操作の場
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
みんな、なぜものが冷えると長持ちするようになるかは知っているかな?
――そう、微生物の活動が減っていくからだね。
物が腐敗していくのは微生物のはたらきによるもの。10度を下回った環境だと、彼らの動きはどんどん悪くなっていき、結果として物は傷まずに済むというわけだ。
他の生き物の動きをコントロールして、自分に都合のいい結果をもたらしていく。人間にとっての「腐敗」と「発酵」の違いのようなものかもしれない。俯瞰的に見たら「なんてひどいことを」と思う人もいるだろうね。
しかし、我々ですらひょっとしたら、もっとでかいものに都合よく動かされているケースだってあるかもしれない。たいていは気づかず、安穏と過ごせていて、向こうもそれを望んでいることだろう。
だが、運悪くその「ほころんだ」ところへ出会ってしまうとなれば……どうだろうね。
先生のむかしの話なのだが、聞いてみないか?
先生の母校は、今はもうない。うん十年前に学校の統廃合の波にのまれてしまってね。先生たちの代が3年間をそこで過ごせた、最後の代だった。
統廃合の大きな理由と言えば、生徒数の減りなどが考えられそうだが、先生たちの代でも例年に比べてそう人数が減ったように思えなかったな。ゆえに、直後の代から急に募集を打ち切ることになったから「?」が頭に浮かんだよ。
その学校での3年間は、授業そのものは特におかしいところがあったわけではない。ただ隔週で一回ずつ、全校集会を開いていたんだ。
それだけだったら、別によその学校でもそういうことあるんじゃない? という声もなくはないだろう。だがウチの場合は、特に用がないときでもきっちりと集会の時間をとる。
校長先生の話によると、「今日は○○という人が生まれた、なくなった、あるいは技術の○○ができあがった」とか、よくもまあ古今東西から引っ張ってくるものだったよ。それの記念日ということで、みんなしてお祈りを捧げるというのが名目。
そりゃ、こじつけもいいところでクラスメートたちとも「なんで、こんなことするんだ?」と疑問をかわしていたよ。校長先生をはじめとする、学校側の気まぐれ……と片づけるにはいささか力が入りまくっている。
その理由の一端らしきものを垣間見ることができたのは、冬ごろのことだ。
例の集会をやる日。
このときはインフルエンザの流行で、学校全体の5分の1以上が休んでいたなあ。普通なら学校閉鎖が検討されてもおかしくないくらいだろう。
それでも先生の母校は学校を開き、集会も開いたが、そのときの異様さはあそこに居合わせた当時の生徒なら、誰でも思い出せると思う。
明らかに校外の子がいるんだ。
ウチの学校の制服こそ着ているものの、今日はじめて見る顔ぶれが大半。それに加えて、先生がこの学校へ来る前にいた学校の生徒の顔もあったことから、どうやら近辺の学校生徒に協力を呼び掛けていると見えた。
集会は、形の上だけならば普段と変わらない人数がそろう状態となったんだよ。そうして予定通りに始まる、校長先生の話。今日はかつて、この一帯が戦火にさらされて焼け野原になり、多数の犠牲者を出した日であるとのこと。
それが世に知られる大戦のことなのか、もっと昔の戦の話なのかはぼやかされていたよ。これまでの集会でもよくあった流れでもあり、先生たちも「ここはいつも通り」とかえって安心感を覚えた。
この後、生徒たちはそろって黙とうを捧げる。特に差し迫った内容のない集会では、これが大部分だ。校長先生からの指示があるまで何分かでも目をつむり、祈ることになるのだけど。
黙とう開始からしばらくして。
にわかに、ざわつく物音がした。校外から参加した人が固まっている方向からだった。
「誰かに体を触られた」
多少の言葉の違いこそあれ、要旨はそのようなことだった。
目を閉じる前の記憶間違いでなければ、彼らはたがいに相応の距離をとっていたはずだ。多少、身体が動いたところで接触されるとは思えなかったのだが……などと考えた矢先。
先生も感じた。足の裏からだ。
何かが先生の足の裏をくすぐるようになでている。ここはグラウンドで、先生は底の厚めなスニーカーを履いているにもかかわらず、それをものともしていないようだった。しかも時間とともに、なでる感触はしびれや、とげだらけのいばらをこすりつけられるような痛みを伴っていき、つい先生もじたばたと足踏みしてしまう。
この感触はたちまちのうちに伝播し、集会参加者の皆が騒ぎ出す事態となる。
「静粛に!」
同じ言葉を三度、校長先生がマイク越しに発して、いったんは動きを止める皆。けれども、その表情には先ほどまでの退屈そうなゆとりはなく、焦りや不安が浮かんでいる。
集会の続きが決行されることはなかった。そのまま先生たちは並んだまま各々の教室へ戻り、しばし待たされた後に強制的に下校させられる運びとなる。
先生の足の裏はというと、最初の数時間は肌が赤くなるだけだったが、夕方ごろにはじんましんを思わせるブツブツが顔を見せ始めた。指先で触れると、思ったよりも硬い感触で、集会のときに触れてきたあいつが幻じゃなかったような気がしてくるんだ。
それでも夜になると、ほとんどおさまってしまい、翌日にも持ち越すことはなかったよ。
おそらくみんなも、多かれ少なかれ先生のような体験をしたのだと思う。しばらくは出席者の数は振るわず、数日間の学校閉鎖が今度こそ行われた。
集会そのものは以降も開かれ続けたが、それまでインフルで休んでいた面々も復帰すると、もうあのときのように、どこからか出し抜けに触れられるようなことはなくなったんだ。
今、元母校の敷地は大規模な倉庫がいくつも建ち並ぶようになっている。どうも県外の企業のものらしくて、誰も詳しいことは分からずにいるんだ。
ひょっとしたらあの集会、先生たちを嫌な目に遭わせるのではなく、むしろそういう目を遠ざける効果があったんじゃないかと思っている。それが純粋に集会という形ではまかなえなくなり、ああした謎の倉庫たちに頼ることになったんじゃないのか、と。