7. 天音の覚悟
閃光が校舎全体を包み込み、地鳴りのような震動が学院中に広がった。天音は図書館で本を読んでいたが、棚から落ちてくる書物を咄嗟に風の魔法で受け止めた。
「これは……」
窓から見える研究塔の方向から、不自然な紅い光が空に向かって伸びていた。天音の胸が冷たくなり、手のひらに汗が滲んだ。
「灯花!」
本を放り出し、天音は図書館を飛び出した。廊下では混乱に陥った学生たちが右往左往している。彼女は研究塔へと続く中庭を駆け抜けながら、魔法で声を増幅させた。
「皆さん、落ち着いて!研究塔から離れてください!」
しかし彼女自身は逆に、震動の中心へと向かっていた。あの紅い光の正体を、天音は薄々理解していた。灯花が追い求めていた魔核共鳴の臨界点—そして「影法師」の力の暴走。
数日前、天音は霧島から手に入れた烏丸教授の研究資料の一部を読んでいた。そこには魔核共鳴の危険性について記されていた。「共鳴率100%で術者の精神は霧散し、制御不能の魔力の渦と化す」—その一文が脳裏に浮かぶ。
「灯花が危ない!」
天音は叫びながら、広場の中央に立った。学生たちが彼女を取り囲み始める。
「皆さん、聞いてください!今、研究塔で何が起きているか説明します」
混乱した学生たちの間に、静寂が広がる。天音は深呼吸して、言葉を選んだ。
「研究塔で魔力暴走が起きています。これは……私の友人、灯花の実験が原因です」
学生たちの間から、ヒソヒソとした囁きが漏れ、足が不安げに動いた。灯花の名は、この数ヶ月で学院中に知れ渡っていた。天才的な魔法使いとして、畏怖と羨望の対象となっていたのだ。
「彼女は強力な魔法を使っています。でも、それは本当の彼女じゃない」
天音の声は震えていた。しかし彼女は意を決して続けた。
「彼女は弱かった。でも誰かに見てほしかっただけなんだ」
その言葉に、一部の学生たちが反応を示す。特に灯花が貧民街の子供たちを助けていたことを知る者たちだ。
「彼女は承認を求め、伝説になりたかった。でも本当は……皆の役に立ちたかっただけなんだ」
天音は涙ぐみながらも、声を張り上げた。
「私は彼女を助けに行きます。誰か、手伝ってくれませんか?」
一瞬の沈黙。多くの学生は恐れて後ずさりした。そんな中、ひとりの姿が人混みを割って前に出てきた。
「私が行こう」
霧島だった。彼の落ち着いた声に、周囲は驚きを隠せない。貴族のプライドを持つ彼が、平民出身の灯花のために名乗り出るなど、数ヶ月前なら想像もできなかったことだ。
天音の肩がすとんと落ち、長い息が漏れた。手が自分の胸を撫で下ろした。
「霧島……」
彼は無言で頷くと、天音の傍らに立った。
「我々にできることは限られている。だが、試みる価値はある」
霧島の態度の変化に、周囲は驚きを隠せない。彼が静かに言葉を続けた。
「彼女は私の敵だった。だが……認めざるを得ない。彼女は本物の魔法使いだった」
その言葉に、数人の上級生たちが前に出てきた。
「私たちも行きます」
「灯花さんには感謝してるんです。妹の病気を治してくれたから」
「彼女の結界術を学ばせてもらったことがあります」
次々と声が上がる。彼らは皆、かつて灯花に助けられた経験を持っていた。天音の喉が熱くなり、目頭に涙が溜まった。
「ありがとう……」
彼女が目を開けると、霧島が彼女を見つめていた。その瞳がまっすぐに彼女を捉え、いつもの高慢さが消えていた。
「彼女は今の姿を自ら選んだ。だが、本来の姿を見失っている。我々が目を覚ましてやらねばならない」
霧島は静かに言った。彼も平民出身の灯花を見下していた過去を悔いていたのだ。
救援隊が形成されていく中、烏丸教授がやってきた。彼は何かを抱えていたが、天音には紅蓮の炎を記録した機器のように見えた。教授は表向きは「危険すぎる」と救援活動を止めようとしたが、その目が妙に輝き、口元がかすかに震えていた。
「才能ある者同士の戦い……これこそ選ばれし者の証明だ」
教授の低い呟きを、天音は聞き逃さなかった。彼女は一瞬立ち止まり、教授を凝視した。
「教授、今のは……」
彼は咳払いをして話題をそらした。
「諸君の勇気は買うが、あの塔に入ることは自殺行為だ。私は反対せざるを得ない」
霧島が一歩前に出た。
「ならば公式な救援隊ではなく、有志の活動ということにしていただきたい」
烏丸教授は渋々同意し、その場を離れた。彼は安全な場所から全てを観察する気だったのだろう。
天音は彼の背中を見送りながら、胸の奥で冷たいものが形になっていくのを感じた。この灯花の暴走、そして教授の不審な態度—それらは偶然ではないと確信した。
「行きましょう」
天音は霧島と救援隊の面々に向かって頷いた。その瞳が鋭く光り、拳が固く握られていた。
研究塔へと向かう途中、天音は心の中で誓いを立てた。
「灯花……必ず本当のあなたを取り戻すから」
塔の入り口に立つと、巨大な紅蓮の結界が彼らの前に立ちはだかっていた。天音は深呼吸し、風の魔法を纏った掌を結界に押し当てた。
「私が行きます。先頭は私です」
かつては臆病で自信のなかった彼女の姿はもうどこにもなかった。今の天音には、友を救うという一点の揺るぎない覚悟だけがあった。
「私たちは皆、あなたの味方だよ、灯花」
結界を押し開きながら、天音は心の中で友への思いを強くした。彼女の周りには救援隊が集まり、結界に立ち向かう準備を整えていた。
天音は振り返り、全員の顔を見た。彼らの表情には恐れとともに、確かな決意があった。彼女はそれに応えるように頷き、塔の中へと足を踏み入れた。
「行くわ」
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## 地下ラボ・灯花の心境
同じ頃、地下ラボでは灯花が一人、魔核の暴走する光の中に立っていた。共鳴率は95%に達し、もはや彼女の制御を完全に超えていた。
しかし、この瞬間、灯花は奇妙な静寂の中にいた。魔力の嵐の中心にいるはずなのに、心の中だけは妙に静かだった。
「これが私の求めていたものだったのか?」
紅蓮の炎に包まれながら、灯花は自分自身に問いかけた。確かに今、学院中の注目を集めている。誰もが彼女のことを話題にし、恐れ、驚いている。でも、それは本当に彼女が望んでいた「見られること」だったのだろうか。
ふと、ユイの笑顔が頭に浮かんだ。孤児院の子供たちの無邪気な声、母からの手紙、天音との何気ない会話。
「私は……本当は……」
魔核の光が更に強くなる中、灯花の瞳に一筋の涙が流れた。それは魔力によって瞬時に蒸発したが、確かにそこにあった。
影法師が現れ、囁いた。『今更後悔しても遅い。この力を使い続けるしかない』
しかし、灯花は首を振った。胸の奥で、小さな声が響いていた。まだ遅くない、まだ戻れる、と。
塔の上階から聞こえてくる足音に、灯花は顔を上げた。誰かが自分を探しに来ている。その事実が、彼女の心に微かな温かさをもたらした。




