7. 再接触と偽りの動機
胸の奥で何かが凍りついている。ユイの葬儀から二日後、灯花は学院の屋上で夜空を見上げていた。風が銀色の髪を乱すが、寒さも感じない。まるで魂が抜け落ちたかのように、体の芯が空っぽだった。
「何のための努力だったのか」
彼女は虚空に向かって呟いた。魔法を学び、「魂の共鳴」を習得し、首席を目指す。それは全て家族と貧民街の人々を守るためだったはず。なのに、目の前でユイは死んだ。彼女は何もできなかった。何も変えられなかった。
星空の下、灯花の周りの空気が微かに揺らめいた。黒い影が彼女の足元から伸び、次第に人の形になっていく。影法師だ。彼女自身の影が伸び、立ち上がったかのような存在。
「辛かったな」
低い声が彼女の耳元に響いた。その声は微かに灯花自身の内なる声のようにも聞こえた。
灯花は恐怖を感じなかった。胸の奥の凍りついた何かが、ゆっくりと溶け始める。影法師の姿は微かに灯花自身の輪郭を帯びていた。鳥肌が立つような不思議な親近感が、肌を撫でる。
「あの子を救えなかった……私の力が足りなかった」
灯花の声が震えた。喉の奥が痛む。影法師は彼女の周りをゆっくりと回りながら言った。
「俺は力を求める者の前にだけ現れる。お前の心の叫びが聞こえたんだ。力への渇望が。承認への飢えが」
灯花は黙って聞いていた。承認への飢え。その言葉が胸の奥で響き、心臓が早鐘を打った。喉がカラカラに渇き、手の平に汗が滲む。
「世界は不公平だ。才能ある者、生まれのいい者だけが力を手にする。承認を得る。そして、お前のような者は、どれだけ努力しても報われない。認められない」
影法師の言葉は、まるで彼女自身の内なる声のようだった。灯花は屋上の床の水たまりに映る影法師の姿を見た。それは彼女自身と重なって見える。
「あの子の死は、お前の力不足ではない。制度の犠牲だ。しかし、制度を変えるには力が必要だ」
灯花の心に、影法師の言葉が深く沈み込んでいく。承認されない。認められない。確かに、あの悲劇は評議会の冷酷な決定がもたらしたものだ。個人の努力では、制度には抗えない。力がなければ、変えられない。
「お前の中には特別な資質がある。それを解放する力を俺は持っている」
灯花の薬指の印が脈打つように輝き始めた。彼女はその赤い輝きを見つめた。
「私が……力を得れば、何が変わるの?」
「全てだ」影法師は答えた。「お前は制度を変え、平民の声を届ける存在になる。認められる存在に。貧民街の子供たちは二度と寒さで死ぬことはない。美羽の病も治せるだろう」
影法師が手を差し出した。灯花は一歩近づいた。
「そのためには、代償が必要だ」と影法師は続けた。「だが、大切な者を救うためなら、それも厭わないだろう?」
灯花は静かに頷いた。承認されたい。認められたい。胸の奥で何かが黒く渦巻き、眼鏡のレンズが曇る。力を求めるのは、本当に他者を救うためだけなのか。それとも、自分自身が認められたいという欲望からなのか。唇を噛んで、問いを飲み込む。
水たまりに映る影法師の姿は次第に彼女自身と重なった。瞳が熱くなり、視界がぼやける。
「私は見返してみせる。誰もが私を称えるような魔法使いになる。認められる存在になる」
承認への渇望が言葉となって溢れ出る。灯花がそう決意すると、影法師は彼女自身の声で応えた。
「誰にも救われなかったお前が、世界を救える唯一の存在だ」
灯花は差し出された手を取った。その瞬間、鮮烈な痛みと共に紅蓮の契約が成立する。彼女の薬指に刻まれた印が完全な指輪の形となり、赤く輝いた。
契約の光が彼女を包み込む中、灯花の目に浮かんだのは自分が称賛される姿だけだった。承認される姿だった。美羽や貧民街の子供たちのためというより、「見られる存在」「認められる存在」になりたいという欲望が、その瞬間、彼女の心を支配していた。
影法師の姿は灯花の影と一体化し、足元に戻っていった。だがその影は以前より濃く深いものとなり、彼女が動くと妙な残像を引くようになった。
灯花は自分の体から立ち上がる紅蓮の炎を見た。それは従来の結界術とは比べものにならない力強さを持っていた。
「これで……もう誰にも負けない。もう認められないなんてことはない」
彼女は星空の下で微笑んだ。頬が熱い。胸の奥で何かが燃え上がっている。その笑顔は、かつての純粋なものとは違っていた。承認への渇望と力に酔いしれた、危うい輝きを帯びていた。