表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔法の才能がなかった少年、実はフィジカルで世界最強でした。  作者: 冬自慢


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/3

覚悟

『荘厳なる大森林』。


 その仰々しい名前をつけた奴は、よっぽどの皮肉屋か、あるいは本当の地獄を知らない幸せな連中だったに違いない。


 ここは広大で、何者をも拒絶する剥き出しの大自然だ。間違ってもその辺の幸せなファミリーが、サンドイッチ片手にピクニックを楽しんで「良い思い出になったね」なんて笑い合えるような場所じゃない。


 この王国の数十倍はあろうかという絶望的な面積。天を衝くほどに生い茂った数十メートルの巨木。そこにあるのは、弱肉強食という名の極めてシンプルな、しかし残酷な生態系だ。


 そこには、人間を「客」としてではなく、単なる「タンパク源」としてしか見ていない危険生物たちが、涎を垂らして待ち構えている。


「こんなのとか、こんなのもいるわけだけど」


 俺は地面に、泥濘を指でなぞって図解を描いていく。


「うげぇ……きもい。出くわしたくないわね」

「……」


 まずは、お互いの手持ち情報の擦り合わせだ。


 身の上話やドラマチックな生い立ちなんてものは、生き延びてから旅の肴にでもすればいい。今必要なのは、明日の朝を無事に迎えるための「カード」だ。

 この森の植生、魔物の習性、あるいはサバイバルの小細工。とにかく生き残るための知識を出し合わないかと提案したところ、素直な二人は快く了承してくれた。


「特に、この『無情蜘蛛むじょうぐも』。こいつとだけはエンカウントしたら本気でまずい」


 俺が描いた多脚の怪物を見て、シャノンが首を傾げた。


「なんで無情? 表情が読めないとか?」


「違う。情が無いから無情なんだよ。こいつには慈悲なんて概念はない。たとえ泣き叫ぼうが、親の名前を呼んで命乞いをしようが、食うのを止めない。……生きたまま、少しずつ腹わたからムシャムシャと食べられていくんだ」


「うぅ……」


 案の定、ラティナが恐怖で顔を引き攣らせた。


 いやね、俺だって別に趣味で女の子を怖がらせているわけじゃない。


 けど、これが事実だ。知らないまま森に入れば、それは単なる自殺志願者だ。厳しいようだが、自分の身だけでなく俺たちの命まで危険に晒すことになる。


「ラティナ……大丈夫?」


 シャノンが心配そうに声をかける。


「はい……大丈夫です」


 消え入りそうな声。


 シャノンから「本当に大丈夫かなぁ?」という無言の視線が送られてくるが、俺は両手を広げて「うーむ」と唸るしかなかった。


 正直に言って、ラティナはこの試験や、この森という環境に対してあまりにも場違いだった。


 街の角にある花屋で、エプロン姿で花を売っているのが似合うような、小さくて華奢な女の子だ。


 まあ、泥水を啜って生きてきた俺が人のことを言える義理じゃないが、少なくともレイピアを腰に下げたシャノンや、一応は魔術の構成を理解している俺には、抗うための「心得」がある。


 だが、彼女はどうだ?


 震える細い指。逃げ出したいのを必死に堪えている瞳。


 果たして彼女は、この「緑の棺桶」の中で、俺たちの足を引っ張らずに歩き通せるのか。


 俺は、自分の冷酷なまでの計算高さに嫌気がさしながらも、彼女の横顔を観察し続けていた。


「リヒトってすごく物知りなのね。正直言って私1人じゃこんな種類の怪物覚えられないし、これだけの情報を集めるのも無理だわ」


 シャノンが、地面に描かれた泥の図解をまじまじと見つめながら、感心したように息を漏らした。


「生きるための術だからね。今回の試験がたまたま、俺の得意分野だっただけだよ」


 俺は平然と答えたが、これは謙遜でも何でもない。

 これまで何度も、郊外の森へは足を運んできた。薬草の採取、武器の素材、あるいは市場で高値がつく珍しい食材……。それらを手に入れることは、俺にとって「勉強」ではなく「食事」に直結する死活問題だったのだ。


 無論、戦闘は極力避けてきた。まともな魔力も持たない俺が、魔物と正面からやり合えば、結果は見えている。


 だがその分、自然に生息する生き物の知識だけは、そこらの冒険者にも負けない自負がある。


 針一本で大の大人を絶命させる奇虫から、音もなく背後に忍び寄る獰猛な肉食獣まで。森という場所は、侵入者の命を奪うための洗練された「システム」で満ちている。それを知っているか否かは、合格以前に、生きて帰れるかどうかの境界線になるんだ。


