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6. 仮面の下の涙

 研究塔の頂上で、世界が崩れ落ちようとしていた。霧島の秘術によって一時的に抑えられていた紅蓮の炎だが、彼の体力が限界に近づくにつれ、再び暴走の兆しを見せ始めていた。天井の残りの部分も今にも崩れ落ちそうで、床の亀裂からは地下の魔力炉の赤い光が漏れ出している。


 灯花は天音に支えられながら立っていた。彼女の体は実体を取り戻したものの、まだ脆く、完全に人間に戻ったとは言えない状態だった。彼女の周囲には制御不能な紅蓮の炎が渦巻いていた。


 「もう……時間がない」


 天音が震える声で言った。彼女は灯花の腕をしっかりと掴み、霧島の方を見た。彼はもはや自分で立っていることもできず、壁にもたれかかっていた。


 「早く……逃げろ」


 霧島の言葉は、血で濡れた唇から絞り出すように発せられた。彼の封印術式は彼の生命力を使って紅蓮の力を抑え込んでいたが、その効果は急速に薄れつつあった。


 天音は灯花を引っ張って出口へ向かおうとしたが、灯花は動かなかった。彼女の目は紅蓮の渦の中心にある魔核に釘付けになっていた。


 「灯花!早く!」


 天音の叫びに、灯花はようやく我に返ったように顔を上げた。彼女の瞳の奥に涙が溜まり、唇が固く結ばれ、顔の筋肉が小刻みに震えていた。


 「天音……私はここに残る」


 灯花の声に微かな震えはなく、顔が上げられた。


 「何を言ってるの!?一緒に帰りましょう!」


 天音は友の腕をさらに強く掴んだが、灯花は優しくその手を解いた。


 「私しかできないことがある」


 灯花は一歩前に出て、魔核の方へと向き直った。もう後戻りはできないという覚悟が、彼女の真っ直ぐな背筋と、わずかに震える拳から読み取れた。


 「灯花!」


 天音は泣きながら彼女の名を呼んだ。灯花は振り返り、初めて本当の笑顔を見せた。それは力を誇示するための微笑みでも、承認を求める演技でもなく、純粋な灯花の表情だった。


 「魔核との共鳴を解くには、私が紅蓮の契約を解除するしかないわ」


 灯花はそう言って、右手の薬指に刻まれた紅蓮の刻印を見つめた。それは今や彼女の肌に深く食い込み、その赤い光は彼女の血管を通じて全身に広がっていた。


 「だけど……それは」


 天音は言葉を詰まらせた。彼女は霧島から聞いた古い言い伝えを思い出していた。紅蓮の契約を解除するということは、その代償として—


 「そう、私の命と引き換えよ」


 灯花は静かに言った。彼女の声は震えず、肩の力も抜けていた。ただ受け入れるという静かな決意だけが、その穏やかな表情に宿っていた。


 魔核の威力が再び強まり、部屋中の紅蓮の炎が激しく燃え上がった。霧島の封印術式が限界に達し、彼は意識を失いかけていた。天音は絶望的な顔で周りを見回し、何か他の方法がないか必死に考えていた。


 「お願い、灯花……一緒に帰りましょう。きっと他の方法が……」


 灯花は首を振った。彼女の頬を涙が伝い落ちていたが、同時に口元には穏やかな微笑みが浮かんでいた。


 「天音……ありがとう。あなたが来てくれたから、最後に気づくことができた」


 灯花は両手を広げ、魔核に向き合った。彼女の体から紅蓮の炎が湧き上がり、それは制御された、美しい形を取り始めた。


 「灯花……!」


 天音は叫んだが、もう止められないことを理解していた。灯花の決意は固く、その真っ直ぐな瞳と揺るがない立ち姿が、彼女こそが唯一この暴走を止められる存在であることを物語っていた。


