第39章凍結の誓い、夜の罠
ズルヴィアンの脅し――警察署に着き次第、ジャミルにハンの死亡を伝えると――その言葉が、ハンの足を即座に止めた。 凍り付く。 数秒前まで隣の金髪の少女にもたれかかっていた体は、今や硬直していた。
ジャスミンは振り返り、戸惑ったようにハンを見つめる。「なんで止まるの?」
「ジャスミン……」 ハンは、か細い声で呼ぶ。 ジャスミンの支えから自ら離れると、その体は痛みに一瞬よろめき、だが、なんとか踏みとどまった。 視線が落ち、虚ろなまま地面に突き刺さる。
ハンが距離を置くのを、ジャスミンはただ呆然と見つめることしかできない。 まだ全身を苛む激痛を無視し、ハンはゆっくりと向き直る。 再び、リーダーであるズルヴィアンと対峙した。
「ジャミルが、あんたたちと一緒に?」 腹の奥底を抉る痛みに耐えながら、無理やり絞り出した声が、掠れる。 夜の闇に紛れ、全身の生々しい痣はぼやけているはずなのに、その苦痛ぶりはあまりにも克明だった。 「あいつは……無事なのか? 怪我は?」
ジャスミンが放った緊張感を断ち切るように、ズルヴィアンは冷静に答える。 「ああ。」 短く、ズルヴィアンは肯定した。 「俺と一緒だ。あいつは、お前のことをひどく心配していた。」
その知らせに、ハンの肩がわずかに落ちる。 言葉を失う。 蒼白な顔に、ほとんど見えないほどの薄い笑みが浮かんだ。 その瞳はまだ虚ろだったが、先ほどまでの張り詰めた険は、もうない。
数秒の沈黙。 ハンは背後を振り返る。視界の端で、ジャスミンが黙って自分の背中を見つめているのが分かった。
「まだあいつを案じる気持ちが残っているなら、一緒に来てくれ。」 ズルヴィアンは、彼らを包む静寂を破り、静かに告げる。 「あいつは、お前に会いたがってる。」
ジャスミンを窺うだけだったハンの視線が、今度は真っ直ぐにズルヴィアンへと向けられる。 一言一句を、聞き漏らさないように。 その言葉は、なぜか、ひどく誠実に響いた。 ハンの胸の奥が、軋む。
「頼む……一緒に来てくれ!」
部下たちも含め、そこにいた誰もが予想しなかった。 ズルヴィアンは、言葉を終えると同時に、二人との距離がまだ開いているにもかかわらず、ハンに向かって深く、深く頭を下げた。
「ボス・ズルヴィアン……」 部下たちから、一斉に小さな呟きが漏れる。 彼らは互いに顔を見合わせ、驚愕していた。 自分たちのリーダーが、これほどまでに誠実な――そして、脆い――姿を見せることなど、滅多になかったからだ。
その瞬間、ハンは再び視線の端でジャスミンを捉えた。 声なき意思疎通。暗黙の同意を求める視線。 それは、二人にしか分からない合図だった。 一方、エッセ、リアン、クレテク、そしてあの兄弟は、焦れたように、冷ややかな視線でハンとジャスミンを見ているだけだ。
重い沈黙が、場に垂れ込める。 ジャスミンは、ズルヴィアンの仲間たち一人一人に視線を返した。 彼らの視線は今や、鋭く、虚ろで、脅迫的だ。 『もしハンが断れば、ただでは済まさない』――言葉なきメッセージが、突き刺さる。
ジャスミンは、その視線から目を逸らす。 短く、しかし重いため息を一つ吐くと、わずかに肩を落とした。 覚悟は、決まった。
「……仕方ないね。」 と、少女は低く呟く。 「わかった。そっちの仲間に会いに行くのに、付き合ってあげる。でも、覚えておいて。ほんの少しの間だけ。こっちにも、時間がないんだから。」
ジャスミンからの合図を待っていたハンは、ズルヴィアンへと向き直る。 ズルヴィアンはすでに頭を上げ、真剣な面持ちでハンを待っていた。
「……案内しろ。」
その一言が、膠着状態を破った。 ズルヴィアンの仲間たちは一人、また一人と動き出し、踵を返し、その場を離れるべく先導し始めた。
* * *
孤児院からの逃亡は、メリサとサンディをヴァーニの街へと導いた。 真夜中の鐘が鳴り響く頃、二人はようやくその街に足を踏み入れる。 だが、ヴァーニは眠りとは程遠かった。 夜が更けるほどに通りは活気を帯び、薄暗い屋台で享楽を求める人々で溢れかえっていた。
