1. 冒頭回想 ― 雪の貧民街
凍えそうな指先で、灯花は最後のパンくずを妹の口元に運んだ。明日の食事の当てはない。だが彼女の瞳には、諦めではなく炎が宿っていた。
「お姉ちゃん、寒い……」
病床の美羽が震える声で呟いた。灯花は自分の上着を脱いで妹にかけ、手のひらに小さな炎を灯す。それは魔法学院の入学試験で見せた、あの紅蓮の炎とは違う——温かく、優しい光だった。
あれから一週間。魔法学院に合格した灯花に、母のイリナは喜びの中にも翳りを見せた。
「でも……授業料や生活費は……」
母の心配そうな表情を見て、灯花は不安で胃が縮こまるような感覚を押し殺し、胸を張った。
「大丈夫だよ、お母さん。奨学金とアルバイトで乗り切るから。美羽の薬代もちゃんと送れるようにするね」
イリナは何も言わず、ただ娘を強く抱きしめた。灯花は母の体温と鼓動を感じながら、幼い頃の言葉を思い出していた。
「炎はただ熱いだけじゃだめ。周りを照らして皆を慈しむ優しい炎であることが大事」
そう教えてくれた母の手は、今も温かかった。
入学式当日、灯花は緊張で胸が締め付けられるのを感じていた。周囲には煌びやかな服装の貴族の子女たちが集まり、平民出身の彼女はすでに浮いている気がした。
壇上で烏丸教授が祝辞を述べ始める。初めは穏やかな口調だったが、話が進むにつれて教授の声は熱を帯びていった。
「魔法とは選ばれし者のみに与えられる特権だ。私自身、貧しき平民の出だが努力で今の地位を築いた」
教授の言葉に、灯花は身を乗り出した。自分と同じ平民出身の教授が成功した事実に、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「魔法によって選ばれし我々には世界を導く使命がある。凡庸なる者どもを正しき道へと導くために!」
烏丸教授の声が講堂に響き渡り、多くの学生が戸惑いの表情を浮かべる中、講壇上の別教授が小さく咳払いをした。我に返ったように烏丸教授は笑みを浮かべ、祝辞を締めくくった。
灯花は教授の言葉に勇気づけられつつも、「選ばれし者」という表現に胸の奥がざわつくような違和感を覚えた。しかし、その不安を振り払うように、寮の部屋に着くなり早速母への手紙を書き始めた。
窓の外の夕焼けを見つめながら、灯花はペンを走らせる。書きながらも、手がかすかに震えているのに気づいた。それでも母を心配させまいと、明るい内容を選んで綴っていく。
「お母さん、無事に入学式を終えました。ここでの学びを通して、私は必ず貧民街に役立つ魔法使いになります。母さんの教えを守り、弱い立場の人々を助ける心を忘れません」
ペンを置き、灯花は窓から見える学院の庭園を見下ろした。華やかな庭園の向こうに広がる貧民街を思い、拳を強く握りしめた。手のひらに爪が食い込む痛みが、決意を確かなものにする。もう後戻りはできない。この場所で、彼女は誰にも負けない魔法使いになると心に誓った。
その時、窓の外で何かが動いた。
灯花は目を凝らす。夕闇の中、人影のようなものが一瞬見えた気がしたが、次の瞬間にはもう何もなかった。ただ、なぜか背筋に冷たいものが走る。
——まるで、誰かに見られているような。
灯花は首を振って不安を払った。新しい生活への緊張が見せた幻だろう。そう自分に言い聞かせながら、彼女は手紙を封筒に入れた。
だが、窓の外では確かに何かが蠢いていた。それは灯花自身も気づいていない、彼女の内なる炎に呼応するように。