 灯花は魔核に近づき、その前で手を合わせた。彼女の中では無数の記憶が走馬灯のように流れていた。母の教え、美羽の笑顔、天音との友情、そして霧島との複雑な関係。


 「私は何を望んでいたんだろう」


 灯花は心の中で自問した。力だったのか、承認だったのか、それとも単に誰かの役に立ちたかっただけなのか。


 答えは彼女の胸の奥で静かに響いていた。彼女は本当は、誰かの暖炉になりたかった。ただそれだけだった。


 魔核の光が彼女を包み込む中、灯花は最後の詠唱を始めた。それは紅蓮の契約を解除するための言葉だった。彼女の声は震えていたが、意志は揺るがなかった。


 「天音……」


 詠唱の合間に、灯花は友に目を向けた。


 「ごめんね。でも……これが私の選んだ道」


 天音は頬を涙で濡らしながら頷いた。彼女は灯花の決意を尊重せざるを得なかった。


 「必ず美羽に会って、私の代わりに……」


 灯花の言葉が途切れる。彼女は激しい痛みに顔をゆがめたが、詠唱は続けた。彼女の体から紅蓮の刻印が消え始め、代わりに血のような赤い涙が頬を伝い落ちた。


 「灯花!」


 天音は友に駆け寄ろうとしたが、灯花は手で制した。


 「もう近づかないで……危険だから」


 灯花の体が輝き始め、紅蓮の炎と魔核の光が一体となって彼女を包み込んでいった。彼女の姿がだんだと光の中に溶け込んでいく。


 「あなたに出会えて、本当に幸せだった」


 灯花のその言葉は、風のようにかすかだった。天音は涙で頬を濡らしながら頷いた。


 「私も……あなたは最高の友達だったわ」


 灯花は最後に優しく微笑んだ。その表情には、もはや演技も、仮面も、見せかけの強さもなかった。ただ一人の少女の、真摯な気持ちだけがあった。


 「……それを、もっと早く言ってくれていれば」


 灯花のその言葉には、その声が震え、目が遠くを見つめ、肩がわずかに下がった。彼女の存在がゆっくりと光に変わっていく。


 その瞬間、魔核が臨界点を超え、研究塔が崩壊し始めた。天井が完全に崩れ落ち、床も砕け始める。


 「天音、早く!」


 霧島が最後の力を振り絞って叫んだ。彼は辛うじて立ち上がり、天音の方へ一歩踏み出した。


 天音は灯花の方を見つめたまま足が動かなかった。彼女は最後まで友を見守りたかった。


 「行って……お願い」


 灯花の声は既に実体を失いつつあったが、その思いは確かに天音に届いた。天音は涙をぬぐい、霧島の方へと走り出した。


 最後の瞬間、灯花は自分の力を使って、天音と霧島を守るための結界を展開した。それは彼女が最後に使う結界魔法、そして最初に愛した魔法だった。


 魔核が完全に暴走し、塔が崩壊する中、灯花の姿は完全に光の中に溶け込んだ。最後に見えたのは、彼女の涙に濡れた顔だった。それは観客のいない場所での、ただ一人の少女としての偽りのない表情—仮面の下に隠れていた本当の灯花の姿だった。


 研究塔は轟音とともに崩れ落ち、紅蓮の光が夜空に向かって一筋、まるで流星のように伸びていった。


 しかし、その光は消えることなく、夜空に小さな星のように残り続けた。まるで灯花の意志が、彼女の真の願いが、まだ完全には終わっていないことを告げるかのように。


 天音と霧島は崩壊から逃れ、安全な場所で空を見上げた。そこに輝く小さな光を見つめながら、天音は心の中で誓った。灯花の本当の願い—誰かを守り、より良い世界を作りたいという純粋な思い—を必ず実現すると。


 灯花の物語は終わったが、彼女が遺したものは、これから始まる新しい物語の種となる。その種は、天音と霧島、そして彼女を知る全ての人の心の中で、静かに芽吹こうとしていた。

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