1. 極秘ラボ設営と自尊の構築
紅蓮の契約を交わしてから一ヶ月、灯花は学院地下に極秘ラボを設営していた。かつて使われていた古い研究区画で、誰も立ち入らない場所だ。彼女は烏丸教授の特別許可を得て、この場所を自分だけの研究室として使っていた。
「これでようやく人目を気にせずに実験できる」
灯花は唇の端を上げ、背筋を伸ばして自分のラボを見回した。まるで別人のように見えた彼女の姿。以前の慎ましやかな平民の少女の面影はなく、今や自信に満ちた研究者のようだった。その目には紅蓮の炎が微かに宿り、右腕には赤い痕が首筋まで伸びていた。
ラボの中央には複雑な術式が床に描かれ、周囲には様々な魔法装置が配置されている。壁には彼女の研究の記録が張り巡らされ、紅蓮と魔核の相互作用に関する詳細な分析が記されていた。
灯花はテーブルの上に小さなクリスタルを取り出し、特殊な装置に設置した。「録画開始」と呟くと、クリスタルが淡く光り、彼女の実験の様子を記録し始めた。
表向きには「研究記録」だったが、内実は「誰かに見せるための演出」だった。彼女は実験の様子を録画し、成功した部分だけを編集して保存していたのだ。
今日の実験は魔核片を使った共鳴実験。灯花は慎重に魔核片を取り出し、紅蓮の力と融合させようとしていた。これは烏丸教授から密かに借りた貴重な素材で、通常の学生には扱えないものだったが、今の彼女には特権があった。
「共鳴開始……」
灯花の指から紅蓮の炎が流れ出し、魔核片を包み込む。魔核は最初は抵抗するかのように震えたが、次第に紅い光に同調し始めた。灯花の眉がわずかに震え、唇を噛み締めた。
「60%……65%……」
共鳴率が上がるにつれ、部屋全体が赤く染まっていく。灯花の髪が舞い上がり、服が風に揺れるような錯覚を覚える。全身の血が沸き立ち、指先から足先まで電流が走るような感覚に、陶酔の表情が浮かんだ。
「70%!」
共鳴実験は成功した。以前の記録を5%上回る数値だ。灯花は満足げに微笑み、クリスタルの録画を止める。
「素晴らしい結果です、灯花君」
振り返ると、烏丸教授が部屋の入り口に立っていた。彼はいつの間にか入ってきていたようだ。
「先生……」
灯花は少し驚いたが、すぐに恭しく頭を下げた。烏丸教授は彼女のラボに足を踏み入れ、実験装置を興味深そうに眺める。
「君の進捗には目を見張るものがある。自分で魔核との共鳴実験を構築するとは」
「ありがとうございます」
灯花は教授の称賛に満足げに微笑んだ。「一見の価値がありますよね、先生」
その言葉には微かな傲慢さが滲んでいたが、烏丸教授はそれを咎めるどころか、むしろ嬉しそうに頷いた。
「私も若い頃は君のように情熱的だった」と教授は懐かしむように言った。「周囲の凡庸な者どもに理解されず、孤独な研究を続けた日々……」
烏丸教授も平民出身であり、認められるために人一倍の努力を重ねてきた。そして今や「選ばれし者」になった自負を持つ男だった。彼は灯花の中に、かつての自分の姿を重ね合わせていた。
「私が見いだした才能は間違いなかった」と教授は満足げに呟いた。
灯花の心臓が高鳴り、耳たぶが熱くなった。璳孔が拡大し、手が小刻みに震え、呼吸が速く浅くなった。
烏丸教授が帰った後、灯花はクリスタルの録画データを取り出し、編集を始めた。実験の失敗部分や迷いを見せた瞬間をカットし、成功した瞬間だけを残す。
完成した映像は、彼女が一度も失敗することなく、完璧に実験をやり遂げたかのように見えた。
「これをさりげなく……」
彼女はその映像データを学院内のネットワークに「漏洩」させた。公式には禁じられているが、学生たちの間で秘密裏に共有される魔法結晶を使って。そうすることで、彼女の「天才的な実験」が学院中に知れ渡るのだ。
夜、自室の鏡の前で、灯花は自分の姿を見つめていた。
「みんなが私を見ている」
その言葉と共に、彼女の全身に甘い痺れが広がり、背筋がゾクゾクとした。肌が粟立ち、指先が無意識に顕を描いた。もはや「家族を守るため」という初期の動機は二の次となり、「認められること」「称賛されること」が彼女の行動原理になっていた。
そして烏丸教授はそんな彼女の姿を、自分の価値観の証明として、密かに喜んでいた。「平民出身の彼女こそ、才能による選別の正当性を示す完璧な例だ」と。
教授が灯花のラボを後にする際、彼女のデータを密かに自分の研究所へと送信していることに、灯花はまだ気づいていなかった。




