『ことば』は生きている
『ことば』は生きている。
ヒトの様に細胞で形作られているわけでもなく。大気の様に成分で構成されているわけでもなく。
しかし生きている。
いのちの形があるわけでもなく。目に見える何かであるわけでもなく。
しかし生きている。
『ことば』は拳よりも強い暴力で。『ことば』はナイフよりも鋭い凶器で。
誰かを傷つけて。誰かを殺めて。
『ことば』は音と共に紡がれて。『ことば』はキモチを形にして。
誰かを笑顔にして。誰かを幸せにして。
目には見えないけれど。触る事は出来ないけれど。確かにそこに『ことば』は生きている。
『あなた』のキモチを『誰か』に伝えるそれは時に無垢で。温かくて。冷たくて。優しくて。残酷で。
たった二文字の『スキ』で『あなた』は幸福を知る。
たった二文字の『シネ』で『あなた』は絶望を知る。
『あなた』の口から生まれた『ことば』は『誰か』の元に。
『誰か』の口から生まれた『ことば』は『あなた』の元に。
その『ことば』は『誰か』を幸福にも不幸にもするし、『あなた』を幸福にも不幸にもする。
『あなた』はそれを時にナイフとして『誰か』に向ける。
それは『誰か』を傷つける為?
それとも『誰か』に『あなた』を見てもらう為?
『あなた』はそれを時に花束として『誰か』に贈る。
そのキモチは『あなた』の心の声?
それとも上辺だけの口先の声?
不器用な『ことば』も器用な『ことば』も優しい『ことば』も醜い『ことば』もみんな『あなた』から生まれた『誰か』への贈り物。
それはきっとダイヤモンドより素敵な贈り物。
それはきっとゴミより醜い贈り物。
世界でたった一つだけの『あなた』から『誰か』への贈り物。
人生でたった一回だけの『あなた』から『誰か』への贈り物。
『物』だけど生きている。『ことば』は確かに生きている。
『あなた』のホンネもウソも全部生きている。キモチだって生きている。
けれど、口を閉ざしたままじゃ『ことば』は生まれない。
俯いたままじゃ『ことば』は生まれない。
生まれてこない事を望むヒトもいる。
そのまま永遠に眠る事を望むヒトもいる。
けれど、『誰か』を想っている『ことば』をそのままにしていてはいけないでしょう?
『あなた』の生もうとしている『ことば』は『誰か』に贈る為に生もうとしているのでしょう?
それが宝石みたいにきらきらしてるのだとしても。
それがナイフみたいに鋭いのだとしても。
いつか『誰か』に贈る為に。
『あなた』の中に『ことば』は生まれた。
『ことば』は生きている。
ダイヤモンドの様に輝いて。ナイフの様に傷つけて。
温かくて。冷たくて。優しくて。残酷で。
『ことば』は生きている。
目には見えないけれど。カタチはないけれど。
『誰か』を祝福する為に。『誰か』を傷つける為に。
『ことば』は生きている。
初めての短編……というか詩文調になった。
ちょっと連載の方が行き詰まって、ぼんやりとしていたら不意に「ことばは生きている」というフレーズが浮かび、気の赴くままに書き上げました。
ほんわかとはなりませんが、気に入って頂ければ幸いです。