておかねばならないという思いに囚われる呪いが掛けられております」
「…………」
俺は解説をしてくれる管理人を恨めしく見つめてから短剣を元の場所へと戻した。
けっして管理人が悪いわけではないのだが、このやるせない気持ちをぶつける相手が管理人しかいないので恨めしく思うくらいは許容してもらいたい。
それから、扉から奥へと向かいながら目に付いた神器を手に取り、管理人の解説を聞いたわけなのだが、槍を手にすれば栄光を手にするが誰かを串刺しにしたく呪いがついているだの、盾を取ってみればあらゆる殺意や害意も跳ね返してくれるが愛情とか好意も跳ね返すので疑心暗鬼になるだとか、金と地位はついてくるが狂人になるだとか、漏れなくついてくる呪いとやらが極端過ぎて、手に取る傍から元へ戻すを繰り返している有様だ。
光り輝く神器に目も痛くなり些かうんざりしてきたころ、さまよわせた視線の先に薄汚れた茶色の物体があった。
ミイラだ! と我が目を疑い素通りしかけて視線を顔ごとそちらへと向けて二度見をしてしまった。
一瞬見たときは干からびて茶色くなった皮と骨にしか見えなかったが、改めて見たら目の錯覚だったらしい。
茶色と思ったのは少し肌が浅黒いからか? インド辺りで沐浴でもしてそうな、腰に白い布だけを纏った男は俺よりもがっしりとした筋肉質で、その容貌も眉がキリッとしてて精悍って雰囲気だ。
なんでこんな生気溢れる男をミイラと思い違いしたんだろうか。
やはり、見慣れない物を見過ぎて疲れてるのだろうか。
男は俺に気付くと座り込んでいた床から立ち上がり言葉を掛けてきた。
「そなたも神に選ばれし者か」
「……まぁ、そう……なりますかね?」
「我は勇敢にして英知ある***の子****である。我が徳を認められ、こうして神世に招かれた。我は新たに生まれ変わり、世界を統べる王となるべく、我に相応しき神器を選別しておるところ。そなたも神に選ばれし者として、与えられる神器に恥ずべきことのないよう心されるがよろしかろう」
「はぁ、ありがと……」
なぜか名前だけは聞き取れなかったのだが、威丈高にも聞こえる挨拶に聊か気分を害しながらも腰を低くしてしまうのが日本人である。
取り合えず当たり障り無く礼を返しかけたが、男は自分の言いたいことだけを言うと俺の返事に耳を傾ける素振りどころか居ない者とばかりに神器選定へ戻ってしまった。
「…………」
いったい、何だというんだこの男は。感じが悪い男だな。
あからさまに顔を顰めながらも一部分だけなぜ聞き取れなかったのか不思議に思う俺へ、聞いていないのに管理人が教えてくれた。
さっきの女神同様、この管理人にも思考がダダ漏れのようだ。
「あなたの世界の定義で言うならば、あなたは魂という存在となってこの場におります。あなたが持っていた名、あの者が持っていた名は既に失われており、この場においては意味のない名です。そのため、あの者は名乗ったつもりでもその名を口にすることはできず、あなたもあの者の名を聞き取れなかったのです。さぁ、参りましょう」
管理人に促されて歩き出したが、それにしても話しかけておいて自分の用が済めばお構いなしとは勇者以前に人としてどうかと思うんだがな。
かすかな憤りをやり過ごせないでいた俺は、その場から離れながら違和感を覚えて男を振り返った。
再び床に座り込んだ男は神器を引っ張り出しては戻し、新たな神器を掴んでは戻してを繰り返している。
神器を見つめる眼差しを見て気が付いた。
そう、目だ。あいつの目がおかしかったんだ。
俺を真っ直ぐ見ているのに、俺が居ないかのような、素通りして遠くを見るような眼差しだったんだ。
初対面の相手へ印象良くしようとする笑顔を浮かべてはいたが、その笑顔は少し歪んでなかったか?
あいつ、いつからここにいるんだ?
そう思ったとたん、ゾクッと背中に悪寒が走った。
「この場に時間というものは存在しません。一瞬でもあり、また無限でもあります」
俺の思いを読み透かしたのか、管理人が問われる前に答えてくれたが分からん。
「…………なら、俺のいた世界でいうとどれくらいの時間なんだ?」
俺は震えそうになる声で口に出して問うと管理人は小首を傾げた。
目元を覆う布がさらりと揺れる。
「そろそろ億の年を数えるのではないでしょうか。あれほど悩む者も珍しいですね。どれを選んでも……」
「我は決めた! 決めたぞ! 我を裏切る者すべての首を狩り落とすこの鎌に決めたぞ! この鎌で兄上の首を狩り落としてくれるわっ!」
管理人の言葉を遮るように男の大きな声が響いた。
とっさに男を振り返ると、身の丈以上に長い鎌を掲げた男が消えた瞬間だった。
「あの鎌を持つ者は小さな嘘も見逃しません。対峙する者はけっして嘘をつけませんが、嘘をつこうとした者は、瞬きする間もなく鎌に首を落とされます。あの鎌がよろしいのでしたら……」
そう言葉を切った管理人は、男がそれまで座り込んでいた場所をじっと見つめて押し黙ってしまった。
そんな物騒な鎌はいらないんだが、微妙なところで言葉を切られたら気になってしまう。
よろしかったら何だというんだ。
管理人の視線の先を隣に並んで見つめて数秒、男が座っていた辺りに例の鎌がカランと音を立てて落ちてきた。
飴色に磨かれ金の細工が施された柄も、磨き込まれた輝く白刃も血塗れとなって。
「あんがい早く戻ってきましたね。あの鎌にいたしますか?」
「っ! い、いやっ。というか、何で戻ってきたんだ?」
「あの者が死んだからです。おそらく、討たれたのでございましょう。あそこまで血濡れになるのも珍しい。よほど恨まれたようですね」
ため息混じりにこぼした管理人に俺は慌てて詰め寄る。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 今居なくなったばかりでもう死んだって……っていうか! あの男は生まれ変わった世界で勇者となって平和をもたらしたんじゃないのか?」
「さようでございます。先ほども申し上げましたがこの場には時間が存在致しません。あの者は生まれ変わって相応の時間を過ごしたのちに死んだのです。また、確かに生まれ変わり、勇者となって世界に平和をもたらしました。ですが、神器は神の持つ物であり人が長く持ち続けられる物ではございません。簡潔に申し上げれば、じょじょに神器に人の心を喰われ平常を失います。世界に平和をもたらすほどの覇者が狂ったら……その後は自ずと分かるのでは?」
そう告げた管理人の唇がニィとつり上がった。
俺は漠然と理解した。
魂とはいえ所詮は人だ。管理人も言ったじゃないか。人の心を喰われると。
今の俺と同じように、呪いを持たないまともな神器をと選んでいるうちに、果てしない時間神器に囲まれていた男は魂が疲弊し狂っていったのだ。
ミイラに見えたのは、あの男の、本来の魂の姿だったのか?
いずれは俺もあの男のようになるのか?
俺はどうしたらいい?
そう――どう足掻こうといずれは神器に蝕まれるのだ。
あの男に遮られて聞き取れなかった管理人の言葉はこうだろう。
どれを選んでも結局は同じこと。
俺は生暖かさの残る血濡れた鎌へ近寄り手に取った。
だったら――――。
だったら、さっさと次の人生を終わらせたほうが手っ取早いよな?