2. 新たな誓い
天音の言葉が記念講堂に残響する中、次に演説台に立ったのは遼だった。
学院では彼の変化を知らぬ者はいなかった。かつての傲慢な貴族の子息は、今や評議会改革の中心人物となっていたのだ。彼の立ち姿には以前の高慢さは影も形もなく、代わりにどこか静かな決意が感じられた。
遼は一度深く息を吸うと、視線を会場全体に向けた。貴族の子女たちが座る席と、平民出身の学生たちの席を交互に見渡す。以前の彼なら、こうして平民たちに語りかけることすら想像できなかっただろう。
「私は宣言します。生まれで人を裁く時代は終わる」
遼の声には力強さがあり、同時に穏やかさもあった。かつてのような尖った攻撃性はもうない。
「名誉も地位も、誰かを救えなければ意味はない」
彼の言葉に、学生たちは静かに頷いた。特に平民出身の学生たちの目には、希望の光が宿っていた。半年前、彼らの多くは遼を恐れ、憎み、そして羨んでいた。だが今、彼らは畏敬の念を持ってこの青年を見つめていた。
「灯花という魔法使いを、皆さんはどう覚えていますか?」
遼の問いかけに、会場はしばし沈黙した。
「強大な力を持った脅威として? 紅蓮の契約で暴走した忌むべき例として?」
遼は静かに首を振った。
「彼女が残してくれたもの、それは私たち自身への問いかけです。私たちは何のために力を求めるのか」
彼の言葉は、かつての自分自身への批判でもあった。かつて彼は天賦の才と家柄を盾に、力そのものを目的としていた。灯花との出会いと別れは、彼にその空虚さを教えたのだ。
「彼女の炎が焼いたのは建物だけでなく、古き価値観でした」
遼は右手を上げ、自らの魔法で小さな火を灯した。それは紅蓮の炎とは違う、穏やかな青白い炎だった。
「今日からは、力を持つ者が力なき者を守る。それが魔法使いの義務です」
彼はその炎を高く掲げ、天井へと解き放った。青い火の玉は空高く昇り、講堂の天窓を抜けると、青空に溶け込むように消えていった。
学院では半年間で多くのことが変わっていた。かつては魔法の才能と家柄で厳密に区分けされていた教室も寮も、今や混合制になりつつあった。そして遼はその改革の先頭に立ち、評議会との激しい論争を重ねてきたのだ。
彼の演説が終わると、突如として空から赤い花びらが舞い降りてきた。誰かの魔法によるものだったが、その発信者は分からなかった。赤い花びらは会場全体に降り注ぎ、参加者たちの肩や髪にそっと舞い降りた。
学生たちはその美しい光景に見入り、新たな時代の訪れを実感していた。誰も気づかなかったが、美羽は小さく微笑んでいた。彼女の右手には、姉から受け継いだ素質が目覚め始めていた。
「この半年間、評議会の腐敗を暴く活動を続けてきました」と遼は続けた。「特に烏丸教授の不正研究と、それを裏で支えていた勢力の実態が明らかになりつつあります」
彼の言葉に、一部の教授たちが居心地悪そうに身じろぎした。彼らもまた、烏丸の研究に加担していたのだ。
「しかし私が今日お伝えしたいのは告発や断罪ではなく、新たな誓いです」
遼は胸元に手を当て、静かに宣言した。
「私、遼は、ここに霧島家の継承権を正式に放棄します」
会場が凍りついたように静まり返った。王国屈指の名門の跡継ぎが、その地位を捨てるという宣言は、あまりにも衝撃的だった。
「私は遼の名ではなく、一人の魔法使いとして生きていきます。魔法という力は、生まれではなく、心に与えられるものだと信じているからです」
彼は演壇から一歩下がり、天音の方を見た。彼女は微かにうなずき、その目に涙が浮かんでいた。
遼は最後に会場全体を見渡した後、一人の学生に視線を向けた。最前列に座る一年生の少女、美羽だ。
「灯花は最後の最後に、真実に気づいた。私たちは彼女の勇気を無駄にしてはならない」
そう言って、遼は深く一礼した。彼の背後から射し込む光が、彼の姿を縁取っていた。
会場からは静かな拍手が起こり、それは次第に大きな波となって広がっていった。貴族の子女たちも、平民出身の学生たちも、ともに立ち上がって拍手を送っていた。
彼らの拍手は単なる礼儀ではなく、新しい時代への誓いでもあった。かつて灯花という一人の魔法使いが命をかけて示した道を、彼らは歩もうとしていたのだ。
天空の下、赤い花びらが舞い、青い空がすべてを包み込んでいた。




