1. 炎の朝焼け
学院の空に残る紅い煙。研究塔の崩壊から一か月が経った今でも、夜明け前の空には微かに赤みがかかっていた。それは物理的な煙というよりは、強大な魔力が空気中に残した名残りのようなものだった。
朝焼けとともに、その紅さが次第に空の青さに溶け込んでいく。塔の崩壊の衝撃が夜を裂き、朝焼けとともに静寂が戻る---それがこの一ヶ月の日課のようになっていた。
広場に集められた学生たちの顔には、疲労と安堵が交錯していた。一晩中、崩壊した塔の周辺を封鎖するための結界を張り続け、今ようやく交代の時間が来たのだ。
天音は倒れた仲間たちに手を差し伸べていた。
「みんな、よく頑張ったわ。少し休みましょう」
彼女の声は優しかったが、その表情には強い決意が表れていた。天音は過去一ヶ月、率先して復興活動を指揮してきた。彼女はいつの間にか、学生たちの中心的存在になっていた。
ある一年生の少女が、天音に恐る恐る近づいてきた。
「天音先輩...」
「どうしたの?」
「灯花先輩は...もういないのですか?」
その問いに、広場は一瞬静まり返った。天音は悲しげに頷く。
「ええ。灯花はもういないわ」
言葉にするのは辛かったが、これが現実だった。その事実を受け入れなければ、前に進むことはできない。
「でも、彼女がしたことは無駄じゃなかった」
天音は続けた。彼女の声には確信が宿っていた。
学生たちの間では様々な噂が広がっていた。「影法師に魂を売った」「禁断の力に飲み込まれた」「自ら求めた破滅だ」。灯花の存在は既に伝説と化していた。
天音はそれらの言葉に首を振る。
「違う。彼女を飲み込んだのは、影法師でも紅蓮の力でもない」
生徒たちは天音の言葉に耳を傾けた。彼女は灯花の友人だったし、最後の瞬間を目撃した数少ない人間の一人だった。
「彼女を飲み込んだのは...」
天音は言葉を探した。簡単に説明できるものではなかった。灯花の内なる闘争、見られたいという渇望、そして最後に訪れた自己認識---それらを短い言葉で表現することは不可能だった。
「...それは、彼女が求め続けたものだったの」
曖昧な表現だったが、天音にはそれが最も正直な表現に思えた。だが、その真実を語るには、傷が新しすぎた。
一方、遼もまた、廃墟と化した研究塔を遠くから見つめていた。彼の左足は依然として包帯で巻かれ、杖をついて立っていた。秘術の代償は小さくなかったが、彼に後悔はなかった。
彼の手には小さなノートがあった---灯花の日記帳だ。研究塔の跡地から見つかった数少ない遺品の一つで、学院長から遼と天音に託されたものだった。
ページをめくると、ある一節が目に留まる。
「時々、鏡に映る自分が違う顔をしている。それは私自身なのに、私ではないような...でも、その影のような存在は私の内側から生まれたものだと、どこかで理解している」
遼はノートを閉じ、天音の元へと歩み寄った。彼女はちょうど学生たちに休息を取るよう指示したところだった。
「天音」
遼の声に、彼女は振り返った。
「遼...日記を読んだの?」
彼は静かに頷いた。二人は並んで立ち、遠くの朝焼けを見つめた。
「彼女が最後に見せたのは、本当の灯花だった」
遼は静かに言った。その言葉に天音は頷いた。彼らの傍らには、塔の瓦礫から救出された学生たちが疲れた様子で休んでいた。
「私たちの役目は、彼女の本当の姿を伝えることね」
天音の言葉に、遼は無言で同意した。二人は静かな決意を共有していた。灯花の栄光も過ちも、すべてを正直に語り継ぐこと。それが彼女の遺志を尊重する唯一の方法だった。
遠くの朝焼けは、灯花の炎の色を思わせるように、紅く輝いていた。その光は学院全体を柔らかく包み、新しい一日の始まりを告げていた。天音は目を細め、その輝きを見つめた。
「今日も、始まるわね」
灯花はもういないが、彼女が残した灯火は、彼らの心の中で静かに燃え続けていた。それはかつての紅蓮の炎のように激しいものではなく、誰かを温められる、優しい炎だった。
遼は黙ってうなずき、杖を持ち直した。彼らの前には長い道のりが待っていた。学院の再建、灯花の遺志を伝えること、そして彼ら自身が成長すること。
「行こう」
遼の一言に、天音は微笑みながら頷いた。二人は学生たちの元へと戻り、新しい一日の活動を始めようとしていた。彼らの背後で、朝日はますます鮮やかに輝きを増していった。




