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アクイレギアの楽園  作者: エノキスルメ
第一章 帝国の崩壊、動乱の始まり
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第6話 十五歳 夏

 ヴィルヘルムが父より農地を借り受けてから、五年の歳月が流れた。この間、ヴィルヘルムは貴族子弟として鍛錬と勉学を重ね、趣味の読書や創作に打ち込みながら、農業に関する新しい試みの実行に励んだ。


 現在主流の三圃制は、その名の通り農地を三つに分けた上で、大麦や燕麦を育てる春耕地、小麦やライ麦を育てる秋耕地、家畜の放牧を行う休閑地として運用する農法。

 これに改良を加えるのが、ヴィルヘルムの試みだった。

 目をつけたのは、家畜の餌になる上に、土地を肥えさせる特性を持つクローバー。これを休閑地に撒いた上で、従来通り放牧を行った。とはいえヴィルヘルム自身は農作業の要領を全く知らないので、実際の作業は農業に慣れている小作農たちにやってもらった。

 クローバーの効果自体は前世の知識として持っていたが、それを思い出したのは、書斎にあった昔の貴族の手記を読んだ時のこと。クローバーの密生していた土地を耕して麦を植えたところ、非常な豊作を記録した、という記述を見たことで、三圃制におけるクローバーの活用を思いついた。なので「本で読んだ知識をもとに」と父に説明したのは、完全に嘘というわけではない。

 前世の農業知識としては、より進んだ農法である輪栽式農業なども一応記憶にあった。しかし、細かいところまでは覚えていない農法を素人の自分が完全に再現する自信はなかった上に、従来の三圃制とあまりにかけ離れた農法を今後いきなり大規模に実施していくのは難しいだろうと考えたため、この世界の三圃制にクローバーという新たな一要素のみを取り入れる選択をした。

 結果、農地面積あたりの麦の収穫量は明確に向上した。革命的と言えるほど絶大な変化ではなかったが、これまでの農法よりも一歩進化したと言える程度には効果があった。

 そもそも麦やクローバーが前世のものと全く同じ植物とは限らず、これが前世においても再現可能な現象なのかは分からないが、少なくともこの世界の三圃制にこの世界のクローバーを取り入れる試みは、上手くいった。

 この結果を、ヴィルヘルムはできる限り詳しく記録し、毎年ステファンに報告した。ハルカにも協力を仰ぎ、収穫量の向上が認められることを確認してもらった。


 そうして五年が経ち、最初にクローバーを撒いた農地では三圃制の二周目を越えても麦の収穫量の向上が引き続き確認された後。


「ひとまず十分だろう。休閑地にクローバーを撒くというお前の試みには確かな効果があるものと認める。今後この農法を、まずはフルーネフェルト家の所有する農地で取り入れ、ゆくゆくはフルーネフェルト男爵領の農地全体に普及させるつもりで計画していく」


 例年通り収穫後の報告を終えたヴィルヘルムに、ステファンはそう言った。


「ヴィリー。お前はまた、成果を示した。今回は千歯扱きの発明にも勝る大きな成果だ。お前の夢の実現にフルーネフェルト家として力を貸しても、我が家の農地の収穫量増加や、今後の領内からの税収増加で十分以上の利益が生まれることだろう。約束通り、この地にお前の劇場を開くための初期費用を領地運営予算から出してやる」


 父の言葉に、ヴィルヘルムは思わず息を呑む。

 夢が叶う。本当に。

 実感が急に湧き起こり、自然と顔に笑みが浮かぶ。


「劇場の建設や役者集めについては……お前のことだから、どうせ大まかな計画は既に立てているのだろう。場所の選定や建設費用の概算、役者集めの方針などをある程度詳しくまとめたら、また報告しなさい」

