2. 現在 ― 演習室の輝き
入学から半年、灯花は演習室で高等結界術の練習に打ち込んでいた。何度も失敗を繰り返し、両手には小さな火傷の跡がいくつも残っている。だがそれは、彼女にとって努力の勲章のようなものだった。指先のひりひりとした痛みが、前進している証拠だと自分に言い聞かせる。
「もう一度」
灯花は呟き、再び魔力を指先に集中させた。疲労で手が微かに震えるのを意識的に抑え込む。術式の一本一本を丁寧に描き、呼吸を整える。最後の詠唱を終えた瞬間、彼女の周囲に淡い青白い光の壁が立ち上がった。
完璧な結界の展開に、灯花の唇に小さな満足の笑みが浮かぶ。達成感で胸が温かくなり、疲れが一瞬だけ吹き飛んだ。
「やっと……できた」
その時、演習室の扉が勢いよく開いた。入ってきたのは、王国有数の名門・霧島家の嫡男、霧島遼と彼の取り巻きだった。
「ほう、平民が結界を?」
霧島は冷ややかな目で灯花の結界を眺めた。
「基礎もおぼつかないのに高等術に手を出すとは、無謀というか……哀れというか」
周囲から笑い声が漏れる。灯花の頬が熱くなるのを感じたが、表情筋一つ動かさず、淡々と練習を続けた。こめかみがずきずきと脈打つ。反応を示さなければ、そのうち飽きて去るだろう。実際、霧島たちはしばらく冷やかした後、別の演習室へと移動していった。
演習が終わり、灯花は教授の部屋から成績表を受け取った。そこには無情な現実が記されていた。
「霧島遼……暫定首席。そして私は……2位」
灯花は紙を強く握りしめた。紙の端が手の震えでかすかに揺れる。寝る間も惜しんで練習してきたのに、なぜ届かないのか。喉の奥が急に渇き、唾を飲み込むのも苦しい。考えれば答えは簡単だった。生まれた環境の差だ。霧島のような貴族の子息は幼い頃から最高の魔法教育を受け、上質の教材や道具に囲まれて育つ。対して自分は、貧民街の小さな家で独学していた身だ。
廊下を歩いていると、上級生の貴族たちが談笑しているのが聞こえてきた。
「平民風情が上位に入るなんて、学院の格が下がったな」
「平民には平民の限界があるさ。いずれ順位は正しく戻るよ」
その言葉に灯花の胸は締め付けられた。胃の中で何かが冷たく沈んでいく感覚。しかし彼女は表情を変えずに足早に過ぎ去った。廊下を歩く自分の足音だけが、やけに大きく響いて聞こえた。
自室の鏡に映る疲れた表情を見つめながら、灯花は自分に言い聞かせる。目の下のくまが昨日より濃くなっている。頬もこけてきたような気がする。
「このままじゃ家族も貧民街の人々も救えない」
母の病、美羽の薬代、そして孤児院の子どもたち。彼らの顔を思い浮かべると、胸の奥が締め付けられるように痛んだ。彼らを助けるためには、平民の限界など打ち破らなければならない。
灯花は拳を握りしめ、決意を新たにした。爪が掌に食い込むほど強く、痛みで自分を奮い立たせるように。しかし、鏡に映る彼女の瞳の奥には、知らず知らずのうちに翳りが広がり始めていた。かつての純粋な輝きが、少しずつ何か別のものに変わりつつあることに、彼女自身はまだ気づいていない。