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3. 遼の退位と告白

 王国魔法評議会の特別支部として学院内に設置された新評議会の開催日だった。研究塔の事件後、学院の統治体制の刷新が急務となり、この暫定評議会が設立されたのだ。その議場には学院長をはじめ、教授陣、そして学生代表として各学年の首席が集まっていた。


 遼は窓際に立ち、議事進行を静かに見守っていた。彼の姿は一か月前とは違って見えた。杖はまだ手放せないものの、彼の立ち姿には迷いがなく、目にも確かな決意が浮かんでいた。


「次の議題は学生寮の再建について議論します」


 議長を務める教授の声が響く中、遼は一歩前に進み出た。


「発言を求めます」


 その声に、場の空気が一変した。霧島家の嫡男である彼が口を開くとき、それは常に重要な発言だった。


「霧島君、どうぞ」


 学院長が穏やかに促す。遼は一礼すると、評議会の中央へと歩み出た。


「私は本日をもって、霧島家の跡継ぎとしての地位を辞退することをここに宣言します」


 その言葉に、議場には衝撃が走った。古くからの貴族の名家である霧島家の当主の座を放棄するなど、前代未聞のことだった。教授たちの間からはざわめきが起こり、学生代表たちも驚きの表情を浮かべていた。


「霧島君...それは」


 学院長でさえ、言葉を失ったように見えた。


「私の決意は固いです」


 遼は冷静に言葉を続けた。彼の声には、かつての傲慢さはなく、静かな確信だけがあった。


「名誉のために人を救うのではない。誰かの痛みに目を背けないことが、本当の誇りだと私は学びました」


 彼の言葉に、議場は静まり返った。天音は首席として出席していたが、彼女の顔には複雑な表情が浮かんでいた。彼女は遼の変化を、誰よりも間近で見てきた一人だった。


「研究塔での出来事は、私に多くのことを教えてくれました」


 遼は続けた。片手で胸元のポケットに入れていた灯花の日記に触れながら。


「かつて私が軽蔑した平民の少女が、自らの命を賭して学院を救った。その姿に、私は真の高貴さを見ました」


 彼の言葉に、議場の空気が変わった。特に平民出身の学生代表たちの目が、希望の光を宿したように見えた。


「家名を捨てるということは、家の権力も財産も放棄することになるが、それでも良いのか?」


 年長の教授が尋ねた。それは遼が生まれ育った世界の常識からすれば、自殺行為に等しい決断だった。


「はい。私は新しい道を歩みます」


 遼の答えは迷いがなかった。彼はポケットから一枚の書類を取り出し、議長席に提出した。


「これは評議会の腐敗を指摘する調査報告書です。烏丸教授の秘密研究と、それを裏で支えた旧評議会の実態が記されています」


 その言葉に、議場は再び騒然となった。烏丸教授は事件後、自らの責任を認めて職を辞していたが、彼の背後にいた支援者たちは依然として学院内に残っていたのだ。


「君は...何を求めているのだ?」


 老教授の一人が、恐れを隠せない様子で問うた。


「改革です」


 遼の答えは簡潔だった。


「平民と貴族の隔たりを縮め、本当の意味での実力主義を実現する改革を」


 彼の宣言に、学生代表たちから賛同の声が上がった。特に天音は誇らしげな表情で遼を見つめていた。


 評議会の後、遼は別室で待っていた人物と対面した。それは烏丸教授の息子・烏丸理人だった。彼は父親とは違い、研究よりも実務に長けた若者で、現在は学院の事務局で働いていた。


「ついに言ったんですね」


 理人は静かに言った。彼も父親の行いに心を痛めていた一人だった。


「ああ。もう隠れている場合じゃない」


 遼は彼に向き直った。


「君の父は『影法師』の正体を知っていたはずだ」


 その言葉に、理人は苦い表情で頷いた。


「父の研究によれば、影法師とは魔法使いの内なる欲望が具現化したものです。特に強い願望を持つ者は、自分自身の影を別の存在として認識してしまう」


 遼はその説明を聞き、灯花の最期の表情を思い出した。彼女が見せた涙、そして彼女が最後に発した「それを、もっと早く言ってくれていれば」という言葉。


「彼女は最後に、自分自身に気づいたのかもしれない」


 遼はポケットから取り出した灯花の日記帳を開き、ある一節を理人に見せた。そこには「紅蓮の力に頼れば頼るほど、私は自分自身が何者か分からなくなる。でも、この力がなければ誰も私を見てくれない」と書かれていた。


「彼女は...承認欲求に苦しんでいたんですね」


 理人の声には深い同情が滲んでいた。


 遼は窓から見える研究塔の跡地に視線を向けた。そこには今、小さな庭園が造られ始めていた。灯花を追悼するための場所だ。


「彼女は...最後まで誰かのために戦っていたんだ」


 彼の言葉に、理人は静かに頷いた。二人は沈黙の中に立ち、それぞれの思いを静かに噛みしめていた。


 その夜、遼は自室で灯花の日記の最終ページを何度も読み返していた。そこには彼女の最後の本音が記されていた。


「影法師は私自身だった。自分の弱さや渇望を認められず、外側に投影していただけだったのかもしれない。でも今なら、その影と向き合う勇気がある」


 遼はその言葉を胸に刻むように読み、日記を閉じた。彼の中では、自らの決意がさらに強まっていた。高貴な生まれを捨て、本当の意味での改革者になること。それが彼の選んだ道だった。


 窓から昇る月を見上げながら、遼は静かに誓った。


「灯花の見つけた答えを、私も無駄にはしない」


 彼の言葉が星明かりの下で静かに響いた。

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