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アクイレギアの楽園  作者: エノキスルメ
第二章 覚悟、矜持、思惑
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第59話 躍進準備②

 神聖暦七三六年の残り一か月をかけて、フルーネフェルト伯爵領の掌握はさらに進んだ。


 旧リシュリュー伯爵領の主要商会については、カルメンが巧みに掌握してくれた。御用商人としてフルーネフェルト家との伝手を独占する彼女は、明らかにフルーネフェルト家を舐めていたいくつかの商会にはフルーネフェルト家からの仕事を与えず、凋落を決定的にさせた。それらの商会の権益を、残る商会に分け与えることで手懐けた。

 ルールモント鉱山で採掘される岩塩は、まず最初に、フルーネフェルト家からエレディア商会に全て卸されることになっている。塩の販売をフルーネフェルト家と共に独占することで、エレディア商会とその長であるカルメンは、今後一国の君主家の御用商人にふさわしい力をつけていくことが見込まれている。


 そのルールモント鉱山については、採掘量の増加が進められることになっている。

 これまで、ルールモント鉱山での岩塩採掘量は、あえて抑えられていた。その理由は帝国中央部にある。

 中央部の東側には別の岩塩鉱山を富の源泉とする大貴族家があり、そこで採掘される岩塩は一部が帝国東部の西側にも輸出されている。ルールモント鉱山があまり採掘量を増やすと、市場に溢れた塩の値が崩れる上に、中央部の大貴族、延いてはその大貴族が属する派閥から商売敵と見なされて余計な揉め事を抱える可能性もある。

 なのでキールストラ子爵家は、意図的に採掘量を抑えていた。それでも、分裂の末に領地領民の減ったキールストラ子爵家が贅沢に暮らすには十分すぎるほどの富が生まれていた。

 ヴィルヘルムはこの採掘量を、今後は積極的に増やすつもりでいる。

 帝国の中小貴族として生きるのならばともかく、一国を築いてその主となるのであれば、崩壊していく帝国中央部の大貴族に配慮する必要もない。動乱の時代にはその大貴族や属する派閥も帝国東部に構う余裕はなく、動乱が終われば、既に他国となった帝国中央部から流入する塩は、関税をかけて大幅に減らすことができる。

 だからこそ、いずれ誕生する自国で消費される塩に関しては、ルールモント鉱山からの採掘でできるだけ自給できるようにしたい。その流通を掌握することで、塩の利益を国費の支柱のひとつとしたい。それがヴィルヘルムの考えだった。この考えを実行するために、鉱山の働き手を新たに募集する計画なども、既に動き出している。


 経済面の掌握に続いて、人心の掌握も進んでいる。この点で中心的な存在を担うのは、フルーネフェルト家の抱える役者たちの長であるジェラルドだった。

 先の戦いを物語へと昇華した舞台は、初演の後も積極的に上演されている。さらに、ジェラルドたちの活動はフルーネフェルト劇場に留まらない。彼らはフルーネフェルト劇団を名乗りながら、旧リシュリュー伯爵領に遠征しての活動も開始している。

 手始めにランツで何度か行われた公演は、大変な盛況になったと報告されている。

 ジェラルドたちはまず、分かりやすい喜劇や誰もが知る古典的な寓話で民衆を楽しませ、好感度を得た上で、ヴィルヘルムを主人公とした例の舞台を上演したという。結果は大成功。先の公開処刑での演説や、減税などの施策も合わさり、ヴィルヘルムに対するランツの民の支持はより高まっている。


 広大になった領地の支配が順調に行われていることに満足しながら、ヴィルヘルムはこの日、領都ユトレヒトの市域の外れ、新たな住宅地の開発現場を視察していた。


「思っていた以上に進んでいるね」

「はい。働き手が想定以上に集まってくれたおかげです。カルメンさんが大量の資材を迅速に集めてくださったことも大きいです」


 建設途中で骨組みの状態の家屋が並ぶ様を眺めながらヴィルヘルムが言うと、隣に立つハルカが答える。既に十二月も末、日差しはあるが空気は冷たい。二人とも、厚く上等な外套で身を覆っている。

 一方で建設現場の技術者や労働者たちは、薄着の者が多い。上半身裸の者さえいる。身体を動かし続ける彼らにとっては、真冬でも日差しのある昼間は暖かい、もとい暑いようだった。

 技術者は主に、ユトレヒトに拠点を置く建設業者たち。それだけでは手が足りないので、旧リシュリュー伯爵領の建設業者も呼ばれている。そして労働者は、農村部や旧リシュリュー伯爵領から集まった男たち。領都開発のためのこの建設作業は、彼らにとっては冬の間の丁度いい出稼ぎ労働だった。


