6. 遺された炎の意味
夏の陽光が学院の庭園を優しく照らす午後、復興作業はほぼ完了していた。研究塔の崩壊から二ヶ月が経ち、学院は新たな規律の中で歩み始めていた。かつての研究塔があった場所には記念碑が建てられ、そこには「真の炎は、照らすことを忘れない」という言葉が刻まれていた。
天音は新しい校舎の窓辺に立ち、記念碑を見つめていた。風が彼女の髪を揺らし、夏の香りを運んでくる。
「天音先輩」
声をかけられて振り返ると、そこには一年生の少女、ルナがいた。明るい性格の彼女は、灯花の事件以降、天音に強い関心を示すようになった一人だった。
「どうしたの、ルナ?」
「先輩が校長先生に提案した『灯花記念奨学金』、評議会で正式に承認されたそうです!」
その言葉に天音は微笑んだ。彼女が提案した奨学金は、平民出身の学生に学びの機会を提供するもので、特に貧民街からの才能ある子供たちを支援するためのものだった。
「それは良かったわ。ありがとう、ルナ」
ルナは輝く目で天音を見つめた。「私、本当に灯花先輩のことが知りたいんです。みんながいろんなことを言ってますけど、本当の彼女はどんな人だったんですか?」
天音はその質問に、すぐには答えなかった。窓の外を見やり、記念碑に目を戻した。灯花の事件は学院の歴史の中で重要な転機となり、魔法教育の在り方についても議論が交わされるようになっていた。
「灯花は...複雑な人だったわ」
天音はようやく言葉を選び始めた。「彼女は純粋に弱い人を守りたいという思いを持っていた。でも同時に、強く認められたいという願望も抱えていた」
ルナは真剣な顔で聞いていた。天音は続けた。
「その二つの思いが彼女の中で葛藤していたの。でも最後に、彼女は本当の自分を見つけた。それが彼女の遺した最大の贈り物かもしれないわ」
ルナの瞳には憧れの色が浮かんでいた。灯花は今や学院内で伝説となりつつあり、彼女について様々な噂が飛び交っていた。だがそれらは表面的な部分だけを捉えたもので、彼女の内面の複雑さは理解されていない場合が多かった。
「先輩は灯花先輩の日記を持っているんですよね?」
天音は小さく息を吸った。その事実は公にはしていなかったが、鋭いルナは何かを察知していたようだ。
「ええ、遼と私で預かっているわ。彼女の記録を正しく残すために」
ルナは少し躊躇いながらも、次の質問を投げかけた。
「その日記には...彼女の本当の気持ちが書かれているんですか?」
天音は静かに頷いた。そして彼女は膝をついて、ルナの目の高さに合わせた。
「灯花の日記の最終ページには、とても重要なことが書かれていたわ」
天音は言葉を選びながら続けた。「彼女は書いていたの。『影法師は私自身だった。自分の弱さや渇望を認められず、外側に投影していただけ』って」
ルナは少し困惑した表情を浮かべた。「影法師?」
「ええ、彼女の内側にあった、もう一人の自分のようなものよ」
天音は説明した。「私たち誰もが、自分の中に影を抱えている。それと向き合うことができるかどうかが、本当の強さなのかもしれない」
その言葉に、ルナの顔に理解の色が浮かんだ。彼女はまだ若く、人生の複雑さを完全には理解していないかもしれないが、直感的に何かを感じ取ったようだった。
「それじゃあ、記念碑の言葉は...」
「そう、『真の炎は、照らすことを忘れない』---これは彼女が最終的に気づいた真実なの」
天音の説明に、ルナは深く頷いた。
その日の夕方、遼は灯花の日記の最終ページを読み返していた。彼の部屋の窓からは西日が差し込み、その光が日記の紙面を金色に染めていた。
「本当の強さとは何か」
日記の最後に綴られたその問いかけに、遼は思索を巡らせていた。
かつて彼は強さとは家柄や才能、あるいは魔力の大きさだと考えていた。だが灯花の最期の選択---自らの力で天音と遼を守ったこと---それは彼が思い描いていた強さとは全く異なるものだった。
「自分のためではなく、誰かのために力を使う---それが彼女の見つけた答えか」
遼は日記を閉じ、窓の外を見た。学院の庭では、学生たちが新学期に向けた準備に忙しそうに動き回っていた。彼は深く息を吐き、立ち上がった。
同じ頃、封印室で天音が見つけた灯花の小さなスケッチブックを開いていた。そこには彼女が描いた自画像があった。二つの姿が描かれている---紅蓮の炎に包まれた姿と、小さな温かな炎を手に持つ姿。そして中央には、両方を抱きしめるように立つ一人の少女の姿があった。下には「私は私」と短く記されていた。
天音はそのスケッチを見つめながら、灯花の最後の瞬間を思い出していた。仮面を脱ぎ捨て、本当の自分と向き合った彼女の表情。それは恐れと悲しみ、そして不思議な安堵が入り混じったものだった。
「灯花の不在が私たちに問いかけているのね」
天音は小さくつぶやいた。「私たちは誰のために力を求めるのか。誰のために生きるのか」
天音は灯花の日記を「灯花記念文庫」として整理し、学院の次世代に正しく伝えるための準備を始めていた。記録の一部は公開される予定だったが、最も個人的な部分は彼女と遼だけが知る秘密として守られることになっていた。
天音が封印室を出ると、そこには遼が待っていた。彼は静かにうなずき、二人は並んで歩き始めた。
「灯花の炎は、これからどうあるべきだと思う?」
遼の問いに、天音は少し考えてから答えた。
「彼女が遺したものは、単なる警告話ではないと思う。もっと深いものを含んでいる」
遼も同意した。「ああ、そうだな。彼女の物語は、私たちに何かを選ぶ勇気を与えてくれる」
二人は静かに歩きながら、夕暮れの空を見上げた。そこには日没前の優しい光が広がっていた。それは紅蓮の炎のような強烈な輝きではなく、灯花が本来持っていた優しい温かさを思わせるものだった。
「私たちの役目は、彼女の本当の物語を伝えることね」
天音の言葉に遼は頷いた。彼らはこの役目を共有することで、かつての敵対関係を超えた絆を築いていた。
空には夕焼けが広がり、それは遠く地平線まで続いていた。その光景を見ながら、二人は静かに立ち止まった。
「灯花の遺した炎が、これからの学院を照らすことを願いたい」
遼の言葉に、天音は心から同意した。