「はい! 心から感謝します、父上! 愛してます!」


 高揚しながらヴィルヘルムが頭を下げると、ステファンは苦笑を零しながら頷いた。

 そして、その表情が真剣なものに変わる。

 父の雰囲気の変化から何か真面目な話があるのだと察し、ヴィルヘルムも高揚を引っ込めて姿勢を整える。


「ヴィルヘルム、お前にひとつ聞いておきたいことがある」

「はい。何でしょうか、父上」

「お前はフルーネフェルト男爵位を継ぎたいか?」


 父の問いかけに、ヴィルヘルムは片眉を上げて驚きを示した。問いかけの裏にある父の懸念をすぐに察し、そして首をしっかりと横に振った。


「いいえ、僕はそのような望みは全く持っていません。確かに僕は功績を示しましたが、それはあくまで家と領地に貢献しながら夢を叶えるためで、功績を武器に兄上から家督の継承権を奪おうとは微塵も考えていません。第一、僕よりも兄上の方が領主に向いているのは明らかです。僕は多少頭はいいのかもしれませんが、臣下臣民をまとめる指導者や、領地を守る守護者としての才覚や能力はありません。兄上には到底叶いません。なので僕は、将来も兄上を支えて家と領地の発展に貢献する立場であり続けたいです」


 本心から、ヴィルヘルムはそう言った。

 今年で十八歳の成人を迎えた兄エーリクは、理想的な次期当主として成長している。従士たちからの人望も厚く、武芸に関してはフルーネフェルト家に仕える騎士たちと比べても優れ、筆頭騎士ノルベルトも実力を認めている。頭脳の面でも、前世を現代日本で二十年生きたヴィルヘルムには敵わずとも、十分以上の能力を持っている。

 人格面でも、従士たちの忠誠に応え、領民たちを庇護し、貴族の義務を果たすことへの使命感を強く抱いている。夢を叶えたいばかりの自分より、兄の方が遥かに優れた貴族だと、ヴィルヘルムは本気で思っている。

 さらに本音を言えば、領主貴族家の当主という立場は、ヴィルヘルムにとって決して魅力的なものではない。常に忙しく、責任は重大。もしそのような立場になれば、好きなことに打ち込める時間も心の余裕も減るだろう。万が一順序が回ってきたならば義務を果たすが、わざわざ求めて手にしたいものではない。

 貴族家の人間として生まれた以上は家と領内社会に相応の貢献をするつもりだが、やはりできることなら責任は少なく、自分の好きなことを追求する余裕を保ちながら生きていきたい。

 加えて、兄との仲は今も良好。対立する理由などない。


「……そうか、それならいい。お前がこれまでの功績をもって爵位の継承権を求めるのであれば、当主としてはその意思を考慮しないわけにはいかなかったが、私もお前たち兄弟が家督を巡って争う様は見たくないからな」

「ご安心ください。僕の立場も、兄上との関係も、これからも何も変わりません」


 ヴィルヘルムはそう断言し、父の許しを得て部屋を辞した。

 そして向かったのは書斎。そこで待っていたアノーラと顔を合わせるなり、喜びを隠すことなく口を開く。


「やったよ! 劇場を開くお許しをもらった!」

「本当に!? これでいよいよヴィリーの夢が実現するのね!」


 アノーラも喜色満面で答え、そして二人で手を握り合う。できることなら抱き合いたいところだが、未婚の男女がそこまでするのは今世の感覚的にははしたない。

 立場としては従士家の娘であり、ヴィルヘルムから見て臣下にあたるアノーラだが、数年前から二人きりのときは敬語を使わず、家族と同じ呼び方で接するようになっている。ヴィルヘルム自身が彼女に求めた結果として。


「早速明日から動き始めよう! 一緒に!」

「ええ、もちろんよ! ヴィリーの夢は、私たち二人の夢ですもの!」


 六歳の頃から幼馴染として共に長い時間を過ごし、ヴィルヘルムの夢についても誰より詳しく聞かされた上で応援しているアノーラは、ヴィルヘルムにとっては最大の理解者と言える。彼女と笑みを交わしながら、ヴィルヘルムは夢の実現に向けていよいよ歩み出すこれからの日々に思いを馳せる。

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