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4. 虚無との対話

 研究塔から放たれた紅蓮の光は、夜空を真紅に染めていた。塔の内部では崩壊が進み、最上階はもはや現実の空間とは思えないほど歪んでいた。時間の流れさえも異なり、一瞬が永遠のように感じられる。


 灯花はもはや肉体を持たず、紅蓮の光と魔核の力が溶け合った存在となっていた。彼女の意識は光の海の中に漂い、断片的な記憶と感情の欠片が周りを漂っていた。


 「私は……どこ?」


 彼女の問いは虚空に消えていった。周囲には無限の赤い闇が広がっているようで、自分がどこにいるのかも、どれだけの時間が経ったのかもわからない。


 「あなたは自分自身の内側にいるのよ」


 突然、やさしい声が聞こえた。灯花の前に一筋の光が現れ、それは彼女の母・イリナの姿へと変わっていった。しかし、それは本当の母ではなく、彼女の記憶から作られた幻のようなものだった。


 「母さん……?」


 「あなたは何を求めているの?」と母の幻影が問いかける。


 灯花の唇が開いたが、喉からは息だけが漏れた。かつての彼女なら迷わず答えられた質問なのに。


 「力よ……皆を救うための」


 言いながらも、彼女はその言葉に偽りを感じていた。母の幻影は静かに首を振った。


 「本当に求めていたのは、力そのものではなく、他者からの承認だったのでは?」


 その問いに、灯花の口が半開きになり、全身が細かく震え、息が詰まった。


 背後から別の声が聞こえ、灯花が振り返ると、そこには影法師が立っていた。しかし今、その姿は彼女そっくりに見えた。影法師は彼女と同じ顔、同じ姿をしている。まるで鏡に映った自分を見ているようだった。


 「見られるために、どれほど演じてきた?」


 その言葉に、灯花の胸がギリリと締め付けられ、目尻が下がった。そして彼女は気づいた。この声は外から来るものではなく、自分自身の声だということに。


 「あなたは……私?」


 影法師は微笑んだ。「私はあなたの影。あなたが認めたくなかった部分。他者の目に映る自分にしか価値を見出せなくなった、あなた自身の一部よ」


 灯花は震える手で顔を覆った。これまで押し殺してきた真実と向き合わざるを得なくなり、胸の奥で何かが音を立てて崩れ落ちていった。


 「自分を証明するために、誰を犠牲にしてきたの?」


 その問いが彼女の中に響き続ける。頭の中に次々と顔が浮かんだ。天音の心配そうな表情、美羽の無邪気な笑顔、母の教え、そして貧民街の子供たち—特にユイの凍りついた顔。


 「私は……彼らのために強くなりたかったはず」


 「本当に?」と影法師は問いかけた。「それとも、彼らを救うことで称賛されたかっただけ?」


 その言葉が、灯花の心の奥底に眠る本当の動機を暴き出した。彼女は膝をつき、紅蓮の海に涙を落とした。その瞬間、涙が落ちた場所から波紋が広がり、新たな幻影が現れた。


 今度は龍王の姿だった。古代から続く神話的存在とされる龍族の長。灯花が共鳴していた魔核の持ち主だ。


 「人の子よ、力を求めすぎたがゆえに自らを見失う者は多い」


 龍王の声は低く、大地が震えるように響いた。


 「あなたの求めた力は、誰のためのものだったのですか?」


 灯花は龍王を見上げた。その問いにも彼女は答えられなかった。


 「私はただ……皆の役に立ちたかっただけ」


 そう言いながらも、彼女の手が無意識に胸を押さえ、目が沼らついた。


 龍王は静かに頷いた。「真の力は、他者を照らすためのもの。自らを照らしてもらうためのものではない」


 その言葉が灯花の心に響いた。彼女が本当に求めていたものは何だったのか。自らを照らしてもらうため—つまり認められるため、見られるため、それが彼女の隠された動機だった。


 「私は……間違っていた」


 灯花はようやく自分自身と向き合い始めていた。虚空の中で、彼女を包む光が少しずつ穏やかさを取り戻し始めた。


 その時、別の声が聞こえた。それは小さな少女の声だった。


 「お姉ちゃん、戻ってきて」


 美羽の声だった。灯花は手を伸ばしたが、そこには誰もいなかった。ただ声だけが虚空に響いていた。


 「美羽……ごめんね」


 灯花は心の中で妹に語りかけた。自分が力に溺れ、本来の目的を見失っていたことを謝りたかった。


 その時、紅蓮の海が揺れ動き、灯花の周りに無数の火の玉が浮かび上がった。それぞれの火の玉には、彼女の記憶が映し出されていた。初めて魔法を使った日、学院に入学した日、天音と出会った日、そして影法師と契約を交わした日。


 「これらの選択が、あなたを今ここに導いた」


 母の幻影が再び語りかけた。「でも、まだ最後の選択が残されている」


 灯花は首をかしげた。「最後の選択?」


 「あなたは誰のために炎を灯すの?」


 この問いに、灯花はようやく自分の本当の気持ちに気づき始めていた。これまで彼女は他者の目を通して自分を定義してきた。誰にも見られなければ、自分が消えてしまうような恐怖に支配されていた。


 「私は……」


 灯花は言葉を探した。周囲の紅蓮の炎が次第に色を変え、元の彼女が持っていた優しい暖かさを帯びた橙色の炎へと変わり始めていた。


 「私は皆の暖炉になりたかった。でも、それは称賛を得るためじゃなく……」


 彼女の声は次第に力強さを取り戻していった。


 「ただ、誰かの心を温めたかっただけ」


 その言葉と共に、灯花の魂から紅蓮の色が少しずつ剥がれ落ちていった。本来の彼女が持っていた純粋な願いが、再び形を取り始めていた。


 影法師は微笑みながら彼女に近づき、手を差し出した。


 「さあ、本当のあなた自身と向き合う時よ」


 灯花は恐る恐る手を伸ばした。影法師の手に触れた瞬間、二つの存在が一つに溶け合った。それは胸が焦げるように痛み、同時に肩から力が抜け、深い息が漏れた。


 「私は……私」


 シンプルだがこれまで口にできなかった言葉。灯花はようやく自分自身を、良い部分も悪い部分も含めて受け入れ始めていた。


 周囲の紅蓮の海が揺れ動き、研究塔の現実世界との繋がりが感じられた。塔が崩壊する震動が、ここにまで届いているようだった。


 「もう時間がないわ」と母の幻影が言った。


 灯花は頷いた。彼女はもう一度、周りに浮かぶ記憶の火の玉を見渡した。そこには彼女が大切にしてきた人々の顔があった。天音、霧島、美羽、母、そして貧民街の子供たち。


 「彼らを……守らなきゃ」


 その思いが彼女の中で強まるにつれ、不思議と肩の力が抜け、呼吸が深くなっていった。もう承認を求める焦りはなかった。ただ純粋に、大切な人たちを守りたいという思いだけが残っていた。


 灯花は目を閉じ、自分の内側に残った最後の力を集中させた。


 「最後に……ひとつだけ」


 彼女の魂が光り始めた。それは紅蓮の光ではなく、彼女本来の温かな炎の色だった。


 「天音、霧島、みんなを守るために……」


 灯花の決意が固まった瞬間、虚空が震え、彼女の意識は現実世界へと引き戻されていった。だが今度は一人ではない。自分自身のすべてを受け入れた、本当の灯花として。

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