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第13話:覚醒の刻

 如月の目の前では、まるでファンの集いのように女子選手たちが群がっていた。


 笑い声や黄色い歓声が渦を巻き、華やかな香りと熱気が漂う。普段、男同士の荒々しい汗と声が支配する男子プロレスの会場ではまず見られない光景だ。如月は一瞬、場違いな場所に迷い込んだのではないかと錯覚するほどで、思わず足を止めてしまった。


 そのざわめきの中心に、ひときわ存在感を放つ人物がいた。ミディアムショートの髪がライトに照らされ、艶やかに揺れる。軽やかな立ち姿は、鍛え上げられたアスリートであると同時に、舞台女優のような華を備えている。


 彼女の周囲には自然と人の輪ができており、後輩レスラーたちが憧れと親愛を入り交じらせた視線を注いでいた。


 その女性が、不意に如月を見つける。途端にその瞳が輝きを増し、迷いのない足取りで人垣をかき分けてくる。まるで観客席から舞台へ飛び移ったかのような大胆さに、如月の胸がどきりと跳ねた。


「やあ、如月、ただいま。君の顔を見るために、態々急いで戻ってきたんだ。元気だったかい?」


 柔らかな声色に、しかし妙な押しの強さを感じて如月は言葉を失った。その場にいる誰もが彼女の存在感に引き寄せられている。まるで彼女自身が舞台の主役であり、如月は突然その相手役に指名された脇役のような気分だった。


 その言葉と同時に、彼女は如月の両手をしっかりと握り、そのまま迷いなく抱きしめた。ふいを突かれた如月の耳に、ロビーを揺らすような黄色い悲鳴が飛び込んでくる。歓声とも悲鳴ともつかぬその響きは、女子レスラーの世界ならではの熱気そのものだった。


 胸の奥を直に押し当てられるような距離感。体温と柔らかな圧力、そして甘やかな香りが一気に押し寄せてくる。


 如月の知る抱擁といえば、男同士の強烈に暑苦しいベアハッグしかない。汗と力のぶつかり合いに比べれば、目の前のそれは全く異質なものであり、逃げ場のない異世界の感覚に近かった。


 かわす間もなく抱きつかれた如月は、むせ返るような女性特有の匂いに思わず息を詰まらせる。喉に引っかかるような感覚が残り、思考が追いつかない。


「どうしたんだい?ハニー、久しぶりだから驚いたのかい?」


 耳元で甘く囁かれる声に、如月の背筋は無意識に強張った。彼女――皇翼すめらぎつばさは、ようやく名残惜しげに腕を解く。解放された瞬間、如月は深く息を吸い込み、胸の奥で小さく呻いた。


(……だめだ、この女くさいのは、どうにも慣れん……)


 香水とも汗とも違う、女性特有の甘さと体温の残り香が、なおも身体にまとわりついて離れない。男同士の泥臭い取っ組み合いなら何度でも受けてきたが、今のような柔らかな抱擁は、むしろ息苦しい。


 そんな如月を心配そうに覗き込む。その仕草1つすら、後輩たちには羨望の対象となる。


「皇先輩、私たちも……!」


 黄色い声が一斉に上がり、憧れと羨望を帯びた瞳が皇へと集まる。その光景を見て、如月はますます場違いな異邦人になったような気がしていた。


 皇と呼ばれたその女性は、にこりと微笑み、後輩たち一人ひとりを順に抱きしめていく。その光景を見ながら、如月は「男子ではありえん……」と呟き、そっと立ち去ろうとした。


 しかし背後から、皇の声が追いかけてきた。


「ちょっと待ってくれないかなハニー。実は君に頼みたいことがあるんだ」


 振り返った如月の視線を、皇は逃さずに受け止める。その両目には、からかいや戯れでもない、確かな熱が宿っていた。彼女の手が自然に如月の腕へと添えられ、抗う間もなく導かれていく。


 周囲の視線が集中する中、皇は堂々とした足取りでロビーの奥へ進み、如月を伴って歩を進めた。舞台裏へ消えていく二人の後ろ姿に、残された選手たちのざわめきが広がる。


「……なんの話でしょうかね?」


「気になる……」


 島村と望月は顔を見合わせ、興味津々といった面持ちで密かに後を追った。


 やがて皇と如月が足を止めたのは、重厚な扉の前だった。社長室――団体の中枢を象徴する場所である。


 皇が一度だけ深呼吸をしてからノックすると、中から落ち着いた声が返り、二人は静かに中へと消えていく。取り残された島村と望月は、好奇心を抑えきれず、忍び足で近づき、扉にそっと耳を当てた。


 中から洩れ聞こえてきたのは――如月の正式なラーブ昇進の決定、そして皇の強い意向により翌日から本隊へ合流し、皇のスパーリングパートナーとして本格的な指導を受ける、という重大な話だった。


