6. 診療所の凍結と喪失
寒い夜、灯花の息が白く凍った。貧民街の孤児院を訪れた彼女の胸には、嫌な予感がのしかかっていた。評議会の「平民街医療支援金」凍結から一ヶ月が経ち、その影響は既に街のあちこちに表れていた。
灯花が持ってきた食べ物を子どもたちに配りながら、彼女は建物の中がいつもより冷えていることに気づいた。
「暖房が止まったの?」
院長のマリアは疲れた表情で頷いた。「支援金で賄っていた冬の暖房費が出せなくなって……今は最低限の部屋だけで凌いでいるの」
灯花は子どもたちの薄い衣服と青白い顔色を見て、胸が痛んだ。これまで週に一度の訪問が彼女の楽しみだったが、今日は重苦しい気持ちで満ちていた。
「ユイはどこ?」
いつもは真っ先に灯花に駆け寄ってくる六歳の女の子の姿が見えない。
マリアの表情が曇った。「昨日から行方不明なの。きっとまた食べ物を探しに出かけたんだと思うけど……」
その言葉に、灯花は悪い予感を覚えた。外は吹雪で、気温も氷点下まで下がっている。
「探しに行きます」
灯花は即座に立ち上がった。マリアは引き止めようとしたが、彼女の決意は固かった。
「私の結界術なら、この寒さも防げる。それに……」彼女は声を落とした。「私の責任でもあるから」
灯花は診療所にも立ち寄った。そこでも支援金凍結の影響は深刻だった。いつも混雑していた待合室は閑散としており、開いている診察室も半分だけだった。
「資金がなくなって、多くの医師が街を離れたんだ」と診療所の事務員が説明した。「高価な薬も仕入れられなくなった。多くの患者は治療を受けられずに家に帰るしかない」
灯花は拳を強く握りしめた。これが評議会の決定の結果だ。一方的な予算カットで、貧民街の人々の命が軽んじられていた。
診療所を出た灯花は、雪の降る街へと捜索に出た。魔法の灯りを頼りに、寒さを防ぐ結界を自分の周りに張りながら、彼女は通りや路地を隈なく探していった。
三時間後、灯花はようやくユイを見つけた。小さな路地の隅、雪に半分埋もれるように横たわる小さな体。
「ユイ!」
灯花の血の気が引いた。急いで駆け寄り、雪をかき分けて少女を抱き上げた。ユイの体は氷のように冷たく、唇は青く変色していた。灯花の手が震えている。
「しっかりして!私がついてるから!」
灯花は急いで結界を張り、暖かい空気でユイを包み込んだ。彼女の手から赤い光が放たれ、女の子の体を温め始める。
「温かくなるからね、もう大丈夫だから」
灯花の声は震えていた。彼女は魔力を限界まで注ぎ、ユイの体を温め続けた。
「お願い、目を開けて……」
しかし、ユイの小さな手がピクリとも動かなくなった瞬間、灯花の世界が崩れ落ちた。凍死。もう魔法では助けられない現実。膝が笑い、視界が霞んだ。
「嘘……嘘よ……」
灯花は泣きながら、さらに魔力を注ぎ込んだ。結界はより強く、より暖かくなったが、もはや何の意味もなかった。ユイの命は既に尽きていたのだ。
灯花の悲鳴が雪の夜に響いた。彼女は小さな体を抱きしめ、涙が止まらなかった。
「私の力が足りなかった……」
胸の奥が刺し込むように痛んだ。もっと早く探せば、もっと強い魔法があれば、もっと影響力があれば……。涙が凍った頬を伝い、胸の奥で何かが燃え上がった。拳が震え、爪が手のひらに食い込んだ。
「あのとき私が首席だったら、力があったら、影響力があったら」
評議会の決定に異議を唱え、支援金凍結を止め、ユイの命を救えたかもしれない。心臓が熱く脈打ち、血管の中を何かが駆け巡った。それは悲しみではなく、怒りでもなく、もっと渇いた何かだった。
翌朝、灯花は孤児院に戻り、ユイの小さな体を返した。マリアと子どもたちの悲嘆に満ちた表情を見ながら、灯花の心には決意が固まっていた。力を得なければ。変えなければ。
「もう二度と、こんな悲劇を繰り返させない」
その決意は、もはや純粋な正義感だけではなかった。力への渇望が、承認への欲求が、彼女を突き動かしている。
帰り道、灯花の薬指の赤い印が血のように輝いた。雪に映る彼女の影が動きとは無関係に動き、まるで彼女の前に立ち上がったかのように見えた。影法師が、ついに姿を現し始めている。
灯花はその影に向かって静かに言った。もはや迷いはなかった。
「教えて……私にはどうすればいいの?」
しかし歩きながら、灯花の頭にユイの最後の笑顔が浮かんだ。彼女は最後まで諦めず、小さな手で灯花の指を握り返そうとしていた。その瞬間の温かさは、今も灯花の心に残っている。
『力だけが全てではない』—そんな声が心の隅で囁いた。しかし灯花は首を振り、その声を振り払った。今は力が必要だ。ユイのような悲劇を二度と起こさないために。たとえ代償があっても。
雪の中を歩く灯花の足音は、決意と迷いが入り混じっていた。影法師の力は危険だが、それ以外に道はないように思えた。だが、彼女の心の深い部分では、まだ別の答えがあることを信じていた。