4. 烏丸教授の傾倒
夜の帳が学院に降りてきた頃、烏丸教授は自室の書斎で灯花の最新のデータを見つめていた。彼の机上に並ぶ魔力振動グラフには、これまでに見たことがない共鳴パターンが記録されていた。
「素晴らしい...これほどの適応率は前例がない」
彼は老眼鏡を上げ、魔法の明かりを強めて数値を確認する。魔核との共鳴率は80%を超えていた。通常の魔法使いならば、とうに精神が破綻するはずの領域だ。だがあの少女は耐え、さらに高みへと挑んでいた。
烏丸の机上には、過去の「選ばれし才能」を持つ学生たちの記録が積まれていた。彼が見出してきた平民出身の逸材たち。結晶理論を築いたライアン、大陸初の三重結界を構築したエリザ、そして---破滅的な結末を迎えたセリナ。
しかし灯花は、彼らをも凌駕する成果を示していた。
烏丸はため息をつき、窓から夜空を仰ぎ見た。星々は昔と変わらぬ輝きを見せている。
「才能ある者だけが世界を導く資格を持つ」
彼はそうつぶやいた。それは彼の信念であり、魔法哲学だった。彼自身も貧しい平民の出でありながら、類稀なる才能と努力で今の地位を築いたのだ。
机の引き出しから古い写真を取り出す。一枚は彼が少年だった頃のもの。貧しい村で一目置かれる「奇跡の子」として注目を集めていた時代だ。もう一枚は教授に就任した日の写真。そして最後の一枚は、十年前に彼の理論が王国魔法学会に認められた祝賀会の写真だった。
彼は一歩一歩、身分という壁を這い上がってきた。その過程で受けた侮蔑と差別は数えきれない。だが彼は耐え、証明してきた。才能こそがすべてだと。
「平民の生まれでも、才能さえあれば世界は変えられる」
彼はそう信じていた。そして灯花こそ、その信念の完璧な証明となる存在だった。
ローブを羽織り、烏丸は廊下へと出る。夜巡りの魔法灯が彼の長い影を伸ばしていた。誰にも会わずに地下へ向かうルートを彼は熟知していた。
地下ラボの入り口で軽くノックすると、中から灯花の声が応えた。
「どうぞ」
扉を開けると、赤い光に満ちた実験室の中央に彼女がいた。かつての臆病そうな少女の面影はなく、今や自信に満ちた気配が彼女を包んでいる。
「灯花君、君の進捗には目を見張るものがある」
烏丸の言葉に灯花は満足げに微笑んだ。その表情には、以前の彼女には見られなかった優越感が浮かんでいた。
「一見の価値がありますよね、先生」
灯花の答えは完璧だった。烏丸教授は彼女の態度に、自分の若き日の姿を重ね合わせていた。彼もまた認められるために人一倍の努力を重ね、やがて「選ばれし者」になった自負を持つ男だった。
「これからどこまで共鳴率を高められるか、期待しているよ」
彼は実験台の上に置かれた魔核片を手に取りながら言った。紅い光を放つその結晶は、龍族の魔核から抽出された希少なものだった。正規の学院カリキュラムでは扱えない代物だ。
「私が見出した才能は間違いなかった」
烏丸はつぶやいた。灯花はその言葉に頬を上気させながら、自分の研究データを教授に見せる。細部まで計算された魔核共鳴理論は、彼女の父が残した研究を遥かに超えていた。
「私は必ず証明してみせます」
灯花の言葉に、烏丸は静かに頷いた。
「何を証明するのだね?」
「私のような平民でも、才能さえあれば...」
「ああ、その通りだ」
彼は彼女の言葉を遮るように同意した。烏丸にとって、この少女は単なる優秀な生徒ではなかった。彼女は彼の思想の正当性を証明する生きた実験でもあったのだ。
灯花が魔核との共鳴実験を続ける間、烏丸はさりげなく彼女のデータをコピーし、自分のポケットに忍ばせた。後で彼の私設研究所に送信するためだ。
彼のデスクには他にも、平民出身の優秀な魔法使いたちの記録が並んでいる。彼らは皆、烏丸教授の「選ばれし者」理論の被験者であった。彼らを通じて教授が証明したかったのは、才能さえあれば身分の壁を超えられるという信念だった。
ラボを去る前、彼は一瞬立ち止まり、紅蓮の光に包まれた灯花の姿を眺めた。
「灯花君は私の最高傑作になる」
その言葉は、自分自身に向けた誓いのようだった。彼には灯花の実験の先に何があるのか、薄々見当がついていた。だが彼は止めるつもりはなかった。彼女の破滅すら、彼の理論の証明となるのならば。
扉を閉めると、廊下の暗がりに彼の長い影が溶け込んでいった。




