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1. 観客なき舞台

 夜明け前の暗闇の中、研究塔の最上階は紅蓮の炎に包まれていた。天井の一部は崩れ落ち、外気が流れ込み、魔法装置の破片が散乱していた。その中心で灯花は立ち尽くしていた。


 もう地面から離れた足が宙に浮いている。完全共鳴を果たした魔核の前で、彼女の体は紅蓮の力に満たされ、重力すら無視するかのように、わずかに床から浮き上がっていた。彼女の周りを渦巻く炎は、かつてないほどの輝きを放っている。


 「私を見て」


 灯花は空間に向かって語りかけるように言った。その声は細く震え、空間に消えていった。


 「私を見て、私を讃えて」


 その言葉は神託のように力強く響いたが、答えるものはなかった。周囲に広がるのは冷たい静寂だけ。塔の下層では警報が鳴り響き、学生たちは急いで避難している。だがここ最上階には、彼女の他に誰もいなかった。かつては烏丸教授が立ち会っていたが、彼も逃げ出してしまった。


 天井の穴から見える星空を見上げ、灯花はかすかに笑った。その唇の端が歪に引きつり、目に光がなかった。


 「誰も……見ていない」


 灯花は自分の手に宿る紅蓮の炎を見つめた。まるで生きているかのように脈動するその炎は、彼女の意志を超えて動き始めていた。


 これを手に入れるために、彼女は何を犠牲にしたのだろう。この力を得るために、何を求めていたのだろう。家族を守るため?弱者を救うため?それとも単に自分が認められたいという欲望のため?


 頭の中で疑問が渦巻く中、魔核との共鳴は臨界点へと達していた。その光は彼女の体を通り抜け、彼女自身も光の一部となりつつあった。


 「ああ……見られないのなら、この力に何の意味がある?」


 その言葉は彼女自身にも予想外だった。これまで「力を得ること」が目的だと思っていたのに、今になって「見られること」が本当の目的だったと気づくなんて。


 灯花は苦く微笑んだ。一部屋を占める観測装置、記録石、全てが「誰かに見せるため」に設置されたものだった。そして今、その「誰か」は誰もいない。


 窓の外では学院に混乱が広がり、避難する学生たちの姿が見える。炎と煙に照らされた彼らの表情には、恐怖と混乱しか浮かんでいなかった。彼女が想像していた景色ではなかった。


 誰もが彼女を称賛し、その名を口にし、灯花という存在に感謝する—そんな光景を夢見ていたのに。


 「私は結局、何のために……」


 魔力が周囲の空間を歪め始め、床の一部が崩れ落ちた。灯花は危うく足場を失いかけたが、紅蓮の力に支えられて宙に浮いたまま、彼女は虚ろな目で空を見上げた。


 かつて純粋に魔法を愛していた自分は、どこに消えてしまったのだろう。母が教えてくれた「皆を照らす暖炉のような炎」という言葉の意味は、いつの間にか彼女の中で変質していた。照らすのではなく「照らされる」ことを求めていたのだ。


 「美羽、母さん……私は間違えたの?」


 灯花の頬を一筋の涙が伝った。胸が凍りついたように重く、喉が締め付けられ、右手が胸を押さえた。これほどの力を手に入れながら、それを共有する相手も、認めてくれる誰かもいない。


 彼女の体は今や半透明になりつつあった。魔力との同調が進むにつれ、彼女の肉体と精神は限界を超え、別の何かに変わりつつあった。しかし灯花の意識は依然として鮮明で、今この瞬間の虚しさを痛いほど感じていた。


 壁に固定されていた唯一無事な鏡に、灯花は自分の姿を映した。そこに映るのは彼女が望んでいた「完璧な魔法使い」の姿—輝かしく、力強く、まさに伝説のような存在。だがその瞳には命が宿っておらず、ただの光が揺らめいているだけだった。


 「これが私?」


 鏡の前に立ち、灯花は初めて自分自身の姿を客観的に見た。そしてそれが「演じてきた自分」でしかないことを。


 大きな震動が塔を揺るがした。下の階から叫び声が聞こえる。誰かが彼女を救おうとしているのだろうか。それとも、この危険な力を止めようとしているのか。


 廊下から複数の足音が響いてきた。天音の声が聞こえる。霧島の低い声も混じっている。さらに、学院の職員たちの慌ただしい動きも。


 「もう遅いわ」


 灯花は窓の方へと浮かび上がった。外の空気に触れると、紅蓮の炎は一層鮮やかに燃え上がった。遠くから彼女の名を呼ぶ声が聞こえる気がした。天音だろうか、霧島だろうか。


 「私の名を呼ぶ人がいる」


 その認識に、彼女の胸がわずかに跳ね、肩が下がった。少なくとも、完全に忘れられたわけではないのだと。


 塔の外では、避難を指示する学院長の魔法で増幅された声が響いていた。「全学生は安全地帯へ避難せよ!」 だが天音と霧島は、その指示に逆らって塔に向かっていた。灯花を救うために。


 しかし同時に、彼女の胸の奥で黒いものが蠢動し、胃の辺りがちくちくと痛んだ。こんな形での「認識」が、本当に彼女の求めていたものだったのだろうか。恐れられ、危険視され、止められるべき存在として見られること—これが彼女の夢だったのだろうか。


 魔核の光が極限まで強まり、灯花の体を通り抜けて天に伸びていく。彼女の頭の中で映像がちらつき、こめかみがつんざくような痛みが走った。雪の中で初めて火を灯した日、学院に合格した喜び、天音との友情、そして徐々に変わっていく自分自身への違和感。


 「私はどこで道を間違えたの……」


 灯花の問いは、虚空に溶けていった。彼女の体は今や光と一体化しつつあり、人間の形を保っているのが精一杯だった。


 最後に残った意識で、灯花は星空を見上げた。その瞳に映る星々は、かつて彼女が純粋に魔法を愛していた頃と同じように、美しく輝いていた。


 「本当の舞台は……ここじゃなかった」


 彼女の言葉が消えるとともに、魔核からの光が一層強まり、研究塔の最上階を完全に包み込んでいった。

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