第1話
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「カミラって名乗ることにしたんだ」
「……へぇ」
急に突拍子もないことを言い出したなと思った。
「綴りは?」
「 C、a、m、i、l、l、a 」
「へぇ。それで、なんでまたそう名乗ろうと?」
「旅に出ようと思って。
私の故郷での名前は、この大陸の人には馴染みがなくて、発音もしにくいから。
あとね、カミラって、会いたい憧れの人のミドルネームなんだ」
「……ふぅん。姓はどうするの?」
「……お借りしてもいいかな?」
お借り、って
「……ウチの名前を??」
「うん……」
「あなた、うちの娘になるの?」
「そ〜捉えられても仕方ないんだけど、
名乗る姓がないと困るから、縁があった名前ということで貸していただけないかな、って。」
「……別に、どこかで名乗ってるだけなら、好きにしたらいいけれど。……どっちが姉になるのかしら、ちなみに」
そこはかとなく圧をかけてみる。
「姉でも妹でもないということでひとつ……」
「……まぁ、いいわ」
それは、姉でも妹でもあることの裏返しと言っていいだろう。
「ここを、帰るところにされても困るわよ?」
こっちは、行き倒れて死にかけていたのを、人の道として助けたというだけなのだから。
「うん。旅を栖にするつもりだから、居るところを決めないことにしてる」
「……『旅を栖にする』って、変わった言い表し方ね?」
「そういう表現があるんだって」
「へぇ」
少し、間があいた。
「死なないって約束します」
「いらないわ」
そんな重たい約束はいらない。
「たしかに私はあなたに死ぬなと何度も言ったし、強いたけれども。
もういいわ。死なないで欲しいけれど、私があずかり知らないところで死ぬんだったら、……好きにしなさい」
「……イェナ。
私、あなたに本当に感謝しているの」
「……どう、いたしまして。」
私の返事を聞いて、彼女は、ーーカミラは、ことさら嬉しそうに微笑んでみせた。
「とりあえず、まだすぐには死なないことにしたの。
見たかったものを見てくるわ。
カミラって名前も、その、探したい人の手掛かりになるかもしれないから。」
「槍が使えるって言ってたものね。それなら一人旅もなんとかできるだろうし。路銀も護衛やなんかで稼げるでしょうし。……とにかく、まずは体調を完全に回復させなさい」
「うん。体力つけ直すのにちょうどよさそうだから、無理のない範囲で少しずつ、槍の鍛錬を始めたいと思ってるんだけど、どうかな?裏庭を使って構わない?」
「好きにしなさい。父さんも母さんもとやかく言わないわよ」
「ありがとう。」
イェナは少し、考えて。普段めったに開けない押入れの、古い扉をかっ開いた。ここには、ろくに使わないが捨てきれない物ばかり押し込んであるのだ。そこに、
「はい」
「えっ」
そこにずっと仕舞い込んであった、彼女の槍を取り出した。
「久しぶりに、まずは握ってみたら?」
「……そこに、ずっとあったんだ」
「そうよ。ほら、」
はい。と手渡されて、カミラはおずおずとそれを受け取った。体はやはりよく覚えているらしく、先がきちんと袋に包まれていることを確認してから、くるりと回してみたり、強く振ったかと思えば、ぴたりと体の真正面で止めてみたり。
「様になるのね。初めて見た」
「……少しだけ動悸がするわ」
「それは、もう平気って意味?それとも苦痛が勝つ?」
「いえ。……振れると思う。」
彼女の眼差しが槍の先を見つめている。
しっくりと似合っていて、私からすれば、拾ったばかりの時の、死にかけていてヤケになっていた姿と天と地ほども違うと感じた。凛々しかった。
「“女槍使いのカミラ・デァリン”か。悪くない響きじゃない」
「あなたは、結婚するの?」
「そうねぇ。そろそろ探そうかしら」
この子を匿っている間は不可能だったが、そろそろ、婿にきてくれそうな良い人を、探し始めてもいいようだ。
「五十年後くらいなら、帰ってくるんじゃなくて、寄ってみてもいいわよ?夫と子供と、多分ずっとここに住んでるから」
「五十年後だなんて、お互いおばあちゃんじゃない。三十年後くらいにまけて欲しいわね」
「じゃあ、間をとって」
「四十年?……イェナおばあちゃん一家に会うのを、いつかの楽しみにしておきます」
「そうしてちょうだい。あなたは、…………まぁ。
ーーカミラは、」
彼女の肩が当然揺れた。
「好きに生きなさい。どこへでも行って。
私はそれを、ーーーーーーーー」
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「ーーせいぜい楽しみにしているわ。」
カミラの口からこぼれ落ちたのは、何度でも思い出せるあの子の言葉。
「なつかしい」
女槍使いのカミラ・デァリンは、どこかでうっかり野垂れ死ぬこともなく、今のところ無事に、旅を続けることができていた。
夜風が今日も気持ちいい。
カミラになったあの日から数年の月日が流れたが、実はまだ探している人には会えていない。
「大陸中どこにいるか分からない人だからなぁ……」
あちこち探索しながら、独自に蒐集した記録の山や研究内容を時おり本に書いて出版している人なので、消息が全く掴めないわけではない。こないだ、また新しい本が出版されていたので、向こうも生きてて、しかも結構元気にやっている。
大陸は広いから、致し方無い。年単位でかかるだろうと、薄々予想はしていた。異民族出身の私の髪と肌と眼の色はそこそこ目立つから、「カミラ」という名前で変わった旅人として噂になれば、もしかしたら向こうから気づいて、会いに来てくれるかもしれないなぁとか、思っていたんだけれど。幼い頃の出会いではあっても、忘れられているはずがないからである。
とはいえ。探すついでに、と言うか、探しながらと言うべきか、行きたいところへゆく旅は、なかなかどうして、たまらない。
しかも、一年前に仲間が増えた。ひょんな縁で貴族から拾ったのである。
今日は一人部屋しか空いていなかったので別室だが、だいたいはお互いの身の安全のために同じ部屋をとっている。
一年経って、だいぶ気心知れた友人になった。とても気が合う。
空を見上げた。
夜の色はなんともいえない。紫色を帯びた、ほとんど黒の、でもちょっと茶色にも見える……。
宿のベランダだから、あまり長く物思いをしすぎると、心地よかった夜風でだんだん体が冷えてくる。
そろそろ寝ないとなぁ。でも、惜しいなぁ。
「次にどこへ行ってみるか考えながら寝ましょうか……」
久しぶりの一人部屋で、独り言が増えがちである。それと、ウッカリ夜更かしを止めてくれる、親切な人が今日は同じ部屋にいないから、多少強引にでも、自分の体をベッドへ転がして、目をつむるべきである。
まぶたの裏に、亡夫や、赤子や故郷を思い返してしまうことが、よくある。
そのまま意識がなかなか眠りに落ちてくれないと、「何を頑張ってわざわざ生きているのだろう」という自棄に吞み込まれかけるのだ。
眠らなければ人は死んでしまうが、眠りを待つ間に無心でいることが、私はどうしても苦手だ。
旅暮らしをすることを「旅を栖とす」と表現してあるのは、『奥の細道』です。
松尾芭蕉の考えた表現なのか、当時の一般的な表現だったのか、それとも何かを参考にした表現なのか、調べてもよく分かりませんでした。