「……シャノン、お前の方は何か情報はないか?」


 俺が話を振ると、シャノンは少し考え込むように視線を泳がせた。


「そうね……。私が出せる有用な情報はこれ。――『花嫁の可雫』がどこにあるのか」


 その言葉に、俺は思わずシャノンと目を合わせた。


「それは、どんな場所に生息しやすいかっていう生態の話か?」


「いいえ。この『荘厳なる大森林』の、具体的にどの地点にあるかって話よ」


「……そりゃ、凄いな」


 俺は正直に驚きを口にした。


 この広大な迷宮のような森で、目標物の正確な位置を把握している。それは、真っ暗闇の中で唯一の灯火を持っているのと同じだ。


「でしょう?」


 シャノンはフフンと鼻を鳴らし、勝ち誇ったように得意げな笑みを浮かべた。


 その自信に満ちた表情は、どこか育ちの良さを感じさせると同時に、彼女もまた、この日のために並々ならぬ準備――あるいは特殊な「コネ」を駆使してきたことを物語っていた。


 俺の「生存知識」と、彼女の「目的地への地図」。

 バラバラだった俺たちのピースが、少しずつ、生存という一つの絵に向かって噛み合い始めているのを感じた。


 だが、隣でまだ一言も発せずにいるラティナだけが、依然として深い霧の中にいるような、得体の知れない不安を感じさせていた。


「『大森林を4日ほど歩き、見えた二つ山を超えた尾根先。帰らずの盆地に雫あり』。――これが私の握っている情報のすべてよ」


 シャノンが朗々と、何かの予言でも唱えるように口にした。


「帰らずの盆地、か……」


 俺はその名前を舌の上で転がしてみる。


 いかにもなネーミングだ。一度入れば二度と出られない。あるいは、戻ってきた者がいないからそう呼ばれるようになったのか。いずれにせよ、そこがこの「緑の棺桶」の最奥であり、心臓部であることは間違いなさそうだ。


「ええ。まあ情報って言ってもこれだけなんだけどね。でも、闇雲に歩き回って原生生物の胃袋に直行するよりは、よっぽど建設的だと思わない?」


「ああ、十分すぎるほどだ」


 俺は頷き、視線を隣の少女へと向けた。


「ラティナは何か知らないか? どんな些細なことでもいい。噂話程度でも構わないんだが」


「……」


 ラティナは、震える首を左右に小さく振った。


 彼女は今にも泣き出しそうな、申し訳なさそうな顔で「……ごめんなさい」と、蚊の鳴くような声で謝罪した。


「大丈夫だよ。気にしなくていい。情報の有無で仲間の価値が決まるわけじゃない。みんなでできること、やれることをやっていけばいいさ」


 俺は努めて穏やかな声で返した。


 正直に言えば、彼女が「何も持っていない」ことは最初から織り込み済みだ。期待しすぎて裏切られるよりは、ゼロだと思って接するほうが精神衛生上よろしい。


「ところで、支給された食料と水なんだが」


 俺は試験官から渡されたずっしりと重い麻袋を、無造作に足元へ置いた。


「これ、ほとんどここに置いていこうと思う」


「ええっ!? ちょっと、何言ってるのよリヒト!?」


 シャノンが素っ頓狂な声を上げた。当然の反応だ。


 一週間のサバイバルにおいて、食料と水は命そのもの。それを捨てると言うのだから、正気を疑われても文句は言えない。


「落ち着け。理由はある。まず水だ。この森には川もあれば、魔力を含んだ植物が蓄えている水気もある。重たい水桶を抱えて歩くより、現地で調達したほうがはるかに効率がいい。この重量を持ち歩き続ければ、目的地に着く前に俺たちの体力は底をつく」


 俺は指を一本立て、理屈を並べていく。


「それから食べ物だ。中身を確認したが、半分は干し肉や干物といった保存食だが、残り半分は数日で腐る可能性が高い生ものばかりだ。……おそらく、試験官の嫌がらせか、あるいは『判断力』を試しているんだろう」


「判断力……?」


「ああ。重さに耐えて鮮度の落ちた肉を食い、腹を壊して脱落するか。あるいは、潔く捨てて身軽になるか。俺たちは後者を選ぶ。生き残るために必要なのは、余計な荷物じゃなく、一歩でも先へ進むための脚力だ」


 俺は麻袋の中から、長期保存が効くものだけを厳選し、手際よく自分のザックへと詰め直した。


「厳選して、残りはここに置いていく。……シャノン、ラティナ。文句はないな?」


 俺の冷徹なまでの提案に、二人は顔を見合わせた。

 シャノンは呆れたように肩をすくめ、ラティナはただ、俺の背中に微かな希望を見出すように見つめていた。


 平穏への道は、まだ始まったばかりだ。


 俺たちは、軽くなったはずの荷物と、それとは対照的に重くのしかかる「帰らず」の名を背負い、深緑の闇へと足を踏み入れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