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8. 永遠の灯火

 最後の場面、学院の広場に置かれた小さな暖炉。


 その周りには学生たちが集まり、それぞれの思いを炎に託していた。春の穏やかな夕暮れ、夏学期の始まりを告げる入学式の前夜祭だった。新入生と在校生が一堂に会し、学院の伝統である「灯火の誓い」の儀式に参加している。


 天音と遼もその中にいて、美羽とともに静かに炎を見つめていた。不思議なことに、この暖炉には影がなかった。炎は絶えず、静かに灯り続けていた。


「称賛はいらない。ただ、誰かの心に寄り添えるなら」------その思いだけが、風の中でそっと揺らめいているようだった。


 儀式では、新入生たちに灯花の物語が語り継がれ、彼女の最後の選択が持つ意味を考えさせるようになっていた。それは警告であると同時に、希望の物語でもあった。


 美羽が前に出て、新入生たちに向けて話し始めた。


「私の姉は、皆さんが噂で聞いている灯花です」


 その言葉に、静かなざわめきが広がった。美羽は今や学院でも有数の治癒魔法の使い手として知られていたが、多くの新入生にとって、彼女が「あの灯花」の妹だということは驚きだった。


「姉は最後に、本当の強さとは何かを悟りました。それは見せるための強さではなく、誰にも見られなくても自分らしくいられる強さです」


 美羽の言葉は、かつての灯花が語りたかった真実だった。彼女は姉の代弁者としてではなく、姉から学んだ教訓を自分の言葉で伝えようとしていた。


 暖炉の炎はときに赤く、ときに優しい橙色に変化し、見る者の心に応じて色を変えるように見えた。それはかつての紅蓮の炎とは違い、穏やかで、どこか親しみやすい温かさを持っていた。


「私たちは皆、誰かに認められたいと思っています。それは間違いではありません。けれど、もっと大切なことがあります」


 美羽は自分の手のひらに小さな炎を灯した。それは治癒の光を持つ、彼女独自の魔法だった。


「自分自身を知り、認めること。それが本当の魔法の始まりです」


 新入生たちは彼女の言葉に聞き入り、その後、一人ずつ暖炉に近づいて自分の願いを込めた小さな火を灯していった。それは学院の新しい伝統となっていた。


 儀式が終わった後、天音、遼、美羽の三人は静かに研究塔跡の記念碑へと向かった。記念碑の中央には、約束通り灯花の魔力の結晶が埋め込まれ、夕暮れの光を受けて静かに輝いていた。


「もう一年が経つのね」と天音は静かに言った。


 時の流れは速かった。天音は学院を卒業し、研究者として新たな道を歩み始めていた。「自己認識と魔法の相関性」という彼女の研究は、魔法界に新たな視点をもたらしつつあった。


 遼は評議会の一員として、魔法政策の改革に取り組んでいた。かつての彼からは想像もできない粘り強さで、古い慣習に挑み続けていた。そして美羽は医療魔法の才能を開花させ、貧民街と学院を結ぶ架け橋となっていた。


「私たちはそれぞれの道を進んでいるけれど」と天音は続けた。


「灯花が教えてくれたことは、いつも心の中にある」


 三人はそれぞれの道を進みながらも、時折この記念碑の前に集まり、灯花について語り合うのが習慣となっていた。


「彼女が最後に見せた表情を、私は忘れないわ」と天音は言った。


「あれが本当の灯花だった」


 遼もうなずいた。


「仮面を脱いだ彼女の顔だ」


 美羽は記念碑に触れ、そこに刻まれた言葉を指でなぞった。「真の炎は、照らすことを忘れない」


 それは灯花の日記の最後のページから取られた言葉だった。


 三人が黙祷を捧げていると、記念碑の結晶が一瞬強く輝いた。まるで彼らの思いに応えるかのように。


 夕暮れが深まり、学院の明かりが一つずつ灯り始めた。学院の各所には小さな暖炉が設置され、それらはすべて中央広場の「灯花の炎」から火を分けたものだった。


 天音は学院の変化を見つめ、感慨深く思った。かつては貴族の特権とされていた学院が、今や平民の子弟にも広く門戸を開いている。「灯花基金」は既に数十名の優秀な平民の子供たちを学院に招き入れていた。


「灯花がここにいたら、どう思うだろう」と美羽は問いかけた。


 遼は空を見上げ、静かに答えた。


「彼女は...もっと早く自分に気づきたかったと言うかもしれないな」


 天音は微笑んだ。


「でも同時に、自分の物語が誰かの道標になったことを喜ぶと思うわ」


 三人は語り合いながら、学院へと戻っていった。その背後で、記念碑の結晶は星のように静かに輝き続けていた。


 夜が更けるにつれ、学院は静けさに包まれていった。だが暖炉の炎は消えることなく、夜通し燃え続けていた。


 翌朝、入学式が厳かに執り行われた。新入生たちは緊張した面持ちで式に臨み、校長の祝辞に耳を傾けていた。かつての灯花のように、貧民街から来た少年少女たちもいれば、貴族の館から来た子息令嬢もいる。彼らの間には以前ほどの隔たりはなく、同じ魔法使いの卵として席を並べていた。


 式の終わりに、天音が特別講師として登壇した。


「皆さんが学院で過ごす日々は、魔法の技術だけでなく、自分自身との対話の日々でもあります」


 天音の言葉は、かつて自分が新入生だった日を思い起こさせた。あの頃の彼女も灯花も、自分自身の本当の姿を知らなかった。


「どうか、強くなりたいという願いと同時に、なぜ強くなりたいのかを問い続けてください」


 それは灯花の物語から学んだ最も大切な教訓だった。


 式が終わり、学生たちが校庭に散っていく中、天音は空を見上げた。青い空には白い雲が浮かび、穏やかな春の風が吹いていた。


「私たちの物語はこれからも続いていくのね」と彼女はつぶやいた。


 灯花の物語は終わったかもしれないが、彼女が投げかけた問いは、これからも多くの魔法使いの心の中で生き続けていくだろう。「自分自身と向き合う勇気」------それこそが、灯花が残した最大の遺産だった。


 遠くで鐘が鳴り、新学期の最初の授業を告げる。学生たちは教室へと急ぐ。天音も自分の講義のために歩き始めた。


 講義室のドアを開ける前、彼女は一瞬だけ立ち止まった。ドアに映る自分の姿が、かつての灯花と重なって見えたような気がした。だがそれは怖いものではなく、懐かしく、温かなものだった。


「これからも、見守っていてね」


 天音はそうつぶやくと、講義室へと足を踏み入れた。窓から差し込む朝の光が、教室を明るく照らしていた。


 学院の暖炉の炎は、これからも永遠に灯り続けるだろう。それは称賛を求める炎ではなく、ただそこに在ることの尊さを教えてくれる、静かな灯火として。


 ------ 終 ------


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