メリサの隣を歩くサンディは、こわばっていた。 その指先は、無意識のうちに着ている普段着の裾を握りしめている。 ヴァーニは初めてだった。息が詰まる。 道端で安酒を呷る中年男たちの、けたたましい叫び声が空気を満たしていた。
騒音だけではない。 突き刺さるような視線が、自分たちの後を追ってくるのを、サンディは肌で感じていた。
対照的に、メリサは顎を上げ、まるで意に介さないといった様子で歩いている。 だが、時折、視界の端でサンディの様子を窺っていた。 少年の表情は硬い。恐怖と居心地の悪さが、そこにはっきりと浮かび上がっている。
「大丈夫、サンディ?」
メリサの小さな問いかけに、サンディはビクリと肩を震わせる。 まだ恐怖に引きつった顔でメリサを見上げたが、すぐに声を取り繕った。 「う、うん。大丈夫。」
それが嘘であることはメリサにも分かったが、追及はしない。 再び、まっすぐ前を見据える。
「あんなの、気にしないで。」 メリサは静かに言った。 「無視して、不安な気持ちは捨てな。これが外の世界で生きる、最初の試練だと思って。……すぐに慣れる。」
サンディは唾を飲み込み、表面上は落ち着き払ったメリサの横顔を見つめる。 やがて視線を外し、再び前を向いて、メリサの言葉を噛み砕こうと努めた。
やがて二人の足取りは、すでに閉まっている鍛冶屋のそばで緩んだ。 そこでは、太い鉄パイプの上に二人の男が腰掛けていた。
「おい、見ろよ。」 白髪交じりの黒髪で、大柄な男が、肘で仲間をつついた。 その顎が、近づいてくるメリサたちを指し示す。 「ガキ二人連れた、いい女だぜ。」
コーラを飲んでいたもう一人の男が、そちらに目をやる。 その視線が、メリサに釘付けになった。 男はボトルを下ろす。飲み残しが顎から滴り落ちるのを、慌てて手の甲で拭った。 じわり、と汚らしい笑みが広がる。 男はすっくと立ち上がると、メリサの進路を塞ぐように歩み出た。
「ちょっと待ちなよ、可愛いお嬢さん。」 男は作ったような優しい声色で、メリサの体を上から下まで、値踏みするように舐め回す。メリサが抱いているミラのことなど、目にも入っていない。 「こんな夜更けに、どこへ行くんだい? ん? よかったら、俺が付き合ってやろうか?」
その言葉を聞いたサンディは、反射的に両の拳を固く握りしめた。 歯を食いしばり、悔しさに下唇を噛む。
メリサは、振り返りもせずに、サンディの心中を察したようだった。 空いている右手が、すっと横に動く。手のひらは、後ろ――サンディに向けられていた。 (何もするな) 明確な合図だった。
落ち着き払った声で、メリサは痩せた男に答える。 「医者のところへ行かないと。この子が病気なんです。専門家の一刻も早い手当てが必要で。」
(この子?) その言葉が、サンディの頭の中で反響する。 抱かれているミラを見、それからメリサを見る。 ……ああ。 瞬時に理解した。メリサは、芝居を打っているのだ。 サンディは込み上げる怒りをぐっと飲み込み、メリサの芝居を見守ることに決めた。
「医者、ねえ?」 痩せた男は、ふんと鼻を鳴らす。 右手が顎をさすり、考えるふりをする。 大柄な仲間も、今やその隣に立ち、同じようにニヤニヤしていた。
「どこか、ご存知ありませんか?」 メリサが尋ねる。その声色は、今や本当に柔らかく、どこか媚びるようにも聞こえた。
痩せた男はまだ考えるポーズを崩さない。 その時、大柄な男が、そっとその耳元で何かを囁いた。 痩せた男の目が、わずかに見開かれる。 その狂った計画は、即座にその表情に浮かび上がった。
男は、わざとらしく咳払いし、狡猾な笑みを満面に浮かべる。 「ああ……!」 男は言った。 「もしかして、あんたが探してるのは、スカーレット診療所のことかな。知ってるとも。」
「本当ですか?」 メリサが、同じ声色で素早く返す。
「ああ。」 男は短く答えると、くるりと背を向け、歩き出した。 「こっちだ。案内してやるよ。」




