第35章鉄格子の決断
ハンの苦痛の呻きが止まった。 ズルヴィアンがボロに撤退を命じる声が聞こえたからだ。 体は起こさない。硬い寝台の上で、ゆっくりと首だけを巡らせる。その瞳には、絶望と好奇の入り混じった光が宿っていた。
だが、足音が遠ざかり始めたのを聞いた瞬間、衝動が突き上げた。 腹を捩じ切るような激痛よりも、好奇心が勝った。 おぼつかない、ひどく緩慢な動きで、無理やり寝台から這い降りる。一歩が、まるで割れたガラスを踏みしめるようだ。
鉄格子にたどり着いた時、はっきりと見えた。がっしりした人影と、それより年嵩の人影。二人が、逃げようと背を向けたところだった。 がっしりした男が命令に従い、一歩を踏み出した、その時。 ハンの口から、掠れた苦痛の声が絞り出された。
「ま、待っ……!」
がっしりした男──ボロ──の足が即座に止まった。 年嵩の男──ズルヴィアン──は、ボロがついてきていないことに気づく。背後をちらりと見た、まさにその時、ハンの呻き声が耳に届いた。
「た……すけ……て……く……れ。」
ボロはハンから視線を外し、ズルヴィアンを凝視した。その目には、無言の嘆願が込められていた。この危険極まりない、狂った行動への許可を求める光が。
沈黙。 薄暗い廊下で、時が凍り付いたかのようだ。 ズルヴィアンは動かない。視線は鋭い。脳裏で二つの選択肢がせめぎ合う。チーム全員の安全のためにハンを見捨てるか。それとも、あの子を救い、ジャミルとの暗黙の約束を果たすか。 数分にも感じられる数秒の後、彼はついに、重々しく小さく頷いた。
それで十分だった。ボロは即座に動いた。 ハンの独房へと駆け寄る。だが、そこに着き、鍵を探そうとポケットに手を入れた瞬間、その目は驚愕に見開かれた。全てのポケットを乱暴に叩く。 ……ない。
蒼白な顔でズルヴィアンを振り返る。 「ボス……合鍵が、ないです!」
「この馬鹿がッ!!」ズルヴィアンが苛立ちのままに囁き、罵った。強く額を叩き、そのまま手を下ろして眉間を揉む。「なぜ、この肝心な時に、そんなミスを。」
彼らが激しくやり合う様を、一番房の奥から、一対の瞳が静かに観察していた。
肩までの金髪、前髪には小さな三つ編み。そんな少女が、鉄格子にゆったりと寄りかかっている。右足を壁に曲げて乗せ、腕は胸の前で組んでいた。独房の暗がりで、その青い瞳が鋭くきらめき、口元には嘲るような笑みが浮かんでいる。 目の前で繰り広げられるドラマを、心底楽しんでいるようだった。
「早く探せ!」ズルヴィアンが冷たく、焦燥を滲ませた声で命じる。「時間がないぞ。」
ボロは即座に来た道を引き返し、慌てて床をスキャンするように見つめる。五十番房から三十番房まで。汚れた床を見つめるが、結果はゼロだった。
はるか上方の監視場所で、ムルナが階下の廊下に向かって必死に手を振っていた。だが、距離が離れすぎていて信号は届かない。
一方、外では看守の一人が小便のために目を覚ました。用を足した後、巡回を始める。その足音は監房の入り口へと近づいていた。 それに気づいたエッセが、ムルナに向かって二本の小さな赤旗を振った。
危険信号が届いた。 ムルナは、上から叫んでも無駄だと悟る。降りるしかない。全員のリスクを増大させる、無謀な決断。 だが、迷うことなく飛び降り、音を殺して廊下を疾走する。目的はボロだ。
「ボロさん。」追いついたムルナが囁いた。「早くここから離れてください、看守がもうすぐそこまで! 時間がありません!」
ボロはそれを無視した。その目はまだ、失くした鍵を血眼になって探している。 「アンタとボスで先に行け。」ボロは言った。「俺は──」
パンッ!
乾いた、鋭い音が響いた。 ボロの頬に、強烈な平手打ちが叩き込まれたのだ。 その音は静かな廊下に反響し、二十五番房の囚人が寝返りを打つほどだった。
「……なんの音だ?」囚人は目をこすりながら呟いた。
ボロは呆然とし、反射的に熱を持つ頬を押さえた。信じられないといった表情でムルナを見つめる。
「この馬鹿!」ムルナが鋭く言い放った。「他人のために自己犠牲なんてしないで! 短絡的に考えすぎです! ここにはまた来ればいい。時間はまだあるんですから!」
(馬鹿?) (短絡的?)
その言葉が、ボロの心の導火線に火をつけた。 俯いていた顔が、ゆっくりと上がる。その瞳には、危険な怒りの光が宿っていた。 何の予告もなく、ムルナに掴みかかる。そのまま床に叩きつけた。
ボロの下敷きになり、無力に組み伏せられたムルナは、もうなす術がなかった。右手を上げ、顔を守ろうとする。だが、無駄だった。 ボロの一撃目がムルナの鼻を捉え、二撃目、三撃目が容赦なく続いた。
ムルナの苦悶の呻きが、ようやくズルヴィアンの耳に届いた。訝しんで近づいてみる。 そして、十七番房の前で、彼は凍りつく光景を目にした。 ボロが、ムルナを無慈悲に殴りつけていたのだ。
「ボロ。」もはや囁き声ではなかった。「やめろッ!!」
その叫び声が、監獄の静寂を打ち破った。 それぞれの独房で、眠っていた囚人たちが一人、また一人と、耳をつんざくような騒音に叩き起こされていく。