 その瞬間、島村と望月の胸に電流のような衝撃が走る。思わず顔を見合わせ、驚きと喜びの入り混じった声が漏れ出た。


「えっ……!」


 その小さな声が、あまりに静かな廊下では大きすぎた。


 次の瞬間、社長室の扉が音もなく開き、重厚な影が二人に覆いかぶさる。仁王立ちした斎藤――。


 その存在感は扉の枠を埋め尽くすかのようだった。険しい形相ではない。だが、低く沈んだ眼光と、鍛え上げられた巨躯から放たれる圧力だけで、二人の背筋に冷たいものが走る。


「……お前たち、そこで何をしている?」


 地の底から響くようなどすの利いた声が、廊下の空気を震わせた。望月は咄嗟に口を開く。


「えーっと……道に迷っていたら、ここに……」


 しかしその言葉が最後まで言い終わる前に、斎藤の視線が鋭く射抜く。氷のような静けさを帯びた眼差しに、望月の言葉は喉奥で凍りついた。


「会話を聞いていたな?」


 低く響いた問いに、逃げ道はなかった。二人は顔を見合わせ、観念したように「……はい」と同時に答える。


 斎藤は深いため息をつき、肩をわずかにすくめると、社長室の中へと目をやった。すると、本田が微動だにしない表情のまま、静かに顎を引いて二人を招き入れる。


 扉をくぐった先に広がっていたのは、意外なほど簡素な空間だった。絢爛な調度品も、華やかな装飾もなく、必要な机と椅子があるのみ。女性社長の部屋にありがちな柔らかさや艶やかさすらない、無骨さが漂っている。


 そんな場の空気を和ませるかのように、如月が二人を見て、ニヤリと笑った。「お前たち、何やってんだよ」と言いたげな表情に、島村と望月は思わず気まずくうつむく。


 その静寂を破るように、本田が口を開いた。


「島村さん、そして望月さんでしたね。――ちょうど、あなたたちも呼ぼうと思っていたところです」


 予想外の宣告に、二人は息を呑んだ。胸の奥を掴まれたように心臓が跳ね上がり、目を大きく見開く。


「実はあなた方にも、このままラーブへ昇進してもらい、本隊に合流して正式に活動してほしいのです」


 本田の静かな声は、しかし決定を覆す余地のない響きを帯びていた。島村は反射的に声を上げる。


「えっ……私たちが……?でも、まだギフトに目覚めていません!」


 その声は震え、必死に抗うようでありながらも、どこか希望を否定しきれない揺らぎを含んでいた。


 しかし本田は柔らかな微笑を浮かべ、諭すように言葉を返す。


「いいえ。あなたたちはすでにギフトに目覚めています。ただ、まだその力を使いこなせていないだけです」


 信じがたい言葉に二人が唖然とする中、斎藤が重々しい声で続ける。


「これは私自ら社長に進言したことだ。……お前たちは間違いなくギフトに目覚めている。この私が保証する」


 その一言には絶対の自信と、揺るぎない確信がこもっていた。島村と望月の胸に、熱い衝撃が広がっていった。


 島村は込み上げる感情に耐えきれず、瞳から大粒の涙をこぼした。長い間押し殺してきた不安や焦燥が一気に解け、胸の奥からあふれ出す。


 隣で望月は、まだ信じられないというように目を瞬かせ、戸惑いの視線を如月へと送った。すると如月は、からかうような笑みではなく、穏やかで力強い笑みを浮かべ、静かに親指を立ててみせる。


 その仕草に望月の頬はたちまち赤色に染まり、慌てて俯いた。だが、喜びを抑えきれず、気づけば島村と抱き合っていた。


 二人の震える肩が重なり合い、その姿は、夢がようやく現実へと繋がった瞬間を映していた。


 斎藤は表情を崩さないが、その瞳には確かな喜びが宿っていた。


「それで、斎藤コーチ……私たちのギフトは一体?」


 島村の問いに、斎藤が静かに告げる。


 二文字ギフト――察知。


 発動と同時に、周囲の人間の思考や感情が“さざ波”のように脳裏へ流れ込む。言葉にならない衝動や潜在意識までも感知し、相手の行動を一瞬先に見抜くことが可能となる。


 攻防の場面では、敵の次の動きを察し、致命打を回避することができる。相手の心の乱れや迷いを感じ取れば、攻撃のタイミングを外させることすらできる。


 また、察知の力は「癒やし」にも転じる。周囲の精神の痛みや疲労を共感的に感知し、それを“静める”ように波を還すことで、タッグパートナーの心身を落ち着かせることができる。


 重傷を直接治すことはできないが、動悸や頭痛、恐怖心といった“内的な苦痛”を和らげることに優れている。


 ただし、他者の思考や感情が絶え間なく流れ込むため、長時間の発動は術者の精神をすり減らす。雑念や怒気に曝されれば、逆に自身が精神的疲労や混乱に陥る危険もある。


 静かに寄り添うか、リングで一瞬を見抜くか――それが「察知」の本質。


 二文字ギフト――剛体。


 発動と同時に、全身の筋繊維は膨張し、骨格は密度を増す。身体そのものが質量兵器と化し、一歩踏み込むだけで地面が沈み、拳や蹴りは常人の数十倍の破壊力を発揮する。


 タックルや突進は質量を押しつける暴威と化し、鉄扉すら紙のように砕け散る。まさに「体そのものが攻撃手段」という単純かつ絶対的な力の化身である。


 だが「剛体」は攻撃特化の代償として、防御面はむしろ低下する。筋繊維の膨張によって柔軟性が奪われ、素早い動きや回避が困難になる。打撃を受けた際の“しなり”や“受け身”が効きにくく、相手のカウンターをもろに食らうリスクも高い。長期戦になれば全身にダメージが蓄積し、巨大な質量は逆に自分の足枷となる。


