5. 天音の躊躇
学院の食堂は夕食時になると温かな光に包まれる。窓の外は雪が降り始め、ガラス越しに見える白い世界が食堂の明かりに照らされていた。灯花はいつもの席に着き、目の前のスープに手を伸ばした。
「灯花...」
声の主は親友の天音だった。彼女も灯花と同じく平民出身で、互いの境遇を理解しあえる数少ない存在だった。彼女の優しい眼差しと穏やかな微笑みは、灯花の緊張をほぐす不思議な力を持っていた。
「どうしたの?珍しく元気がないわね」と灯花が尋ねると、天音は周囲を確認するように視線を巡らせ、小さな声で打ち明けてきた。
「灯花、私...自信がないの。こんな私が本当に首席に...」
彼女も平民出身ながら、風系魔法の天才として烏丸教授から次期首席候補として期待されていたのだ。しかし、その才能に比して自信のなさが足を引っ張っていることを灯花は知っていた。
灯花は天音の手を取り、強く握った。
「天音なら大丈夫。あなたは私よりずっと優秀だもの」
確かに天音の風系魔法は学年随一だった。彼女の織りなす風は単なる破壊力だけでなく、精緻で繊細な制御を可能にする。しかし、そんな才能を持ちながら、天音はいつも自分を過小評価していた。
灯花は天音の言葉を聞きながら、内心では複雑な感情を抱えていた。
「自分こそ首席にふさわしい。貧民街の子供たちとの約束を果たすには、それが必要だ」
そう思いながらも、そんな本音を口にすることはできなかった。天音は彼女の大切な友人だ。彼女への嫉妬や競争心を見せることは、灯花自身の心を汚すように思えた。
「天音、あなたが首席になれば、きっと多くの人を助けられる。私にはできないことでも、あなたならもっと多くの人々を救えるはず」
灯花は真剣な表情で語った。その言葉は心にもないものではなかったが、完全な本心でもなかった。微妙な嘘と本当が入り混じる複雑な言葉だった。
しかし、天音はその言葉に心から救われたような表情を浮かべた。
「灯花...ありがとう。私、頑張るわ。でも、あなたこそ首席になる実力があるのよ。私はいつもあなたの努力を尊敬しているの」
天音の純粋な言葉に、灯花は一瞬胸が痛んだ。この親友には嘘をつきたくない。でも今は、彼女を励ますことが先決だった。
「互いに高め合いましょう。そして二人で、平民出身者の可能性を示していこう」
灯花は笑顔で語りかけた。天音も微笑みながら頷く。
「そうね。二人で切磋琢磨して、ともに成長していきましょう」
降り続ける雪を眺めながら、灯花と天音は互いに約束を交わした。だが、灯花の心の奥には、天音には決して見せられない自分だけの目標があった。
「私はもっと強くなる。天音以上に、遼以上に、そして誰よりも」
まるで誰かに聞かせるかのように灯花は心の中でつぶやいた。窓に映る自分の姿が、一瞬違う表情に見えたような気がしたが、それは単なる錯覚だと思うことにした。