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4. 美羽の成長と旅立ち

 貧民街の小さな診療所の窓から、春の柔らかな光が差し込んでいた。診療所の一室、ベッドに座っていたのは灯花の妹・美羽だった。姉の死から3ヶ月が経ち、彼女はようやく健康を取り戻しつつあった。


「美羽ちゃん、今日の検査結果は良好よ」


 診察を終えた医師が笑顔で告げた。彼女の前に座る少女は、以前の華奢で弱々しい姿とは違って、頬には健康的な色が戻り、目には力強い光を宿していた。これも学院からの支援で十分な治療を受けられるようになったからだった。


「ありがとうございます、先生」


 美羽は丁寧にお辞儀をした。彼女は今や十二歳になり、姉・灯花が旅立った年齢に近づいていた。窓の外では春の風が吹き、花びらが舞っている。季節は確実に巡り、人々の生活も前に進んでいた。


「お母さんは?」


 医師が尋ねると、美羽は「市場の手伝いに行っています」と答えた。イリナは娘の病気が落ち着いたことで、少しずつ仕事を増やしていたのだ。


 診察が終わり、美羽は小さな手帳を取り出した。それは彼女が日々の思いを綴るために使っているものだった。姉からもらった初めての誕生日プレゼントだ。


「今日もいい天気だよ、お姉ちゃん」


 美羽は小さくつぶやき、何かを決意したような表情で手帳に向かい始めた。


 診療所の入り口が開く音がして、美羽は顔を上げた。そこには天音と遼の姿があった。


「天音お姉さん!遼お兄さん!」


 美羽は嬉しそうに立ち上がり、二人を迎えた。天音は優しく微笑み、美羽を抱きしめた。


「元気そうね、美羽ちゃん」


 遼も普段の厳しい表情とは違い、柔らかな眼差しで美羽を見ていた。彼らは定期的に美羽の様子を見に来ていた。それは灯花への約束でもあり、彼ら自身の心の支えでもあった。


「どうしたの?二人そろって来るなんて珍しいわね」


 美羽の問いに、天音は少し緊張した表情を浮かべた。


「実は、大切な話があるの」


 三人は診療所の小さな庭に出た。藤棚の下のベンチに腰掛け、春の陽光を浴びながら、天音は穏やかに語り始めた。


「美羽ちゃん、王立魔法学院から特別な申し出があったの」


 美羽は目を見開いて、天音の言葉に耳を傾けた。


「学院では『灯花記念奨学金』という制度を設立したの。貧民街の才能ある子供たちに、魔法教育の機会を提供するものよ」


 遼が続けた。「その第一期生として、君を迎えたいという申し出だ」


 美羽は言葉を失い、二人の顔を交互に見つめた。姉が通っていた魔法学院に自分が?それは美羽にとって、夢のような話だった。


 しばらくの沈黙の後、美羽はゆっくりと口を開いた。


「私も、魔法の道を志すことにしました」


 その言葉は、二人にとって意外なものではなかった。彼らは美羽の中に、灯花と同じ炎を感じていたからだ。


「本当?」


 天音の問いに、美羽は力強く頷いた。


「母さんとも話し合いました。姉の夢を継ぎたいって」


「灯花みたいになりたいのか?」


 遼の言葉に、美羽は静かに首を横に振った。


「私は姉のようになりたいのではありません。あの人のように迷いながらも、自分なりの答えを見つけたいのです」


 その言葉に、天音と遼は互いに目を見合わせた。美羽の瞳には灯花を思わせる強さとともに、彼女独自の優しさが宿っていた。


 天音は感慨深い思いを抱きながら、美羽の手を握った。


「灯花はきっと...」


 言葉にできない感情に天音は包まれる。灯花が貧民街を離れ、姉と同じ道を歩む決意をした美羽。それは単なる運命の繰り返しではなく、新たな旅立ちだった。


「準備はいいの?」


 天音の問いに、美羽は少し考え込むように庭の花々を見つめた。そして、小さな決意を口にした。


「その前に、一つだけやりたいことがあります」


 美羽が彼らを案内したのは、彼女と灯花がともに過ごした小さな家だった。母親のイリナは市場に出かけており、家には三人だけだった。


「ここに」


 美羽は押し入れから小さな木の箱を取り出した。それは古びた貯金箱だった。


「七年間、毎日少しずつ貯めてきたのです」


 彼女はそっと箱を開け、中から少ないながらも愛情深く貯められた硬貨を取り出した。箱の側面には幼い文字で「灯花お姉ちゃんの学費」と書かれていた。


「私は...姉が学院に入学したときから、こうして貯めてきたのです。姉の学費の足しになればと思って」


 美羽の目には涙が光っていた。彼女の小さな貯金箱に込められた、姉への愛情と憧れ。それはあまりにも純粋で、天音も遼も言葉を失った。


「でも、もう姉にはあげられない。だから...」


 美羽は決意を固めたように顔を上げた。


「学院に持っていきたいのです。封印室に。姉の炎のそばに」


 天音は涙を堪えながら頷いた。


「もちろん、いいわよ」


 その日の午後、美羽は天音と遼とともに貧民街を離れ、学院へと向かった。彼女は学院への入学準備を始めたその日、七年間貯めてきた小さな貯金箱を持って、封印室を訪れた。


 長い階段を下り、重い扉を開けると、そこには赤く脈打つ灯花の炎が彼女を迎えた。


「お姉ちゃん、私の夢を見ていてね」


 そう言って、美羽はその貯金箱を封印室の前にそっと置いて去っていく。小さな木の箱には「灯花お姉ちゃんの学費」と幼い文字で記された愛情の証が、静かに残されていた。


 封印室を後にする美羽の後ろ姿を見送りながら、天音は感慨深い思いに包まれた。


「灯花の残したものは、こうして新しい形で生き続けていくのね」


 遼も静かに頷いた。彼らは美羽が自分の道を歩み始めるのを、見守る責任を感じていた。


「彼女は強くなるだろう」


 遼の言葉には確信が込められていた。美羽の中には灯花の炎が静かに息づいていた。しかしそれは、すべてを燃やし尽くす紅蓮の炎ではなく、優しく誰かを照らす暖かな灯火だった。


 学院の空には夕暮れが広がり、一日の終わりと新しい始まりを告げていた。美羽の旅立ちは、灯花の物語の終わりではなく、新たな章の始まりだった。


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