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3. 天音と遼の懸念

 校庭の片隅、大きなオークの木の下で誰もいない場所を選んだ天音は、霧島を待ちながら落ち葉を足先で転がしていた。周囲に人の気配がないことを確認してから、彼女は深く息を吐いた。


 「来たか」


 背後から聞こえた霧島の声に、天音は振り返った。かつての傲慢な態度はなく、今の彼の表情には何か重い決意のようなものが浮かんでいた。


 「ありがとう、話を聞いてくれて」


 天音はそう言って小さく頭を下げた。平民と貴族、二人が密かに会うというのは学院の暗黙の掟を破ることだった。だが今、二人の間には共通の懸念があった。


 「灯花が変わってしまった」


 天音の声が震え、喉の奥が詰まった。手が無意識に自分の服の裾を握りしめた。


 「あの子は前と違う。まるで……別人のように」


 霧島は黙って頷き、木の幹に背を預けながら腕を組んだ。その横顔には、かつて平民を見下していた高慢さはもうなかった。


 「彼女のラボへの出入りを観察していたが、不審な点がある」


 霧島はそう言って、ポケットから取り出した小さなメモを天音に見せた。


 「烏丸教授の関与だ。彼は灯花のラボに深夜こっそり出入りしている。そして彼女が実験を終えた後、何かを持ち出している形跡がある」


 天音は目を見開いた。烏丸教授は灯花の才能を見出した人物だが、彼の言動には時々不可解なところがあった。特に「選ばれし者」という言葉を口にするとき、その目は異様な輝きを帯びるのだ。


 「烏丸教授が……」


 風が二人の間を吹き抜け、天音の長い髪を揺らした。霧島は静かに視線を落とす。彼もまた、自分の心の変化を噛みしめているようだった。


 「お前は知らないだろうが、私は以前、灯花のことを『分不相応な平民』と見下していた」


 霧島の言葉に、天音は小さく息を呑んだ。かつて彼がどれほど平民出身の学生たちを見下していたか、彼女は痛いほど知っていた。だが今、彼の口調には後悔の色が滲んでいる。


 「だが今は違う」


 霧島は続けた。その瞳がまっすぐに天音を見つめ、声に力がこもった。


 「彼女の努力を、この目で見てきた。人知れず練習を重ね、貧民街の子供たちのために時間を割き、魔法の限界に挑み続ける姿を」


 天音は静かに頷いた。目を伏せ、唇を噛み締めた。


 「彼女が語っていた『弱者を守りたい』という信念に、私も共感するようになった」


 霧島の告白は、彼自身にとっても意外なことだったのだろう。言葉を選びながら、彼は続ける。


 「しかし今の彼女は違う」


 霧島は眉間にしわを寄せ、校舎の方へと視線を向けた。あの地下ラボがある方角だ。


 「彼女の言動が変わった。以前は『弱者を守りたい』と言っていたのが、今は『強者として称賛されたい』に変わっている」


 天音は頷いたが、その唇がかすかに震えた。彼女は友人の変化をこの瞳で見てきた。最初は純粋だった瞳に、次第に混じり始めた渇望の色を。


 「灯花の部屋から出てくる魔力の波動も異常よ。何か危険なことをしているの」


 天音の声が低くなり、手が微かに震えていた。懐から小さなノートを取り出す指が、一瞬もたついた。魔力の振動パターンが記録されている。一般的な魔法実験の数倍のエネルギー波動が記録されていた。


 霧島は静かに立ち上がった。紅葉が舞い落ちる中、彼の姿は以前より頼もしく見えた。


 「調査を続けよう。彼女がなぜ変わったのか、そしてどうすれば元に戻るのか」


 霧島の顎に力が入り、拳がぎゅっと握られた。かつて彼女を侮蔑していた自分を、今は恥じているのだ。天音もまた立ち上がり、二人は静かに頷き合った。


 この時、彼らの知らないところで、灯花のラボでは魔核共鳴率が80%に達していた。魔力の炉心に差し込む光の中で、灯花の瞳は紅く輝いていた。そして彼女の影は、彼女自身とは異なる動きをしているように見えた。


---


## 烏丸教授の研究室にて


 一方、烏丸教授は自分の研究室で古い魔法書を広げていた。その表情には複雑な感情が浮かんでいる。机の上には灯花の実験データが積み重ねられ、赤いインクで警告のマークが書き込まれていた。


 「やはり共鳴率が予想以上に早く上昇している」


 烏丸は眼鏡を外し、疲れた目をこすった。彼の真意は複雑だった。確かに灯花の才能に魅力を感じ、魔核共鳴の研究を進めたいという学者としての欲求がある。だが同時に、一人の教育者として彼女の身を案じる気持ちも強くなっていた。


 「このままでは彼女が危険だ。しかし止めれば、また誰かがユイのように……」


 烏丸の手が震えた。彼は貧民街出身の優秀な学生を何人も見てきた。しかし社会の壁に阻まれ、才能を活かせずに諦めていく姿も数多く目撃していた。灯花のような突破力を持つ学生は稀有な存在だった。


 机の引き出しから古い写真を取り出す。かつて彼が指導した優秀な平民出身の学生の写真だった。その学生は貴族社会の圧力に屈し、魔法を諦めて故郷に帰っていった。


 「今度こそは、違う結果にしたい」


 烏丸は立ち上がり、窓の外を見つめた。地下のラボの方向を見詰めながら、彼は決意を固めた。灯花を支援するが、同時に彼女の安全も確保する。その難しいバランスを取ることが、彼に課せられた責任だった。


 部屋の隅から、研究助手が声をかけた。


 「教授、この実験の倫理審査書類ですが……」


 烏丸は振り返ると、助手が困惑した表情で書類を持っていた。灯花の実験に関する正式な承認手続きは、まだ完了していなかった。学院の規則に従えば、このような危険な実験は評議会の承認が必要だった。


 「後で処理する。今は彼女の安全が最優先だ」


 烏丸は書類から目を逸らし、再び窓の外を見た。制度と現実の狭間で、彼もまた苦悩していたのだ。


 「明日、彼女と話をしよう。共鳴率の上昇に関する注意事項を……」


 烏丸は再び机に向かい、灯花への助言をまとめ始めた。彼の真意は決して悪意ではなく、複雑な善意だったのだ。

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