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5. 新世代の歩み

 夏の日差しが学院の石畳を照らす午後、新入生たちが魔法基礎訓練を受けるために中庭に集まっていた。彼らの間には、貴族の子女たちと並んで、平民出身の学生たちの姿も目立つようになっていた。「灯花記念奨学金」の設立以来、学院は以前より多様な背景を持つ学生たちを受け入れるようになっていたのだ。


 中央で指導に当たっていたのは天音だった。彼女は上級生として、基礎魔法の実践的な指導を任されていた。


「基本は自分の内側から魔力を引き出すこと。決して外の力に頼らないでください」


 天音の言葉は穏やかだが、確かな重みを持っていた。彼女の指導は単なる魔法技術だけでなく、その背後にある哲学にも触れるものだった。


「先輩、質問です」


 一人の新入生が手を挙げた。それは美羽だった。彼女は入学して間もなかったが、すでに優れた素質を示していた。灯花の妹としての周囲の期待もあったが、彼女は自分のペースで学びを進めていた。


「どうぞ、美羽」


「魔力を引き出すとき、時々自分の内側に別の存在を感じることがあります。それは...」


 美羽の質問に、周囲がざわめいた。それは「影法師」について触れるものだったからだ。かつての事件以来、学院では魔法使いの内なる分身について、新たな理解と教育が始まっていた。


 天音は一瞬考え、丁寧に答えた。


「良い質問ね。それは『内なる声』と呼ばれるものの一部かもしれない。私たち魔法使いは誰もが、自分の内側に様々な側面を持っているの。大切なのは、それを恐れるのではなく、理解し受け入れること」


 彼女の説明に、新入生たちは熱心に耳を傾けた。かつてはタブーとされていたこの話題が、今では正式なカリキュラムの一部となっていた。


「紅蓮の研究塔事件」は学院のカリキュラムに組み込まれ、そこから得られた教訓が次世代に引き継がれることとなったのだ。特に注目されたのは、灯花が最終的に残した言葉「真の力は自己を知ることから始まる」だった。


「先輩、灯花先輩のことをもっと詳しく教えてください」


 別の学生が尋ねた。天音は微笑み、授業の内容から少し外れることになるが、この質問には答えることにした。


「彼女は...」


 天音は空を見上げ、言葉を選んだ。


「彼女は強い願いを持った人だった。初めは弱者を守るため、家族を支えるために魔法を学んだ。でも途中で道を見失ってしまった」


 天音は基礎クラスの学生たちの前で、影法師について講義する。


「それは私たちの内なる声が投影された存在です。自分自身の暗い部分から目を背けるとき、それは外側の存在として現れることがあります」


 学生たちは真剣に聞き入り、ある学生が質問した。


「でも、彼女は最後に自分と和解できたのですか?」


 天音は微笑み、「彼女の最期の涙は、本当の自分を取り戻した瞬間のものだったと信じています」と答えた。


 かつて「強さ」「力」「支配」が重視されていた学院の風潮は、徐々に変わりつつあった。仮面をかぶる強さよりも、仮面を脱げる弱さこそが尊ばれる価値観が、学院に芽吹き始めていたのだ。


 午後の授業が終わり、学生たちが次の教室へ移動する中、天音は美羽を自分の研究室に呼んだ。それは灯花の遺品や研究資料が保管されている特別な部屋だった。


「美羽、これを見せたかったの」


 天音は棚から一冊の本を取り出した。それは灯花の初期の研究ノートだった。まだ紅蓮の力に頼る前、彼女が純粋に魔法と向き合っていた時代の記録だ。


「お姉ちゃんの...」


 美羽は感動に声を震わせながら、そのノートを手に取った。ページをめくると、そこには灯花の丁寧な字で結界術の基礎研究が記されていた。特に美羽の目を引いたのは、治癒魔法に関するメモだった。


「あなたのお姉さんは、本当は治癒魔法にも興味があったのよ。特にあなたの病気を治すための研究をしていたのだと思う」


 天音の言葉に、美羽の目に涙が浮かんだ。


「あなたのお姉さんが残してくれたものを、私たちは大切にしています」


 天音はそっと美羽の肩に手を置いた。彼女は灯花の妹の修学を援助することを決めていた。それは灯花への約束でもあり、未来への投資でもあった。


 研究室を出た後、天音は中庭を横切る美羽の姿を見つめた。彼女の中には確かに灯花の炎が受け継がれていた。しかしそれは制御不能な紅蓮の力ではなく、優しく温かな癒しの炎だった。


 天音は教授会室へ向かった。今日は「魔法と倫理」の新カリキュラムについての会議があるのだ。彼女はその中心メンバーとして、灯花の経験から学んだ教訓を組み込むことを提案していた。


 夕暮れとき、学院の塔の窓から差し込む夕日が廊下を赤く染める中、天音は立ち止まり、窓の外を見つめた。


 かつての研究塔があった場所には、今や記念庭園が造られ、その中央には灯花の名を刻んだ石碑が建っていた。そこには多くの学生たちが集まり、ときに勉強し、ときに語り合っていた。


「彼女の物語は、これからも多くの人の心に響くでしょう」


 後ろから声がして、天音は振り返った。そこには学院長が立っていた。


「はい。それが彼女の本当の遺産だと思います」


 天音は答えた。学院長は穏やかにうなずき、天音と並んで窓の外を見つめた。


「人は過ちを犯す。しかしその過ちから学び、成長することができる。それが魔法教育の真髄だ」


 学院長の言葉に、天音は深く同意した。それは灯花の物語が教えてくれた最も重要な教訓の一つだった。


 廊下の先から、新入生たちの声が聞こえてきた。彼らは活気に満ちて、次の授業へと急いでいた。彼らの中には貴族の子女も平民出身者もいたが、かつてのような明確な垣根は感じられなかった。


 それは小さな変化かもしれないが、確かな一歩だった。灯花の物語は、現実を変える一助となっていたのだ。


 天音は微笑みながら、新しい世代の歩みを見守った。彼らはかつての過ちを繰り返さないよう、新たな知恵を授かっていた。そしてその知恵の源は、一人の少女が最後に見つけた真実だったのだ。


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