6. 力の代償と違和感
翌日の実習で、灯花は再び紅蓮の力を披露した。学院の古い防衛結界の修復を、他の学生が複数人がかりでする作業を一人でこなそうとしていた。
「私に任せてください」
灯花は教授に自信を持って告げた。周囲からは懸念の視線も向けられたが、彼女は視線を上げず、指先に力を込めて紅蓮の力を解放した。
彼女の指先から赤い光の糸が広がり、古い結界の破損部分を包み込んでいく。紅蓮の炎は通常の魔法とは違い、従うというより意思を持っているかのようだった。灯花はその暴走を抑えながら、繊細に結界を修復していった。
「見事です」と烏丸教授が称賛した。「一人でこの規模の修復をするとは。あなたの成長は目覚ましい」
灯花は微笑んだが、胸の奥がひんやりと冷えた。彼女の周囲には敬意と恐れの入り混じった雰囲気が広がり、他の学生たちは遠巻きに見ているだけだった。
作業中、二年生のマリアが近づいてきた。
「手伝いましょうか?」と彼女は優しく尋ねた。
灯花は作業に集中していて、マリアの声に気づかなかった。あるいは、気づかないふりをしたのかもしれない。彼女はただ黙々と作業を続け、マリアの申し出を無視してしまった。
作業が完了し、学生たちが解散する中、灯花はマリアの落胆した表情に気づいた。彼女が無視してしまったことを思い出し、急いで声をかけた。
「マリア、ごめんなさい。さっきは集中していて」
マリアの眼が丸くなり、一瞬首をすくめてから、唇の端がわずかに上がった。
「大丈夫よ。私たちみたいな普通の学生は灯花さんとは違うから」
その言葉が灯花の胸に鋭く突き刺さった。「普通の学生」と「違う」。彼女の指先から紅い光が発し、周囲の空気が歪んで見えた。他の学生たちの足が一歩後退し、喉が締め付けられるように熱くなった。
寮に戻る途中、突然の痛みに襲われ膝をつく灯花。右手の紅蓮の指輪から全身に焼けるような痛みが広がった。呼吸すら困難になるほどの激痛だった。
「ぐっ……」
歯を食いしばり、耐える灯花。紅蓮の痕は今や上腕を超え、肩へと伸びていた。体の表面を這う赤い糸のような痕は、時に脈動し、彼女の体に火を入れるような痛みをもたらした。
数分で痛みは収まったが、この現象は日に日に強くなり、頻度も増していた。紅蓮の力を使えば使うほど、痛みは激しくなっていった。
「代償……」
霧島の言葉が頭をよぎる。「力を得るために自分を失えば、それは本当の強さではない」。あの時は反発したが、今では少しその意味が分かってきた気がした。
指輪は以前より深く肌に食い込み、もはや外せるものではなく、彼女の一部になりつつあった。血管のように走る赤い痕は、服の下に隠れていたが、その存在は彼女の心と体に常に重くのしかかっていた。
湖のほとりで休む灯花は、水面に映る自分の姿を見た。そこには彼女自身と、彼女と同じ姿をした影のような存在が並んで座っていた。
「お前は私の一部か、それとも私がお前の一部なのか」
灯花が問うと、影は「その答えを本当に知りたいのか」と返した。
「私はただ……力が欲しかっただけ」と灯花は言った。「家族を守り、貧民街の子供たちを救いたかった。それだけなのに」
影は静かに笑った。「本当にそれだけか?」
灯花は答えられなかった。胸の奥で何かがぎしりと軋み、手のひらに汗が滲んだ。喉が詰まり、言葉が出ない。目を逸らし、震える手で水面を掻き混ぜた。
「代償なんて払っても構わない」と灯花は言い、拳をぎゅっと握り締めた。
水面の影は「既に払っている。お前の本当の姿を」と答えた。
その言葉に、灯花の全身が震え、背筋に冷たい汗が流れた。美羽からの手紙を読み返しながら、彼女は「私はどうして力を求めたのか」と自問する。「家族のため」という答えと「認められるため」という答えのどちらが本当なのか、彼女自身にもわからなくなっていた。
夕食の時間、食堂の隅で一人食事をする灯花。以前なら天音と談笑していた時間だ。彼女の周りには誰も座らず、ぽつんと一人だけの孤島のようだった。
皮肉なことに、彼女はかつてないほど「見られている」が、かつてないほど「孤独」でもあった。批判的な視線、恐れの視線、好奇心の視線――それらすべてが彼女に向けられながらも、誰も本当に彼女を見ていないような気がした。
灯花は紅蓮の指輪を見つめた。この力で得たものと失ったもの。天秤にかけたらどちらが重いのだろう。
「もう引き返せない」
彼女はそう呟いた。しかし、その声はかすれ、目は遠くを見つめ、肩がわずかに落ちていた。




