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第37章牢獄の契約

騒ぎは、唐突に勃発した。 ズルヴィアンがボロとムルナの仲裁に入ろうとしたが、すでに手遅れだ。 怒号、肉体がぶつかり合う鈍い音、そして苦悶の呻き声。 それらが混じり合い、牢獄全体を目覚めさせる鐘となった。


叫び声。罵声。鉄格子をガンガンと叩く音。それらが廊下中に響き渡る。 だが、その混沌の最中さなか、一番牢の少女だけは静かだった。 壁に背を預けたまま、まるで目の前の騒動など、一顧いっこだに値しない安芝居だとでも言うように。


その隣の牢で、ハンが激しく咳き込み、床に崩れ落ちた。 鉄格子を掴んでなんとか体を支えようとするが、無駄な足掻きだ。 腹の奥が、焼けた刃物でかき回されているかのように熱く、痛む。


それを見て、一番牢の少女がようやく口を開いた。 「具合は、どう?」 周囲の騒がしさとは対照的な、静かな声だった。


ハンは動かない。 ただ冷たい床を見つめ、苦痛に顔を歪ませるだけだ。


「ここから出たい? 出たくない?」 今度は、少し鋭い声が飛ぶ。


沈黙。 少女は小さく舌打ちすると、ハンが重い頭を上げざるを得ない『餌』を放った。


「もし出たいって言うなら、アンタも、そこの仲間たちも、この退屈な場所から出してあげられる。……もちろん、タダじゃないけどね。相応の対価は払ってもらう。」


その言葉は、電流となってハンの体を駆け巡った。 焼け付くような痛みを無視し、無理やり体を起こす。 震える声で、ハンは答えた。


「もし……法外な対価を要求するつもりなら、アンタの助けなんているもんか!」


少女は、くすりと笑う。 壁から背を離すと、猫のようにしなやかな動作で鉄格子まで歩み寄った。 格子の隙間に顔を近づけ、その瞳がまっすぐハンを射抜く。


「別に、何千、何百タル払えなんて言わないよ。」 冷たい声。その唇には、狡猾な笑みが浮かんでいる。 「アンタのことは知ってる。……『スティール・ストリング』の弟、ハンだろ?」


直後に向けられた甘い笑顔は、むしろ脅しそのものだった。 兄の名。 ハンは息を呑む。


「っ……さっさと言え! 何が望みだ!?」 ハンは、痛みに途切れそうになる声で叫ぶ。 「それに、なんで俺の名前と……スティール兄様のことを知ってるんだ!?」


少女はすぐには答えない。 くるりと背を向けると、狭い牢の中をゆっくりと行ったり来たりし始めた。両手は背の後ろで組まれている。 その口元の笑みは、少しも崩れない。


「あたしがどうやってアンタたちの名前を知ったかなんて、どうでもいいでしょ……」


牢の中央で立ち止まり、少女は言葉を切る。 ボロとムルナの争う騒々しい音が、まだ続いている。 壁を背にしたまま、流し目でハンを睨めつける。短剣のように、鋭い視線だ。


「アンタと、手を組みたい!」


「手を、組む……っ」


「ぐずぐず考えてる時間はない。」 少女はハンの言葉を遮り、再び壁際へとにじり寄る。 「もうすぐ看守が来る。一人ずつ調べられるはずだ。こんな切羽詰まった状況で悩んで時間を無駄にしたら、アンタも仲間も、そこでおしまい。」


(仲間……) ハンは騒ぎの中心に目をやる。 ボロとムルナを引き剥がそうとしているズルヴィアンの影が、ぼんやりと見えた。 (俺は、追い詰められてる……) 救助に来てくれた仲間たちの命運が、今、自分の手の中にある。 この謎めいた少女と手を組むか、あるいは全員が捕まるのを座して待つか。 葛藤するハンの脳裏に、一つの名前が閃いた。 (ジャミル……!) 決意が、固まる。


「わかった……アンタと手を組む!」 ハンは言い切った。 「アンタが何を企んでるかなんて知らない。けど、俺にもう選択肢はないんだ!」


少女が、フン、と冷たく鼻で笑う。勝利を確信した笑みだ。


「面白い!」 少女は牢の扉へと歩み寄ると、予想外の動きでズボンの内側に手を忍ばせ、何かきらりと光るものを引き抜いた。


壁越しでは、ハンにそれが何かはっきりとは見えない。 だが、少女の手が鉄格子の隙間から差し出された瞬間、ハンは目を見開いた。 鍵。 ボロが探していた、まさにあの鍵だ。


カチャリ、と一度捻るだけで、甲高い軋み音と共に少女の牢の扉が開いた。 その音は、ズルヴィアンたちの争いを呆然と見ているだけだったムルニの注意を引くのに十分だった。 ムルニが、ハッと後ろを振り返る。


そこには、一人の少女が牢から踏み出し、悠然とした足取りでハンの牢へと向かう姿があった。 少女が易々とハンの牢の鍵まで開けたところで、ムルニは呆然自失から我に返る。 慌ててズルヴィアンの元へ駆け寄った。


だが、ムルニが今しがた目にした光景を説明し終えた、まさにその時。 二つの人影が、彼らの背後に立っていた。 金髪の見知らぬ少女に肩を支えられた、ハンだった。


◇◇◇


一方、外では焦りが広がっていた。 クレテクからもたらされた情報に、エッセの思考は行き詰まる。 タウンゼンドの警備隊は、悪党の仲間。 (嵌められた……!) 騒ぎを起こして陽動するか? それとも、看守がなだれ込んで全員が捕まるのを待つか?


(なんで、こういう肝心な時に頭が働かねえんだよ!?) エッセは苛立ちに、ガシガシと自分の髪をかきむしる。 (クソッ!!)


ぽん、と軽く肩を叩かれる。ティックだった。 「そんな自分を責めるなよ、エッセ。」 穏やかな声だ。 「他の方法を探そう。そればっかり考えてちゃダメだ。」


その言葉に、ささくれ立っていたエッセの心が少しだけ和らぐ。 「サンキュ、ティック。」 振り返りざま、エッセは言う。 「お前、案外優しいとこ、あんだな。お前の兄貴のタックと違って。あいつは冷たすぎるし――」


「うるっせえぞ、エッセ!」 ティックが、カッとなって遮る。 「よくも兄貴を馬鹿にし――」


その言葉が、不意に途切れる。 エッセの肩越しを凝視していたティックの目が、カッと見開かれた。 その尋常でない表情に、他の者たちも気づき、一斉に振り返る。


牢獄の正面入口から、ぞろぞろと一団が出てくる。 憤慨した様子のズルヴィアン。 ボロボロのボロとムルナ。 明らかに狼狽うろたえているムルニ。 そして――その中央に、傷ついたハンが、見知らぬ一人の少女に肩を貸されて歩いていた。


最初に気づいたのは、ティックだった。 彼は、震える人差し指をそちらへ向ける。


「見ろ!」 ティックの声が、上ずる。 「あいつら……!」

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