6. 特訓の日々
遺跡探索から戻った灯花は、霧島のアドバイスを胸に、基礎理論を徹底的に学び直す決意をした。悔しさで胸が締め付けられるように痛んだが、同時に身の引き締まる緊張感も覚えた。これまで高度な結界術に目を向けすぎて、基礎がおろそかになっていたことを彼女は素直に認めた。
「基礎から……」
灯花は図書館から結界術の初級教本を借り出し、いちから読み直した。指先に感じる魔力の流れが、以前とは全く違っていた。詠唱の発音、指先の角度、呼吸法まで、あらゆる基本を見直していく。疲労で瞼が重くなり、肩がコチコチに凝り固まったが、それでも手を止めることはなかった。
「これは……」
彼女は基礎に立ち返ることで、今まで気づかなかった多くの発見をした。特に魔力循環の法則を学んだ時、全身を電流が走るような衝撃を覚えた。これこそ「魂の共鳴」においても重要な要素だったのだ。
「父さんの研究は、この基礎の上に成り立っていたのね」
灯花は父の魔法書を読み直し、そこに記された高度な理論と基礎知識の繋がりを理解し始めた。眼が開かれるような感覚で、頭の中の霧が晴れていく。
* * *
ある日の午後遅く、灯花が演習室で基本術式の練習をしていると、エレノア司書が様子を見に来た。
「随分と熱心に基礎を練習していますね」
灯花は頬がほんのりと暖かくなるのを感じながら頷いた。「はい。基礎がしっかりしていないと、どんな高度な術式も砂上の楼閣になってしまうと気づいたんです」
エレノアは微笑んだ。「その通りです。魔法は休息も重要ですよ。心身が疲れていては魔力の循環も悪くなります」
その言葉に、灯花の肩からふっと力が抜けた。今まで感じていた疲労がどっと押し寄せてきて、足がよろめく。適切な休息を取りながら、効率的な特訓計画を立てるようになった。
「疲労が魔力の流れを阻害する……」
灯花はペンを走らせながら、新たな発見を書き込んだ。休息を取った後の指先に流れる魔力は、明らかに清澄で滑らかだった。胸の中で何かがカチリとはまる感覚があった。
* * *
また、天音をはじめとする同級生との交流も大切にするようになった。以前は孤独に練習していた灯花だが、時には仲間と意見を交換することで新たな視点を得られると理解したのだ。
「灯花、最近元気になったわね。それに魔法も安定してきた」
演習後、天音が感心したように言った。灯花の表情が明るくなったことに、天音の瞳に安堵の色が宿った。
「色々な人から教わったおかげよ」灯花の頬が自然と緩み、目尻に小さな笑みじわができた。
霧島からの助言を直接語るのは、まだ気恥ずかしかった。その話題に触れるたびに、耳たぶが熱くなる。彼とは遺跡探索以来、特に親しくなったわけではなかったが、背中に視線を感じることが増えた。そのたびに、背筋がピリピリと緊張した。
* * *
夕暮れ時、灯花が演習室から出ると、廊下の窓際に霧島が立っていた。彼の横顔に夕陽が差し、影が長く伸びている。灯花の心臓が一瞬、不規則に跳ねた。
「霧島……」
彼は振り返り、いつもの冷たい表情に戻った。その瞬間、周囲の空気がひんやりと冷えたように感じられた。「何だ?」
「あの……基礎から学び直しています。あなたの言葉を胸に」
灯花は真摯に言った。耳まで真っ赤になっているのが自分でも分かった。霧島は特に表情を変えなかったが、わずかに頷いた。
「基礎がしっかりしていれば、高度な術式も安定する」
それだけ言うと、彼は立ち去ろうとした。しかし、灯花の次の言葉に足を止めた。
「教えてくれてありがとう。いつか必ず、あなたに追いつきます」
霧島は振り返らず、「ふん」と鼻を鳴らしただけだったが、その背中には以前のような敵意は感じられなかった。灯花は遠ざかるその姿を見送りながら、胸の奥に小さな暖かさが灯るのを感じた。
* * *
週に一度、灯花は貧民街に戻り、妹の美羽と母に会いに行った。美羽の容態は少しずつ改善しており、灯花の送金で買った新しい薬が効いているようだった。
「お姉ちゃん、顔色がいいね」と美羽が言った。
「そう?毎日しっかり寝てるからかな」灯花は美羽の頭を優しく撫でながら答えた。妹の髪の手触りが以前よりも柔らかくなっていることに、嬉しさで目頭が熱くなった。
母のイリナもそんな娘の変化を喜んでいた。「無理をしないことも大事よ。あなたがいつも笑顔でいてくれるだけで、私たちは幸せなんだから」
その言葉に、灯花の胸の奥がじんわりと熱くなった。家族の愛情が全身を包み込むような温かさだった。
* * *
学院に戻り、持続可能な努力を続ける灯花の姿は、学院内でも次第に注目されるようになっていた。教授たちの間でも、彼女の成長ぶりが話題になることがあった。
「あの平民の子、最近めきめき力をつけているようだな」
「基礎から学び直す謙虚さを持っているからだろう。才能だけでなく努力も重要だということを、彼女は理解しているようだ」
そんな評判を灯花自身は知る由もなく、彼女はただ着実に自分の道を歩んでいた。ノートにびっしりと書き込まれた基礎理論と、父の魔法書に記された高度な術式を照らし合わせながら、彼女は「魂の共鳴」の真髄に少しずつ近づいていた。
その夜、灯花は一人演習室に残った。指先に流れる魔力が、以前とは明らかに違う。基礎を固めたことで、魔力の制御が格段に向上していたのだ。
「もう少し……もう少しで……」
灯花の瞳に、静かな決意の炎が宿っていた。