2. 天音の決起と真意
学院の中央広場は混乱に包まれていた。研究塔から立ち上る紅蓮の光柱が夜空を染め、学生たちは恐怖に駆られて右往左往していた。教授陣が必死に秩序を保とうとしているが、これほどの異変に、指示する声さえも掻き消されそうになっていた。
「皆さん、こちらに集まってください!」
天音は自ら作り出した風の渦に乗って、石の台座の上に飛び上がった。一段高い場所から広場を見渡すと、おびえた学生たちの姿がはっきりと見えた。
学院長の一声で、緊急集会が招集されたのだ。研究塔からの避難を完了した今、次の行動について話し合うためだった。だが実際には、混乱と恐怖が支配する集会に秩序はなかった。
「あんな危険な力、見るからに禁忌の魔法じゃないか!」
「学院の結界も突破するなんて、常軌を逸している!」
「評議会に緊急通報すべきだ!」
怒号が飛び交う中、天音は深く息を吸い込んだ。彼女のためにできることは何か—それが今の彼女の唯一の思いだった。
「皆さん、灯花を助けなければなりません!」
天音の声が風の魔法に乗って広場に響き渡った。突然の声に、一瞬の静寂が訪れる。
「何を言っている?あんな危険な魔法に取り憑かれた者など、見捨てるべきだ!」
男子学生の一人が声を上げた。彼は貴族の家系に生まれ、平民に対する優越感を隠そうともしなかった。
「そうだ!平民風情が分相応の力を求めた結果だろう」
別の貴族の学生が冷ややかに言った。彼らの言葉に同調する声が上がり始める。
天音は顔を上げ、揺らめく炎に照らされた研究塔を見つめた。胸が熱くなり、同時に冷たいものが喉を締め付けたが、今は感情に流されている場合ではない。
「違います」
天音の声は静かだが、確かな意志を宿していた。
「灯花は強くなりたかったんじゃないんです。誰かに見てもらいたかっただけなんです」
その言葉に、一部の学生たちの表情が変わった。特に平民出身の生徒たちは、天音の言葉に何か心当たりがあるように顔を見合わせた。
「私たちは彼女を本当の意味で見てこなかった。認めてこなかった」
天音は続けた。その声が高まり、肩が上がり、顔を上げた。
「だから彼女は紅蓮の力に頼ってしまった。でも、本当の彼女はそんな人ではない」
天音の言葉に、周囲から「どういう意味だ?」「彼女のことを知っているのか?」という声が上がった。
「灯花は……」
天音は一度言葉を切り、目を閉じて深く息を吸った。これまで彼女が見てきた灯花の姿、貧民街で子供たちを助ける彼女の優しさ、そして何より、彼女の純粋な魔法への愛情。
「彼女は貧民街の子供たちのために奨学金を使い、食事を与え、暖かい結界を張っていました。一度も見返りを求めず、ただ誰かの役に立ちたいという思いだけで」
その言葉に、一部の学生たちの表情が変わる。特に「灯花から結界術を教わった」という下級生や、「妹の病気を治してもらった」という少年が前に出てきた。
「あの灯花さんが……そんな危険な魔法を?」
「信じられない……彼女はいつも優しかったのに」
天音は頷いた。そう、それこそが本当の灯花の姿だった。
「だからこそ、助けに行かなければならないんです」
彼女の声が震え、拳が固く握られ、爪が手のひらに食い込んだ。
「彼女は今、力に飲み込まれそうになっている。でも私は信じています。本当の灯花はまだそこにいると」
天音の言葉は広場に静かに広がった。それは強い魔法ではなく、ただの少女の思いだったが、確かに何かを変える力を持っていた。
だが、まだ多くの学生たちは恐れを捨てきれずにいた。
混乱の中から、一人の男子学生が前に出てきた。それは霧島だった。彼が平民の天音の側に立つなど、数ヶ月前なら想像もできなかったことだ。
「……行くなら俺も行く」
霧島の声は静かだったが、その意外な申し出に、周囲からは驚きの声が上がった。貴族の嫡男である彼が、平民出身の灯花のために命を危険にさらすなど。
「霧島……」
天音の目が潤み、唇がかすかに震えた。手が自分の胸を押さえた。
「彼女は私の敵だった。だが、彼女が何を守ろうとしていたのか、今ならわかる」
霧島の言葉に、さらに数人の学生が前に出てきた。
「私も行きます」「灯花さんには恩があります」
少しずつだが、救援の意志を示す学生が増えていった。
天音は広場を見渡した。まだ怖がる学生、反対する教授もいたが、確かに何かが変わり始めていた。彼女は霧島に向かって小さく頷いた。
「行きましょう」
二人が研究塔へと向かう途中、天音の胸の奥がじんと熱くなり、脇腹がきりきりと痛んだ。入学当初の彼女の瞳の輝き、夜遅くまで結界術を練習する姿、そして次第に変わっていく彼女の表情—見られることへの渇望に支配されていく様子。
「灯花……私たちが来るわ」
天音の胸が熱くなり、指先に力がこもった。
「私が本当のあなたを取り戻すから」
研究塔の入口に到着すると、紅蓮の力が生み出した結界が彼らの前に立ちはだかった。天音は恐れることなく、その結界に自らの風の魔法を当てた。
二人の背後には小さな救援隊が続いていた。十人に満たない数だったが、それぞれの決意は固かった。
天音は研究塔を見上げた。頂上から立ち上る紅蓮の光柱は、星空を焼き尽くすように輝いていた。だがその光の中に、天音は一人の少女の孤独を感じていた。
「待っていて」
風の力を手に集中させながら、天音は結界に小さな亀裂を作り始めた。彼女の瞳には恐れではなく、友を救いたいという純粋な願いだけが宿っていた。




