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第42章甘い罠、無慈悲な刃

道半ばまでは、特に何事もなかった。 人通りがまばらになっていく。 メリサの前を歩くグレッグの足取りは、どこか奇妙だ。 時折ちらりと振り返っては、服の上からメリサの体のラインを舐め回すように見つめる。 その顔には、だらしなく濡れた笑みが貼り付いていた。


連れのアレの方は、まだ落ち着いているように見える。 だが、振り返るそのねっとりとした視線は、グレッグに劣らず不快なものだ。 二人は、自分たちだけの醜い妄想に浸りながら歩いている。


「グレッグさん。」 メリサは、わざと甘えるような、か細い声で呼びかけた。 「場所は、まだ遠いのですか?」


その声に、グレッグはビクリと肩を揺らす。 一瞬どもり、まるでハエでも払うかのように頭を振ると、前方を指差した。 「もうすぐだ。」 と、グレッグが答える。 「あのレストランの前を、左に曲がる。」


(左に、曲がる……) メリサは、心の中で反芻はんすうする。 男たちの背中越しに、視線を鋭くする。 前方、レストランの隣に見えるのは、真っ暗な、狭い路地の入り口だけだ。 メリサの隣で、サンディが誰にも見えないよう、背中の後ろで固く拳を握りしめている。


「本当に、そこが場所なのですか、グレッグさん?」 メリサは、再び尋ねる。 相手に疑いを抱かせないよう、あくまで穏やかで、柔らかい声色を保ったまま。


「ああ!」 グレッグは、無理やり自信ありげな声を作って断言する。 「百億パーセント、間違いねえよ! スカーレット先生は、俺の昔からのダチなんだ。」


その言葉が終わると同時、グレッグは路地の入り口で、ぴたりと足を止めた。 素早く振り返ると、両手でメリサの肩を掴みつける。 乱暴で、強い力だった。


(……やっぱり) メリサは、最初からこうなることを予期していた。 ヴァーニの街の入り口でササから貰った手引きの紙は、使うまでもなかった。 あえて、この茶番に乗ってやったのだ。


迷いなく、メリサの左膝がグレッグの股間を蹴り上げた。 痛烈な一撃。


「こ……の、アマ……!」 グレッグは、途切れ途切れに呻く。 即座に体を「く」の字に折り曲げ、潰されたそこを両手で押さえ、苦痛に顔を青ざめさせた。


アレが黙っていない。 仲間がやられたのを見て、雄叫びを上げながら突進してくる。 その大きな腕が無造作に振り回され、メリサが抱くミラに当たりそうになる。


だが、サンディの方が速かった。 メリサの横から飛び出し、彼女の前に立ちはだかると、アレのみぞおちに、的確に拳を叩き込んだ。


メリサの口元に、ほとんど見えないほどの、薄い笑みが浮かぶ。 (無鉄砲なガキだけど、今のは悪くない……) 命令されるまでもなく、的確な動きだった。


「ク……ソ、ガキがァ……!」 アレが、途切れ途切れに悪態をつく。 なんとか体勢を立て直そうとするが、サンディはすでに身を屈め、砂利混じりの砂をひと掴みしていた。 それを、アレの顔面めがけて、容赦なく投げつける。


「ぐあっ!」 アレは悲鳴を上げ、両手で目を掻きむしる。 (好機!) メリサが踏み込む。アレの足を払い、体勢を崩させる。 倒れ込んだ男の股間を、メリサは――容赦なく。 一度。二度。三度。……踏みつけた。


警戒を解いていなかったサンディは、そのメリサの後ろ姿に、呆然とする。 (いつから……メリサ姉ちゃんが、こんなに、容赦なく……?)


サンディの一瞬の油断が、命取りとなった。 グレッグが、まだ股間を押さえて呻きながらも、無理やり動いた。 サンディではなく、メリサに向かって、飛びかかる。 その体がメリサに激突し、メリサは、眠ったままのミラを抱いたまま、仰向けに倒れた。


「メリサ姉ちゃん! ミラも!」 サンディが叫び、駆け寄るが、遅かった。 グレッグは、すでにメリサの上に馬乗りになっている。 その手には、ギラリと光るナイフが握られていた。


「動くな!」 グレッグが、喉を鳴らす。切っ先が、メリサの首筋に押し当てられる。 サンディは、凍り付いた。 怒りのうなり声を必死にこらえ、下唇を噛みしめることしかできない。 目の前で、グレッグが、メリサの顔に荒い息を吹きかけながら、卑しく笑う。 メリサの体を押さえつけ、その両腕を膝で縫い止めている。


だが、メリサは、慌てていなかった。 奇妙なほど、その表情は落ち着き払っている。 首筋に当てられた刃は冷たい。 けれど、かつて院長室で向けられた、あの女院長の視線ほどには、冷たくない。 この程度の脅し……もっと酷いものは、とうに経験済みだった。


サンディは、じっとしていられない。 (どうすれば……!? メリサ姉ちゃんが危ない! なんとかしないと……でも、どうやって!?) 思考が、空回りする。石、木の棒、何か武器になるものはないか――必死で周囲を見渡す。だが、何もない。


視界の端で、サンディの焦りを感じ取る。 (あのガキ、また無茶する……) 時間を稼がなければ。グレッグの注意を、引きつけなければ。


「ねえ、グレッグさん。」 メリサが、呼びかける。その声は震えてなどいない。 それどころか、甘く、誘うような響きを帯びていた。 サンディも、グレッグも、思わずそちらに意識を向ける。


「あァ!?」 グレッグは、欲望を隠しもせずに、無骨に答える。 「あたしの体が、欲しいんでしょう?」 メリサが、間髪入れずに続けた。


サンディが、困惑に目を見開く。 「当たり前だろうが!」 「だったら、その手に持ってるナイフを離して。そうしたら、あたしに触れても、好きにしても、許してあげる。」


あまりにも、甘美な提案だった。 グレッグの口が、ニヤリと歪む。 深く考えることもなく、男はナイフを、メリサの体のすぐ横の地面に置いた。


まさに、その瞬間。 メリサの視線が、サンディへと送られる。 地面に押さえつけられた人差し指が、わずかに動き――ナイフの在処を、示した。


(……!) サンディは、戸惑いながらも、その合図を正確に読み取った。 音を殺して動き出し、自分に夢中になっているグレッグの背後へと、回り込む。


欲望に目が眩んだグレッグが、着ていた赤いTシャツを頭から引き抜こうとする。 ズボンに、手をかけようとした。 ――まさに、その時。 サンディが、飛びかかった。 素早い動き。その手は、地面のナイフをひったくっていた。


グレッグに、避ける術はない。 サンディは、そのナイフを、グレッグの右の脇腹に深々と突き立てた。 じわり、と生温かい血が溢れ出す。グレッグは反射的に傷口を押さえる。


男は、メリサから離れようと、よろめきながら立ち上がった。 その目が、憎悪に燃えてサンディを睨めつける。 「こ……の、クソガキが……ッ!!」

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