3. 天音の負傷と錯誤
特別演習室の空気は魔力で満ちていた。灯花と天音が迷宮演習の準備をしているところだった。来週の実地テストに向けて、二人だけの特別練習を行うことにしたのだ。
「この結界と、私の風魔法を組み合わせれば、かなりの防御力になるはず」
天音が明るい声で説明する間、灯花は自分の結界術の準備に集中していた。父の魔法書で学んだ「魂の共鳴」と、彼女自身が開発した新しい炎の魔法を組み合わせようとしていたのだ。
「準備ができたわ」灯花は天音に合図した。
「じゃあ、行くわよ」
天音が風の刃を繰り出すと同時に、灯花は結界を展開した。二つの魔法が交差し、予想通りの相乗効果を生み出す。
「成功ね!」天音が喜んだ。
次に灯花は、自分が新たに開発した強化版の魔法を試してみることにした。「魂の共鳴」で結界を張りながら、同時に炎の魔法を込める高度な技だ。
「ちょっと危険かもしれないから、距離を取って」
灯花は天音に警告した。天音は頷き、演習室の端に下がった。
灯花は深く息を吸い、集中した。「魂の共鳴」の結界を確立させてから、その内側に炎の魔法を込めていく。彼女の意識が結界と一体化し、魔力が流れ始めた。
しかし、何かがおかしかった。魔力の流れが想定と違う方向に進み始め、制御が難しくなっていく。結界が赤く輝き、その光が次第に強まっていった。これは制御不能の兆候だった。
「これは——」
灯花が警告の言葉を発する間もなく、結界が不安定になり、炎の魔法が制御不能になった。赤い光が演習室内を埋め尽くす。
「天音!」
爆発的なエネルギーの放出の中、灯花は恐怖の叫びを上げた。煙が晴れると、天音が演習室の壁際に倒れていた。彼女の右腕が直撃を受けたようだ。
「天音!大丈夫?ごめん、本当にごめん!」
血の気が引き、足が震えた。灯花は急いで友人の側に駆け寄った。天音の右腕には火傷のような跡がついており、彼女は痛みに顔を歪めていた。
「大丈夫……そんなに……ひどくないわ……」
天音は痛みに耐えながらも微笑もうとした。灯花は急いで応急処置を施し、すぐに保健室へと天音を運んだ。
保健師が治療魔法を施している間、灯花は待合室で頭を抱えていた。手が止まらないほど震え、喉の奥に胆汁がこみ上げてくる。何度も魔法の流れを思い返した。理論上は完璧なはずだった。なぜあの時、制御を失ったのか。
治療が終わると、天音は腕に包帯を巻かれて出てきた。彼女の顔はまだ少し青ざめていたが、もう痛みはないようだった。
「天音、本当にごめんなさい。私のせいで……」
頭を下げる灯花に、天音は優しく微笑んだ。
「気にしないで。魔法の研究にはこういうリスクもあるわ」
天音は灯花の肩に手を置いた。
「でも……あなたの魔法、最近変わってきてる。より強力になってる。だから制御が難しくなってるんじゃないかしら」
灯花は驚いて顔を上げた。確かに彼女の魔法は最近変化していた。「魂の共鳴」を習得してからというもの、魔力が血管を流れる時、以前とは違う熱さ—まるで別の生き物が体内を這い回るような感覚—を覚えるようになっていた。
「あなたの努力はちゃんと皆に伝わってるよ」天音は優しく続けた。「先生たちも、あなたの成長を評価してる」
その言葉が意図せず灯花の心をえぐった。
灯花の奨歯がカチリと音を立てた。胸の奥で何かが黒く渦巻き、拳を握る手に力が入る。しかし、顔の筋肉を必死に操作し、感謝の笑顔を作った。
「ありがとう、天音。でもこれからはもっと注意するわ」
保健室を出る際、洗面台の鏡に映る疲れた自分の姿を見た灯花。その背後に、かすかに別の姿—より影のような、より暗い灯花の姿—が見え隠れするのを感じた。
鏡の中の影のような自分が「もっと力を」と囁くのが聞こえた気がして、灯花は震えながら急いで立ち去った。
廊下で霧島とすれ違った。彼は冷たい目で灯花を見つめた。
「力をコントロールできないのは、理解が足りないからだ」
その言葉に反論する気力もなく、灯花は自室へと急いだ。部屋に着くと、彼女は右手の薬指を見つめた。かすかな赤い痕が、以前より鮮明になっているように見えた。これも魔法の変化と関係があるのだろうか。
灯花はその痕に触れてみた。すると、何かが触れ返すような、奇妙な感覚があった。まるで指輪が彼女の指に食い込んでいるかのようだった。
「何が……起きているの?」
窓の外では夕日が沈みかけ、学院の庭に長い影を落としていた。その影が、どこか生命を持っているかのように感じられた。