「この調子なら、冬明けには予定より十軒ほど多く集合住宅が建っていそうです。戻るときにご覧いただきますが、商業区の方も順調ですよ」

「そうか、何よりだよ。旧リシュリュー伯爵領の商人たちには、できるだけ早くこのユトレヒトに支店を開いてもらいたいからね」


 そしていずれは、拠点そのものをユトレヒトに移してもらいたい。ユトレヒトが自国の中心都市に。ランツはその衛星都市に。フルーネフェルト家にとってはそれが理想的。

 既に、領地の富の中心をユトレヒトに据える計画は少しずつ進んでいる。領都の商業区の拡大だけではない。住宅地の拡大については、ユトレヒトをはじめとした旧フルーネフェルト男爵領の富裕層――商人や職人、地主たちにも出資させている。彼らには貯蓄を吐き出させ、足りない分は例の軍資金を元手にフルーネフェルト家から格安の利子で融資している。

 そうして不動産を持たせれば、彼ら旧フルーネフェルト男爵領の富裕層は、そのままヴィルヘルムが築く国の富裕層へと成長する。フルーネフェルト家は、元より自家に忠実な領民たちを富裕層として直下に抱えながら社会を発展させることができる。


 建設現場を歩いて回り、技術者や労働者たちに領主自ら声をかけたヴィルヘルムは、その後は商業区でも同じように視察と激励を行った後、屋敷に戻った。

 いずれ一国の君主家となるフルーネフェルト家には、その立場にふさわしい居所が必要。確かな信用をおける御用建設業者に依頼し、今まさに改装が進められている。屋敷は広く頑丈に増築されて城館となり、敷地そのものも広げられて全体が城壁で囲まれる予定となっている。

 改装工事の音や、職人と労働者たちの声で賑やかな様を横目に眺めて屋敷に入ると、出迎えたのは領主夫人のアノーラだった。


「おかえりなさい、ヴィリー」

「ただいま、アノーラ……動いていて大丈夫?」


 尋ねながら、ヴィルヘルムが視線を向けたのはアノーラの腹部。


「ええ、昨日よりは気分がいいから大丈夫よ。お医者様も、動けるのなら動いていた方がいいって仰ってたから」

「そうか。それならいいんだけど……」

「そんなに心配しないで。この子が生まれるのはまだまだ先の話よ?」


 心配そうなヴィルヘルムの表情を見て、アノーラは小さく吹き出しながら言った。

 少し前にアノーラが体調不良を訴え、医師の診察の結果、妊娠したものと考えて間違いないと分かった。現在は推定で、妊娠一か月半から二か月ほど。

 世継ぎが生まれることが領主として喜ばしいのはもちろん、愛する伴侶との子供が誕生することを、一個人としてヴィルヘルムは楽しみにしている。

 一方で、アノーラのお腹に新たな命が宿っていると知った今、気にし過ぎるのは良くないと理解しつつも、二人のことが心配でならない。特にこの数日は、アノーラがつわりに苦しんでいる様を見ていたため余計に気がかりだった。


「視察で歩いたから疲れたでしょう? 一緒にお茶にしましょう」


 笑顔のアノーラに手を引かれ、ヴィルヘルムが向かったのは居間だった。

 暖かい時期であれば庭でお茶をすることも多いが、今は冬である上に、外は増築工事の最中。今後しばらくは必然的に、午後の休憩を兼ねたお茶の時間は居間で過ごすことになる。

 フルーネフェルト家の一族、その私的な空間である居間は、ヴィルヘルムとアノーラがくつろげるように調度品が揃えられている。ゆったりとしたソファに二人並んで座ると、その前のテーブルにお茶と焼き菓子が置かれる。


「ありがとう、ご苦労さま」

「上手な手際ね」


 ヴィルヘルムとアノーラが声をかけた使用人は、まだ十代半ばほどの少女だった。見るからに緊張した様子でカップにお茶を注いだ少女は、領主夫妻の言葉を受けてほっとしたように笑い、一礼する。傍らでその様を見守っていた家令のヘルガも、振り返った少女に柔和な笑みで頷く。

 屋敷の増築に備え、使用人には今のうちから、見習いとして新たな顔ぶれが増えている。

 その大半は、家族を失ったノエレ村の子供たち。彼らは孤児となった自分たちを庇護し、家族の仇を討ってくれたヴィルヘルムへの感謝と忠誠心を抱いている。すなわち、ヴィルヘルムから見れば信用できる人材。将来の家政の担い手としてうってつけだった。

 また、頭の良い一部の子供たちは、文官見習いとしてハルカや農業担当フレドの下で修業を積んでいる。直轄領の規模が拡大していくフルーネフェルト家にとって、他家に手をつけられていない忠実な人材である彼らは、将来の重臣候補となっている。なかでも、ハルカに養女として迎えられた、彼女の亡き姉の娘などは、現時点でもなかなか聡明で、そのまま彼女の後継者候補と見なされている。


「……順調だね。今のところは何もかも」


 政治も経済も軍事も、各要素が収まるべきところに収まりながら、上手く回っている。その実感を噛みしめながら、ヴィルヘルムはお茶に口をつける。

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