【幸運と必然】 初めての言葉はクソジジイでした
大国と言えば誰しもが最初に名を上げるであろうスートニア帝国。
どの国よりも古き歴史を持ち、尽きる事のない豊富な資源を元に活気溢れる商いと、物資目当てに絶えず行き交う人が人を呼び込み金を落としていく。
国の懐が豊かであれば当然軍事に金を惜しむ必要もなく、スートニア帝国の軍事力は他国の随従を許さない。
栄耀栄華であるスートニア帝国の皇帝には皇妃と側妃が三人おり、一の側妃には二の皇子、二の側妃には一の皇子と二の皇女、三の側妃は一の皇女と四人の子供に恵まれてはいたが、皇妃だけが未だ子供に恵まれていなかった。
しかし、漸く皇妃にも懐妊の兆しが訪れ、無事に三の皇女となる娘を産んだ。
美姫と名高かった今は亡き皇太妃と同じ黒い髪にハシバミ色の目をした三の皇女は、前皇帝より皇太妃の名であるアテリーズを与えられ、前皇帝からは勿論のこと皇帝からも殊更可愛がられ、皇妃に至っては腹を痛めて産んだ我が子を憎く思うはずもなく、夜は乳母に任せはしたが昼は自ら母乳を与えるという可愛がりようと、帝国の権力者達の愛情を一身に受けた皇女であった。
その恵まれた皇女であるが逸話が多く、巷間に諸説が飛び交うほどである。
例えば――――。
元々、皇妃と側妃達の関係は仲の良い姉妹のように睦まじく、側妃の子供達も皇妃を敬い親しんでいた。
アテリーズが生まれてからというもの、兄弟達は代わる代わる皇妃の元へと訪れ、幼子の愛らしさに目を細める日々を過ごしていたのだが、アテリーズが生まれて半年ほどが経った頃だろうか。
その日は珍しくも兄弟全員が揃って皇妃とアテリーズの元へと訪れ、憩いの時間を過ごしていたのだが、そこへ嫌われ者のルードグ侯爵が押しかけてきたのである。
ルードグ侯爵はアテリーズの後見として名乗りを上げていたのだが、皇妃が快諾しない為にこうして何度も押しかけては必死に自分を推しているのだ。
後見と言ってもアテリーズは生れ落ちて直ぐに皇太妃の領地を頂いている上に、父方の財力は言わずもがなであるし、母方の実家も五大貴族の一家として名も高く、金銭的な意味での後見は不要である。
この後見とは、主に教育へ多大な影響を与えるのである。
取り入れる勉強、濃度、教師の選択、婚約者候補選びなど、時には母である皇妃や側妃よりも後見の方が強制力を持つのだ。
おっとりとした皇妃ではあるが、強欲で傲慢、権力を鼻にかけるルードグ侯爵を愛娘の後見とするにはやはり抵抗がある為、それとなく断っているのだがルードグ侯爵は一向に聞こうとしない。
連日と押しかけてくるルードグ侯爵に皇妃はほとほと困り果てていたのである。
「今日こそは、快い返事を頂きたい」
「そうはおっしゃられましても、アテリーズの件に関してはお義父様にもご相談しないといけませんので、私の一存では決められません」
「ですから、皇妃様より一言口ぞえを頂きたいとお願いしているのでございます」
短気であるルードグ侯爵の態度は子供の目から見ても横柄で、黙って様子を見ていた兄弟達もこれには思わず眉を潜め囁きあう程であった。
立場を弁えず、詰問するかのような口調で皇妃へ迫るルードグ侯爵を、流石に不愉快に思った一の皇子が諌めようと腰を浮かせかけた時である。
突如、アテリーズが疳でも起こしたかのように泣き叫んだのだ。
お腹が空けばアーと小さく声を上げ、おしめが汚れればウーと申し訳なさそうに訴える程度で、とかく乳飲み子らしからぬな泣かないアテリーズが力一杯泣き声をあげている事に、皇妃を始め侍女達も兄弟達も驚き慌て始めた。
「っく、ジ……ジー、やーっ! やーっ! っく、ジ……ジー! やぁっ!」
アテリーズに慌てて近寄り抱き上げて乳母があやすも、おさまるどころか一層激しく泣き声をあげる始末である。
しかも、その泣き声が幼子らしからぬ様子で、皇妃と乳母は困った表情で顔を見合わせる。
絶妙な溜めを入れて泣くアテリーズに、その場にいたルードグ侯爵以外の誰もがいつしか心の中で合いの手を入れていた。
そんな中、腹中というスキルが未修得である二の皇子が、皆が思っていたその一言を素直に口にしてしまったのである。
「っく「そ?」ジジー! ぃやーっ!」
ルードグ侯爵が咄嗟に、一の皇子に口を塞がれている二の皇子を睨みつける。
が、二の皇子の言葉に二の皇女が晴れやかな笑顔を浮かべて両手を叩き合せた。
「まぁ、アテリーズったら『クソジジイが嫌だ』と泣いているのね? もう言葉が話せるなんて、凄いわ!」
物怖じもせずに笑顔で言う二の皇女を誰もが驚愕して見つめる中、ルードグ侯爵は真っ赤となった憤怒の形相で、挨拶もそこそこに退出していったのである。
途端、力一杯泣き続けていたアテリーズはピタリと泣き止み、疲れ切った様子で乳母の胸に顔を埋めて寝入ってしまう。
皇妃と乳母、そして兄弟達がアテリーズをよくよく見てみれば頬は濡れた様子もなく、ただただ声を張り上げていただけのようであった。
「……アテリーズは皇妃様がお困りなのを見かねて助けたのかしら?」
「そうかもしれないね」
二の皇子と二の皇女が顔を見合わせて笑みを浮かべる。
その様子に、上の兄姉、そして大人達が苦笑を浮かべた。
その後もルードグ侯爵は幾度か皇妃を訪れたが、その都度アテリーズが泣き出すのでとうとう諦めたのか訪れる事はなくなった。
そして、どこからともなく城下へこの話が流れ、民からは特に嫌われていたルードグ侯爵は物笑いの種となり、良くぞやってくれたとばかりに生後半年にしてアテリーズ株が上昇する切っ掛けとなる。
スートニア帝国の三の皇女、アテリーズの逸話の中でも特に有名な話の一つである。