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6. 再び灯る火

 夕暮れとき、封印室の炎が不意に強く脈打った。


 石棺の中から溢れ出す紅い光が、部屋全体を染め上げる。それは危険な兆候ではなく、まるで何かを伝えようとするかのような穏やかな波動だった。


 同じ瞬間、学院の中央広間に置かれた大きな暖炉にも、突如として火が灯った。誰が点けたのかは分からなかったが、その炎は見る者の心を穏やかにする不思議な温かさを持っていた。


 広間を通りかかった学生たちは足を止め、暖炉の火を眺めた。その光景には既視感があるようで、なぜか懐かしさを感じる者もいた。彼らの多くは灯花を直接知らなかったが、その物語は既に学院中に広まっていた。


 再建された学院では、平民と貴族の隔たりが少しずつ薄れ、互いを尊重する文化が育まれつつあった。それはまだ小さな変化だったが、確かな変化だった。


 天音は研究室の窓辺に立ち、キャンパスの光景を見つめていた。夕焼けに染まる校舎の赤い影が、かつての紅蓮の炎を思い出させる。


「誰かのためじゃない、でも誰かを照らす炎」


 そうつぶやきながら、彼女は灯花が残した最後の言葉を思い出していた。日記の最終ページにあった「もう仮面はいらない」という一文が、今でも彼女の胸に刻まれている。


 研究室のドアがノックされ、美羽が訪ねてきた。彼女は医療魔法の授業を終えたところで、その手には治療用の小さな魔法陣が描かれた巻物を持っていた。


「天音先生、見てください。これが完成しました」


 美羽が広げた巻物には、彼女が開発した新しい治癒術式が描かれていた。それは灯花の結界術を基礎としながらも、破壊ではなく修復に特化した独自の発展形だった。


「素晴らしいわ、美羽さん」


 天音は心から感嘆の声を上げた。彼女は美羽の才能が日に日に開花していくのを見て、誇らしさを感じていた。


「お姉ちゃんの研究をベースにしたんです。彼女の残した図面を逆転させたら、破壊の力が治癒の力に変わることに気づいて...」


 二人が術式について語り合っていると、突然、研究室の小さな暖炉に火が灯った。誰も点けていないはずの炎が、静かに揺らめいている。


 美羽は静かに微笑んだ。「お姉ちゃんも喜んでいるみたい」


 天音もうなずき、暖炉に近づいた。その炎は紅蓮の力ではなく、穏やかで優しい光を放っていた。まるで灯花が最初に見せてくれた、あの小さな炎のようだ。


 窓の外では、遼が評議会の改革案を携え学院に戻ってきたところだった。彼は評議会改革の中心として、新たな奨学金制度の設立に尽力していた。「灯花基金」と名付けられたその制度は、貧民街から才能ある子供たちを学院に招き入れるためのものだった。


 彼は中庭を横切りながら、学院各所の窓から漏れる温かな明かりを見上げた。かつては冷たく威圧的に感じられた学院の建物が、今は違って見える。


「変わったな」


 遼は静かにつぶやいた。変わったのは学院だけではない。彼自身も、灯花も、そしてすべての人が少しずつ変わっていた。


 中央広間に足を踏み入れると、大きな暖炉の前に学生たちが集まっていた。彼らは火を囲み、自然と輪になって座っている。その中には平民も貴族も、区別なく混ざっていた。


 遼はその光景を見て、静かに微笑んだ。彼はかつて、こうした交流を軽蔑していただろう。だが今は違う。彼はその輪の外側に立ち、暖炉の炎を見つめた。


 暖炉の火は夜になると一層鮮やかに輝き、学院の廊下に柔らかな光を投げかけていた。それは灯花の悲劇を単なる警告として終わらせるのではなく、新たな価値観の象徴として受け継ごうとする試みだった。


 遼が自室に戻ると、机の上に一通の手紙が置かれていた。評議会からの返答だ。彼が提案した「灯花条約」---魔法使いの倫理と責任に関する新しい規約---が、難航の末についに承認されたという知らせだった。


 それは彼にとって大きな勝利だった。だが、彼は一人ではこれを成し遂げられなかっただろう。天音の学術的裏付け、美羽の実例、そして何より、灯花の物語があったからこそだった。


 遼は手紙を胸に抱き、窓の外を見た。学院の各所には小さな暖炉が設置され、それらは「灯花の炎」と呼ばれていた。学生たちはその火を絶やさぬよう当番制で管理し、「誰のためでもない、しかし皆を照らす炎」という理念を大切にしていた。


 遠くの研究棟では、天音と美羽がまだ明かりをともして研究を続けていた。美羽の治癒魔法の研究は、貧民街の子供たちの間で既に「奇跡」と呼ばれるほどの成果を上げていた。


 そして学院の地下では、石棺の赤い光が静かに、しかし確かに脈打っていた。それはもはや危険な力ではなく、新たな世代を照らす灯りとなっていた。


 天音は研究を終えて自室に戻る途中、中央広間を通りかかった。暖炉の前には一人の少年が座り、火を見つめていた。彼は貧民街から来た新入生で、まだ学院生活に馴染めずにいたのだ。


「眠れないの?」と天音は優しく声をかけた。


 少年は少し驚いたように振り返り、恥ずかしそうにうなずいた。「この炎を見ていると、なぜか落ち着くんです」


 天音は彼の隣に座り、一緒に炎を見つめた。「この炎には物語があるのよ」


「灯花という方の話ですか?」少年は聞いた。「講義で少し聞きました」


 天音はうなずき、灯花のことを語り始めた。貧民街で育った少女が、どのように魔法に目覚め、夢を追い、迷い、そして最後に本当の自分を見つけたか。それは教科書の中の物語ではなく、生きた人間の記憶として語られた。


 少年は熱心に聞き入り、やがて打ち明けた。「僕も...認められたくて、ここに来たんです」


 天音はその言葉に静かに頷いた。「それは素晴らしい動機よ。でも、忘れないで。あなたはただ存在しているだけで、既に価値がある」


 少年の目に涙が浮かんだ。それは彼が今まで聞いたことのない言葉だった。


 暖炉の炎が二人を優しく照らす中、天音は少年の肩に手を置いた。「さあ、明日は早いわ。寝る時間よ」


 少年が去った後、天音は暖炉の前に一人残った。炎は静かに、しかし力強く燃え続けていた。


「灯花...あなたの炎は、確かに誰かの心を温めているわ」


 彼女はそうつぶやくと、自分の部屋へと戻っていった。窓の外では雪が舞い始め、世界は徐々に白く染まっていく。天音は窓辺に立ち、雪景色を眺めながら思い出す。あの冬の夜、貧民街で初めて灯った小さな炎を。


 誰かの心に、灯火のような痛みとともに残る温もりを残して、灯花の物語は静かに次の章へと続いていた。


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