表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/73

5. 天音の信頼と決意

 図書館の隅、重厚な書架の影に灯花と天音が座っていた。土砂降りの雨が窓を叩き、外の世界を霞ませている。灯花の胸には、言葉にできない重いものが沈んでいた。


 「灯花、最近どうしたの?」


 天音が唐突に尋ねた。言葉が一瞬詰まり、指先が本のページを握りしめた。


 「何が?」灯花は顔を上げずに答えた。手元の本—「上級魔法と精神力の関係」—のページをめくりながら。


 「なんだか遠くなった気がする。昔の灯花に戻ってほしいな」


 その言葉に、灯花の背筋に冷たいものが走った。


 「昔の私って、どんな私?」


 灯花はようやく本から顔を上げた。彼女の声には皮肉めいた響きがあった。これは自分でも気づかない新しい表情だった。


 天音は少し戸惑いながらも、真摯に答えた。


 「優しくて、誰かのために頑張る灯花。純粋な心で皆を照らしてた」


 灯花は天音をじっと見つめた。「そんな私、いたかしら」と微笑んだが、その笑みは心に届いていなかった。


 「もちろんいたわ!」天音は熱心に言った。「貧民街の子供たちを思う気持ち、美羽ちゃんのことを話す時の顔、魔法を研究する時の純粋な喜び……」


 天音の言葉が灯花の胸に重く響いた。目の奥が熱くなり、思わず視線を逸らした。本のページをめくる手が止まり、呼吸が浅くなる。確かに彼女にも覚えがある。あの頃の自分は、魔法そのものの美しさに魅了され、家族や友人のために力を求めていた。


 「灯花、何があったの?何か悩みがあるなら、話して」


 天音が彼女の手を取った。その瞬間、灯花の喉が締め付けられるように熱くなった。全てを打ち明けたい衝動に駆られた。鏡の中の自分との会話、日に日に強まる承認への渇望、そして右手の薬指に現れた赤い痕……


 だが、言葉にする勇気が出なかった。


 「私、あなたを信じてる。何があっても味方だから」と天音は続けた。


 その言葉に、灯花は思わず口を開いた。


 「私が必要なのは"信頼"じゃなく"称賛"かもしれないわ」


 言った瞬間、自分でも驚いた。口から出た言葉が、まるで別人のもののように感じられた。心臓が早鐘を打ち、耳が熱くなった。


 天音の目が大きく開かれ、唇がわずかに震えた。


 「え……?」


 灯花は慌てて取り繕った。


 「冗談よ。真剣な顔しないで」


 彼女は無理に笑ったが、空気は変わってしまった。天音の目に宿った不安と悲しみを見て、灯花は自分の言葉を後悔した。


 「ごめん、最近少し疲れてるの。あなたの信頼は私にとって大切よ」


 灯花は天音の肩を抱き、話題を変えようとした。しかし、先ほどの言葉は二人の間に目に見えない壁を作ってしまった。


 図書館を出ると、雨は上がり、中庭には水たまりがいくつもできていた。灯花の胸は締め付けられるように重く、手のひらに汗が滲んでいた。なぜあんな言葉を口にしてしまったのか。なぜ称賛を求める気持ちを隠せなかったのか。


 中庭を歩きながら、灯花は水面に自分の姿が映るのを見た。その反射像は動きに合わせて動くが、表情だけは違っていた。水面の灯花はより暗く渇いた表情をしていた。


 灯花が水面に触れると波紋と共にその姿は消えた。手が震え、背筋に冷たい汗が流れた。


 「私はどうなってしまったの?」


 灯花は自問した。天音の優しさが胸に棘のように刺さる。胃がキリキリと痛み、喉の奥が苦い。拳を握る手に力が入り、爪が掌に食い込む。


 誰にも打ち明けられない孤独感が、灯花の心を覆い始めていた。


 寮に戻る途中、彼女は貴族寮の窓を見上げた。霧島の部屋の明かりがついている。彼もまた、自分の立場を守るために懸命に努力しているのだろう。


 「彼と私は、そう違わないのかもしれない」


 灯花の唇が皆肉を浮かべた。二人とも認められるために、異なる道を歩んでいる。ただ彼には生まれながらの特権があり、彼女には平民という枷があるだけで。


 部屋に戻った灯花は、窓際に立ち、暗い空を見上げた。


 「このままじゃ足りない」


 灯花の右手の薬指の赤い痕が、月明かりに照らされて鮮やかに浮かび上がっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