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ねこちゃんの目にも涙

 私のねこちゃんが、ねこちゃんをやめてしまった。新作のちゅ〜るをあげたら、その小さな後ろ足だけで立ち上がり、こう言うのだ。

「〇〇ちゃんに嫌われちゃうよ」

 〇〇ちゃん、というのはねこちゃんのすきな女の子だ。その子はねこなので、ねこの言葉によるねこの名前がついているのだけど、それが人間の言葉にうまく当てはまらなかったみたいで、ねこちゃんの口からはにゃごにゃご、としか聞こえなかった。なので〇〇ちゃん、としておく。

 ねこちゃんはちゅ〜るを食べ終えた後に、いつものように我が家のパトロールに出かけようとして、そしたら姿見に映る自分の姿に驚いて、ぅわにゃぉ、と変な声を出した。それから呆然としている私を見て、鏡を見て、自分の手足を見た。ねこちゃんの全身の毛がハリネズミみたいに逆立っていた。それからバッと身を翻して、家中を駆け回った。ありとあらゆる扉、ありとあらゆる廊下、ありとあらゆる階段、ありとあらゆる部屋を巡って、自分をこんな形にした悪者を捜し回った。怖くて入ったことのない押し入れにも顔をつっこんで、でもすぐに飛び退いて、慣れない二足歩行でとたとた音を立てて家の中を一周した。うわあ、うわお、ねこだぞ、ねこなんだぞ、と人間の言葉を口に馴染ませながら。

 そうしてこう言ったのだ。こんな姿じゃもうねことして見てもらえないよ、〇〇ちゃんはちゃんとねこなんだから――、とぽろぽろ涙を零した。私はねこちゃんがよく〇〇ちゃんに会いに行っていたのを知っているし、彼女に渡すためのおやつを選んだのは私だ。そんなことないよ、だって仲良しでしょう、と言っても、仲良しとかもう関係ないよ、こんなねこでも人間でもない姿になっちゃんたんだから、もう違う存在なんだよ、とねこちゃんは泣くばかり。ねこちゃんと話したのは初めてだけど、こんな悲しい会話が初めてになってしまうのは、悲しいことだと思った。初めてというのはいつだって、少し眩しくてすてきなものであるべきなのに。私が黙ったままでも、ねこちゃんは泣いている。

 ドラえもんの泣き顔を思い出した。小学生の頃に観た劇場版で、ドラえもんが大泣きするのだ。なんで泣いていたのか、どんなストーリーだったのか、タイトルさえも思い出せないけれど、その大きなふたつの瞳から、空色を帯びた透明のそれ、そう涙が、ぶわっと溢れ出して、丸い頬を伝って地面に染みを作っていくのだ。真珠みたいな粒が次から次にくっついて、さらさらと流れていく様がきれいで、それだけが心に残っているのだ。どうしてそんなに印象的だったのか、今考えてみれば、それがロボットの涙だったからかもしれない。人間でない者が流す涙はこんなにきれいなんだと、小学生の私は無意識に思っていたのかもしれない。

 ねこちゃんにも涙というものがあって、心というものがあって、それを支えていたのがねこであるねこちゃんで、でもそれって、こんなちゅ〜る一個で簡単に崩れてしまうものなんだろうか。ねぇでもさぁねこちゃん、ちょっと変わってるのもすてきだよ、それに私は、ねこちゃんが他のねこと違うから、一緒に暮らそうと思ったんだよ、〇〇ちゃんだってきっと、ねこちゃんがねこちゃんだから仲良くしてくれたんだよ、そう言ってもねこちゃんは聞く耳持たず、とうとう声をあげて大泣きし始めた。うわお、うわあ、わあああん。そういうこと、そういうことじゃないよ、だって、だって、こんなかんたんに、かんたんにかわっていいはずないんだよ、ねこも、にんげんも、きょうもあしたも、せかいのすべても、わかってない、わかってない、わかってないよ――。

 ねこちゃんはねこちゃんだよ、どんなことがあっても、私にはねこちゃんでしかないんだよ。ねこちゃんはいつものおやつがすきで、いつもの場所でいつものお昼寝をして、いつものところを撫でると喉を鳴らすねこちゃんなんだよ。

 でもそんな私の手は、一体ねこちゃんのどこを撫でればいいのか、ねこなのか人間なのかよくわからないねこちゃんの、「いつものところ」って一体、とねこちゃんの目の前をさまようことしかできなかった。

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