2. 禁忌の力と陶酔
迷宮の最深部、通常なら学生が立ち入らない領域に灯花は来ていた。薄暗い石の回廊を抜けると、彼女は巨大な円形の空間に出た。天井は高く、壁には古代のルーン文字が刻まれている。その中心には、かつて禁忌の魔法実験が行われたとされる祭壇が置かれていた。
「ここまで来れば、誰にも邪魔されない」
灯花はそう呟き、両手を広げ紅蓮の力を解放する術式を描いた。指輪からの力が全身に広がり、彼女の周囲に鮮やかな赤い光のオーラが立ち現れる。
部屋の隅の暗がりから、突然動きがあった。暗闇から這い出してきたのは《影蟲》と呼ばれる禁忌の魔獣だった。黒い霧のような体と赤く光る複数の目を持ち、床を這う影のように動く。通常の魔法では傷つけることが難しい危険な存在だ。
「見せてあげる……私の力を」
灯花は恐れるどころか、微笑んだ。《影蟲》が彼女に襲いかかる瞬間、灯花は右手を掲げ、紅蓮の炎を放った。赤い炎が部屋を照らし、《影蟲》を包み込む。魔獣は甲高い悲鳴を上げ、一瞬で灰となって消え去った。
「私がやったの……?」
灯花は自分の手から放たれた力の大きさに驚愕した。これまでの彼女なら、《影蟲》と対峙しただけで恐怖に震えていただろう。それを一瞬で消し去る力を手に入れたのだ。
同時に、彼女の体に熱が広がっていく。血管の中を甘い蜜が流れ、肌がじんじんと痺れるような、これまで経験したことのない快感だった。心臓が早鐘を打ち、視界が鮮やかに染まる。灯花は思わず笑い出した。
その瞬間、彼女は天井の隅に魔晶石を見つけた。これは迷宮の観測用の装置で、学生の様子を教授陣が監視するために設置されているものだ。魔晶石が彼女を捉えており、おそらく教授陣は今、彼女の力を目撃しているのだろう。
「皆、私の力を見ているのね」
その認識が、灯花に大きな満足感をもたらした。見られていること、その目に自分の力が映っていることが、紅蓮の力を使った時の快感にも増して、彼女を高揚させた。
しかし、すぐに胸の奥がざわついた。手が小刻みに震え始め、喉が急に渇く。唇を何度も舐めても、渇きは消えない。
壁に映る自分の影が独立して動き、「力を誰に見せるかではなく、見せること自体が目的ではないか」と問いかける声が頭の中で響いた。
「違う、私は力が必要なの。美羽のため、貧民街の子供たちのため」
灯花は壁に向かって言い返したが、その声は空虚に響いた。
両手を見つめると、紅蓮の炎は確かに力強いが、手のひらに異質な重さがあった。指からは赤い糸のような痕が手首まで伸び始めていた。使うほどに皮膚を這い、肉に食い込んでいく。
「代償はどうでもいい。この力で何かを変えられるなら」
灯花がそう言い聞かせると、部屋のもう一方から新たな《影蟲》の群れが現れた。今度は十体以上が一斉に襲いかかってくる。
「来なさい。私を試すつもりなら」
灯花は今度はためらわず、紅蓮の力を解き放った。彼女の周囲から赤い炎の壁が立ち上がり、渦を巻いて敵に向かって広がっていく。《影蟲》達は次々と炎に包まれ、悲鳴を上げて消えていった。
灯花は敵を倒す中で再び熱に包まれた。全身の血が沸き立ち、指先から足先まで電流が走るような感覚。力を振るう快感、見られている満足感、そして何よりも「誰にも負けない」という優越感が胸を満たした。
しかし戦いの興奮の中で、暗闇の片隅に立つ自分自身の姿が目に入った。それは影法師とも違う、ただの灯花自身の姿。その目には深い悲しみが宿っていた。
灯花はその幻影を無視して、最後の《影蟲》にも紅蓮の炎を浴びせた。部屋が静まり返ると、彼女は高揚感の中、天井の魔晶石に向かって微笑みかけた。
「皆が見てる。私の力を……」
力そのものよりも見られることに酔っているという自覚は微かにあるが、高揚感の中でそれを無視するのは容易だった。灯花は満足げに紅蓮の指輪を見つめ、自分の勝利を確認するように頷いた。
迷宮を出る時、彼女の胸の内には確かな自信があった。もう誰にも負けない。霧島にも、天音にも、そして何より自分自身の弱さにも。
灯花は気づかなかったが、彼女の影は以前より濃く、そして動きにわずかな遅れが生じていた。