「剛体」とは――圧倒的な質量攻撃で相手をねじ伏せる代わりに、防御を捨てた捨身のギフト。


 島村はしばし呆然と立ち尽くしていた。


 これまで当然のように「自分は治癒型」だと信じていた。プロテストで示された結果は、そのまま彼女にとって未来の指針であり、自分を形作る拠り所でもあった。仲間を支え、傷を癒やし、後方支援で味方を守る――それが自分の役割だと、疑いもしなかったのだ。


「……私、治癒型じゃなかったんだ……」


 小さなつぶやきは、驚愕と困惑が入り交じった心情そのままに、弱々しく漏れ出た。島村の肩は小刻みに震え、握りしめた拳には白く爪跡が刻まれている。


 場の空気を切ったのは如月だった。彼女は眉をひそめ、簡単には飲み込めないというように口を開く。


「どうやって、そんなに細かく判断できるんだ?」


 一見淡々とした問いだが、その裏には仲間を思う真剣さと、まだ信じきれない気持ちが滲んでいた。


 如月の問いかけに対し、斎藤は微動だにせず、重々しい口調で答えた。


「お前たちが日々使っているプッシュアップバーがあるだろう。あれこそが、精密な査定の鍵となるものだ」


 島村と望月は思わず目を見開いた。あの、汗にまみれて何万回と繰り返してきた無骨な腕立て器具に、そんな秘密が秘められていたとは――二人の頭にはただ驚愕と混乱だけが走り、言葉を失った。


 斎藤はわずかに目を細め、続ける。斎藤の声は低く、揺るぎない確信を帯びていた。


「あれはただの道具ではない。三女神の恩恵を受けて育った神木から削り出された特別なものだ」


 彼女の言葉に、島村と望月そして如月は息をのむ。無骨な器具にしか見えなかったプッシュアップバーに、そんな神秘が隠されていたとは思いもよらなかった。


「その木が持つ神聖な力は、使用者の奥底に眠る素質を呼び覚まし、内に潜む本来のギフトを浮き彫りにする……私はその波を読む」


 如月は眉をひそめる。波?そんなもの、感じたことはないと。


「お前たちにはまだ分からんだろう。しかし戦いとは元来、相手の呼吸や視線、癖の一瞬を見抜いて隙を突くものだ。察知型なら波は細かく速く、剛体型なら地を叩くように重い。――己の素質は、いくら隠そうとしても必ず滲み出る」


 斎藤は一拍置き、低く言葉を継いだ。


「あのバーは、その滲みを形にして見せる。使い続ければ、隠された本質が浮かび上がるのだ」


 視線が三人をゆっくりと射抜く。部屋の空気は一層重く張りつめた。


「だが……容易くはない。最低でも1週間、己を限界まで追い込む苛烈な鍛錬と共に使わなければ、その真価は現れん」


 その声は説法のように低く、社長室の空気をじわじわと圧していく。三人はようやく悟った。これまでの苦しい鍛錬の日々が、ただの体力づくりではなく、己の素質をあぶり出す儀式でもあったのだと。


 島村と望月は顔を見合わせ、これまでの日々の苦しさと痛みを思い返しながら、ようやくそれが無駄ではなかったことを理解しはじめていた。


 ――自分たちは確かに目覚めていたのだ。


 歓喜に胸が震えた。だが同時に、それは責任の重さと新たな試練の影を呼び覚ました。


 目覚めとは選ばれることではない。ただ、退路なき道を歩むこと。島村や望月も、その真実を悟り、息を呑んだ。


 如月はそんな二人の横顔を見やりながら、胸の奥で燻っていた疑念を抑えきれずに口を開いた。


「それじゃあ、社長さんが俺のギフトの性質に気がついたのも……」


 問いかけに、本田はゆっくりと頷いた。その表情には誇張や演出もなく、ただ揺るぎない確信だけがあった。


「如月麗――あなたのギフトは《神眼》です」


 一瞬、空気が凍りついた。島村や望月も言葉を失い、ただ目を見開く。


「神眼……?」


 如月は無意識に呟いた。自分の口から出たその響きすら、異物のように感じられる。


 本田は揺るぎない声で続けた。


「全てを見通す眼。限られた可能性の、ほんの一部分だけが“映像”として立ち上がる。数秒先、分岐の枝の断片――確定ではないけれど、致命の一手を避けるには十分な情報」


「……冗談だろ。俺に、そんな大層なものが?」


 自嘲気味に声を漏らすと、本田は小さく首を振った。


「否定しようとも、あなたの眼はすでに働いている。これからギフトを磨けば、必ず真価を発揮します」


 その静かな宣告は、如月にとって逃げ場のない烙印のように響いた。

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